第四話 指輪の思い出

 どうしようどうしよう、とぐるぐる考え続け、結局一睡もできなかった。そのくせ、妙にふわふわした気持ちなのはなぜなのかしら。でも、今まで付き合った人たちから告白された時とも何か違うような……。


 告白してくれた時の、とても真摯なハーラルトの眼差しが、繰り返し思い出される。


 考え過ぎと寝不足で、もはや考えることもできなくなったわたしは、人に相談することにした。今度の相談相手はリシエラではなく、お母さまだ。色々な人の意見を聞いてみたい。

 東殿の二階にある食堂で、家族揃って朝食を食べている最中、お母さまに声をかける。


「お母さま、あとでお部屋にお邪魔してもよろしいですか? 少しお話ししたいことがあって」


 お母さま──王妃ロスヴィータ・イーリスは、妹のカトラインをそのまま成長させたかのような美貌に、艶やかな笑みを浮かべた。


「もちろんいいわよ。お茶でも飲みながら話しましょう」


 火の入っていない暖炉の前に座るお父さまが、そうっとこちらをご覧になる。

 ……縁談のことを相談するつもりだとお思いになったんだろうなあ。そのことも相談したいけれど、目下の悩みはハーラルトへの返事だ。


 もちろん、縁談を断ったからといって、ハーラルトとお付き合いするわけではない。彼とお付き合いするなら、絶対に縁談を断る必要があるけれど。

 もし、ハーラルトとお付き合いすることになって、ゆくゆくは結婚、なんてことになったら、恋愛結婚ということになるのかな? でも、次女とはいえ、王女と子爵令息の結婚の例って、この国にあったっけ?


 ふあ……と思わず欠伸が漏れそうになる。

 寝不足の頭で複雑なことを考えるものじゃない。

 お姉さまはお義兄にいさまと楽しそうに歓談しながら食事をしている。

 こういう光景を毎日見ていると、どんな形の結婚が正解なのか分からなくなってきて、それが一層、わたしのうまく回らない頭を混乱させる。


 食事を終え、部屋に戻ったわたしは歯を綺麗にしたあとで、リシエラに付き添われ、二階のお母さまの部屋に向かう。


 リシエラが扉をノックして用向きを告げると、彼女のお母君、ラリサ伯爵夫人にしてピサエ女伯爵でもあるリベアティア・メーヴェ・グライフが出迎えてくれた。リシエラより小柄な彼女は、お母さまの首席私室女官なのだ。


 ちなみに、リシエラの役職である寝室女官より私室女官のほうが位が高い。そして、寝室女官よりも位の低い女官が名誉女官だ。


「リズ殿下、お待ちしておりました。こちらへどうぞ。リシエラ、またあとでね」


 ラリサ伯夫人に導かれるまま、わたしはリシエラと別れ、お母さまの部屋に入る。

 お母さまは華やかな容姿でいらっしゃるのに、その部屋は落ち着いた調度品で固められている。元々、お母さまの部屋はわたしたちと同じ一階にあった。けれど、わたしたち姉妹の成長に合わせ、お父さまとともに二階にお部屋を移されたのだ。

 ティーテーブルの前に腰かけたお母さまは、わたしを見るとにっこりと笑う。


「いらっしゃい、リズ。お茶はいつものアップルティーでいいかしら?」


「はい、ありがとうございます」


 わたしはお母さまの向かいの椅子に座る。

 ラリサ伯夫人が年若い名誉女官にお茶を持ってくるよう告げる。お茶が用意されると、ラリサ伯夫人は洗練されたカーテシーののち、女官を連れて下がった。


 若い時からお母さまに仕えてくれている彼女には、物心つく前からお世話になっている。歳を重ねるごとにすてきな女性になっていくのよね。わたしもあんな大人の女性になりたいなあ。

 しかも、伯爵夫人でありながら女伯爵でもあるなんて、とてもかっこいいと思う。

 そんなことを考えていると、お母さまが口火を切った。


「それで、話って何かしら? 相談事?」


 わたしは言い淀みながら、膝の上で指を組み合わせたり外したりする。


「実は……昨日、お付き合いしていたベルノルトさまとお別れしたのです」


 お母さまを刺激しないために、彼の浮気が原因だということは伏せておく。お母さまって優雅に見えて、怒ると怖いのよね。

 お母さまは頬に右手を当てる。


「まあ」


「そうしたら、どこからそれをお聞きつけになったのか、お父さまがお見合いを勧めてこられて……」


「……わたくし、聞いていないわ」


 あ、雲行きが怪しくなってきた。このままだと夫婦の危機になりそうな予感。

 わたしはすかさず、今回のメインの相談事である次の話を持ち出す。


「そのあとでハーラルト・ロゼッテさまに告白されて。色々なことが重なったので、わたし、どうしたらいいのか分からなくなってしまって」


 お母さまは目を瞬かせた。


「まあ……ついに、ハーラルト君があなたに告白したのね」


 どうやら、お母さまもハーラルトの気持ちに気づいていたらしい。……わたし、鈍すぎない?


