第十五話 孤児院慰問(前編)
ハーラルトへの正式な辞令はすぐに下り、彼は資料編纂室から異動して、わたし付きの秘書官となった。
そして、お父さまのおっしゃった通り、わたしにはある公務が与えられた。
「孤児院の慰問?」
専用の書斎で読書をしている最中にハーラルトの報告を受けたわたしは、オウム返しに確認した。
ハーラルトは書類に目を落とし、頷く。
「うん。
慰問かあ。お母さまやお姉さまにお話を聞いたことはあるけれど、王族が訪れると慰問先の人たちは心から喜んでくれるらしく、やりがいのあるお務めだそうだ。
……でも、わたしにできるのかしら?
その疑問を正直に口に出すと、ハーラルトはほほえんだ。
「大丈夫だよ。むしろ、君向きの公務だと俺なんかは思うけど」
「え、どうして?」
「君は優しいから、相手がどんな言葉をかけて欲しいかをちゃんと分かってあげられるはずだよ。それって、慰問にぴったりの資質でしょ?」
あ、どうしよう。すごく嬉しい。だって、今、胸の内側がとても温かいんだもの。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ハーラルトは若草色の目を細めて笑ってくれた。不思議。最近は特に、彼のこういう優しい表情が、とても好きだと思えるようになった。
それはともかく、今は公務についてのお話し中だ。あまり浮かれていては、「ハーラルト・ロゼッテは実力もないのに王女と父親のコネで秘書官になった」と口さがない貴族たちに言われてしまうわ。
ある意味、わたしの行動ひとつで、彼の評価が決まってしまうということよね。
わたしは頭を切り替えて、今回の慰問で自分に何ができそうか考えてみる。
そうね……たとえば、わたしの得意なこととかで……。
「あ!」
とわたしは思わず声を上げていた。
ハーラルトが目を瞬く。
「どうしたの?」
「ねえ、孤児院では娯楽が少ないだろうから、わたしのリュートや歌なんかでも役に立てるかしら?」
表情を明るくして、ハーラルトが応じる。
「そうだね。お遊戯をしたり、職員が簡単な歌や音楽の授業をしたり、っていうのはあるだろうけど、街の広場にでも行かない限り、プロの歌や演奏はめったに聴けないんじゃないかな。リズの歌と演奏は宮廷でも玄人はだしだと有名だから、子どもたちや職員たちも喜んでくれるかもしれないね」
確かに教師以外の廷臣にも面と向かって褒められたことはあるけれど、みな耳が肥えているから社交辞令かと思っていたわ。
まあ、王太女でないとはいえ、王女の歌や演奏が聴けるというのは、きっと珍しい体験だと思う。
ハーラルトも乗り気だし、どんな曲を演奏するかや、歌も披露するかどうかを詰めていかないと。
「どんな曲なら、子どもたちは喜ぶかしら? わたしが子どもの頃から好きな詩曲といえば、断然『シュツェルツ王太子と美姫ロスヴィータの恋』なのだけれど!」
ハーラルトの口元が若干引きつった。
「う、うーん……それはちょっと、十歳以下の子どもたちには分かりづらい……というか、早すぎるんじゃないかな?」
「え、そうかしら?」
「いや、だってあの曲、『そして、王太子と令嬢は一夜を共にし』って、下りがあるじゃないか」
「あら、よく知っているわね」
最初にあの曲を聴いた時、一緒にいたのは家族だけで、その中にハーラルトはいなかったと思うけれど。
「聴いたことがあるからね。それより、あの詩がなんのことだか分からない子は、職員に訊くと思うんだよね……」
「そ、そういえばそうね」
思わず目が泳いでしまう。
わたしが初めてあの曲を聴いた時は、「お父さまとお母さまは同じ寝室でお休みだから、きっと同じベッドで眠ったのね!」と結論づけたような記憶がある。
でも、孤児院では親を知らない子もいる以上、みながそう考えるとは限らないわけで……。いえ、少しませた子なんかは、そんな素直な発想はしないような気がするわ。
子どもたちに質問攻めにあった職員は、きっと説明に困ってしまうだろう。納得だ。
「ハーラルトの言う通りね。別の曲にしましょう」
「よかった」
ハーラルトは笑顔になり、引き続き曲選びを手伝ってくれた。ああでもないこうでもないと選曲作業は数日続き、その間にもハーラルトは慰問に必要な事務作業や手続き、各所との調整をしてくれた。
驚いた。少し前からそうじゃないかとは思っていたけれど、ハーラルトってとっても有能なのね!
これなら、そう時間がかからないうちに、貴族たちにも彼の能力を認めさせられるかもしれないわ。
それにしても、どうしてハーラルトは資料編纂室に配属されていたのかしら。
聞けば資料編纂室って、今までの王朝や宮廷関連の資料を収集して編集するのが主な仕事で、閑職とは言わないまでも、決して花形の部署ではない。有り体に言えば地味すぎる。
今度、ハーラルトにその辺りの事情を訊いてみよう。
そう思いつつも忙しくしているうちに、演奏する曲目も決まった。子どもたちにはなじみのない音楽だけでは退屈だろうということで、わたしは国教の神話を元にした詩曲を弾き語りすることになった。
ソルエ孤児院は女神の名を冠しているだけあって、小さな神殿が併設されているのだという。元々、神殿が孤児院を始め、それが国営化されて現在の体制になったということだ。
この情報もハーラルトが教えてくれた。
わたしは選曲や楽器の練習、子どもたちへのプレゼント選びの他に、ディーケお姉さまから公務や慰問について教えていただいた。
お姉さまはさすが王太女だけあって、経験豊富だ。
「民と話す時は、必ず目線を合わせて。あなたなら大丈夫だとは思うけれど、相手を王侯のように思って丁寧に接するのよ」
というお言葉が特に印象に残っている。
そして、孤児院慰問の当日。
幻影宮の車寄せではお父さまをはじめとした家族が見送ってくれた。
「リズ、気をつけて行ってくるんだよ」
この公務をわたしに命じたのはお父さまのはずなのに、なんだか今生の別れみたい。
お父さまはわたしの傍に控えるハーラルトとリシエラを交互に見た。
「ハーラルト、リシエラ、くれぐれも王女のことを頼む」
二人の声が重なった。
「かしこまりました」
「それでは、行って参ります」
わたしはハーラルトとリシエラとともに、王室の紋章である、向かい合って立つ竜と
舗装された道を進み、貴族の邸宅が集まる地域を抜け、馬車は賑やかな街に出た。
やがて、慎ましやかな邸宅が建ち並ぶ地域に入ると、小さな神殿が併設された建物の門が見えてきた。門柱の控えめな看板には浮き彫りで「ソルエ孤児院」と記されている。
馬車のうしろに立っていた二人の従者のうち一人が降り、孤児院の守衛に声をかける。守衛が門を開いた。孤児院の門を潜った馬車は、これまた小さな車寄せで停まる。
わたしは先に馬車を降りたハーラルトに手を取られ、孤児院の敷地に降り立ったのだった。
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