「お母さまは、いつ頃からお気づきに?」


「あなたたちが小さい頃からよ。彼は子どもの頃から、あなたのことが好きだったから」


「いくつくらいの時からですか?」


 お母さまは宙を見つつ、顎に長い指を当てる。


「あなたが四歳の時からかしら。ハーラルト君は七歳だったわね」


「そんなに昔からですか!?」


 いくら子どもとはいえ、四歳児を恋愛対象として見られるものなの……?

 お母さまは笑顔だ。


「大人から見ても、とてもほほえましかったのよ。あなたもハーラルト君にとても懐いていたでしょう?『ハーラルトお兄さまと結婚のお約束をしたの!』って、大きな目をキラキラさせて……」


 わたしは思わず叫んだ。


「えっ!? 覚えておりません!」


 本当に覚えていない。

 ハーラルトが四歳のわたしを好きになったとして、結婚の約束をするまでにもうちょっとかかるはずだ。多分、わたしが五歳くらいの時? それにしたって、四、五歳の頃のことなんて、よほど印象に残っていなければ覚えていないわよ。

 お母さまはくすりと笑う。


「でも、ハーラルト君は本気だったはずよ。指輪ももらったでしょう?」


 指輪……? 子ども同士のすることだから、おもちゃの指輪だろうけれど……どうしよう、まったく覚えていない。


「そんなはず……」


「捨てた覚えがなければ、まだ部屋にあるんじゃなくて?」


「お母さま、失礼いたします!」


 言うが早いか、わたしはお母さまの部屋を飛び出した。リシエラにも声をかけず、自分の寝室に戻る。

 ハーラルトからもらった歴代の誕生日プレゼントを収納してある箱や家具を捜すが、見つからない。

 わたし、どうしてこんなに必死になって捜しているんだろう。ハーラルトのことを好きなわけでもないのに。


 ふと、飾り棚キャビネットの中に置いてある小箱が、ガラス越しに目に入る。子どもの頃に使っていた、いかにも小さな女の子が好きそうな装飾過多な箱だ。

 わたしは飾り棚に近づくと、小箱を手に取った。蓋を開ける。中には、安価な青い石のはまった小さな指輪が入っていた。子どもの指でないとはめられないような可愛らしい指輪。


「あ……」


 突風に乗った花びらが吹きつけてくるみたいに、急速に記憶が蘇る。


 ──ハーラルトおにいさま、そのゆびわ、どうしたの?


 ──お小遣いを貯めて、妹の指輪を譲ってもらったんだ。この石、リズの瞳の色に似ていて、すごく綺麗だろ?


 ──うん! とってもきれい!


 ──リズ、左手を出して。


 ああ、そうだ。それから、彼はちょこんとひざまずき、わたしの小さな薬指に指輪をはめてくれたのだ。


 ──結婚の約束をする時は、指輪を贈るものなんだって。


 そう言いながら、照れたように笑って。

 わたしは彼のことが大好きだった。多分、わたしの初恋。将来は「ハーラルトお兄さま」と結婚するんだと思っていた。


 でも、いつからだろう。成長するにつれて、王女の自分と子爵令息の彼との身分の差を感じるようになって、いつの間にか諦めてしまっていたのだわ。

 わたしは指輪を手に取り、掌の上に乗せた。部屋に射す陽光を反射して、青い石がキラキラと光る。そのまま指輪をそっと握り、部屋を出、再び二階へと足を向ける。


 お母さまの部屋に入る。お母さまはお茶を飲みながら、わたしに瑠璃色の瞳を向けた。

 わたしは手を開き、指輪を見せる。


「お母さま……わたし、好きだと思えそうな方とお付き合いしてもよろしいですか」


「当たり前じゃない。無理して縁談を受けることなんてないのよ」


 お母さまの目はとても優しかった。


「ありがとうございます。あの、それから、バタバタしてごめんなさい。わたし、これから行かなければならないところがあるので」


 わたしはある決意を胸に、小走りに扉へと向かう。


「行ってらっしゃい」


 お母さまの声がうしろから聞こえた。

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