第三話 突然の告白

「お帰りなさいませ、リズさま」


 自室の奥の間に戻ると、わたし付きの寝室女官リシエラ・メーヴェ・グライフが入り口で出迎えてくれた。

 波打つ黄金色の髪はおとぎ話に出てくるお姫さまのよう。それだけじゃなく、青玉サファイア色の瞳に、とっても整った華やかな顔立ちをしていて、わたしよりひとつ歳下の十五歳なのに、いつも冷静沈着。


 しかもお父君は廷臣筆頭で外国の宰相に匹敵する大法官、お母君はお母さまの首席私室女官という、家柄も申し分ない伯爵令嬢でもある。わたしが一番頼りにしている友人だ。


 今回のベルノルトの件も彼女が調査してくれたからこそ、決定的な証拠を集めることができた。結果、スムーズに別れ話が進んだのだから、本当にできる女官だ。

 恋人が王女だと、みんな別れを渋るという大問題があるのだ。親から「家のために絶対に王女殿下と結婚しろ」とでも言われているんだろうなあ……。嫌だ嫌だ。


 ベルノルトに別れを切り出す時も、リシエラについてきてもらおうかとも思ったのだけれど、調査に当たった彼女が逆恨みでもされたら大変なので、一人で片づけることにした。


 リシエラは「父に鍛えられているので大丈夫ですよ」と言っていたっけ。うん、やっぱり頼もしい。

 わたしより背の低いリシエラがこちらを見上げてくる。


「リズさま、首尾はいかがでしたか?」


「リシエラのおかげで、無事にお別れできたわ。『無事に』というのも変な話だけれど」


「それはようございました。ベルノルト殿のような最低浮気男はリズさまにふさわしくございません」


 さらっと毒舌を吐く。でも、わたしには分かる。調査を担当してくれただけあって、リシエラが相当怒っているということが。わたしのために怒ってくれる親友、それが彼女だ。

 わたしはほほえんだあとで、新たな問題を相談しようと話題を変える。


「ありがとう。でもね、今度はそのことを知ったお父さまが縁談を勧めてこられて……嫌なら断っていい、とは言っていたけれど、きっと、前から考えていらっしゃったのだと思う」


「ですが、リズさまは恋愛結婚をなさりたいのでしょう?」


「ええ。わたし、そのくらいしか夢がないもの」


「立派な夢だと存じますよ。ご自分でお相手をお探しになりたいのなら、お断りするしかございませんね」


「そうよね……ありがとう。リシエラに相談してよかったわ」


 わたしがお礼を言うと、リシエラは神話の女神さまみたいに、にっこり笑った。

 そのあと、リシエラがお茶とお菓子を手配してくれた。わたしは彼女と一緒に長椅子に座る。主の話し相手を務めるのも、女官の大切な仕事なのだ。

 わたしは破局の直後、ディーケお姉さまにお説教されたことなどを話した。


「でね、姉は不思議なことをおっしゃっていたの。自分でお相手を見つけたいのなら、もっと周りを見回したほうがいいとか、わたしを大切にしてくれる人は近くにいるかもしれないとか。どういうことかしら?」


 気づくと、リシエラが茶碗ティーボウルを持ったまま、穴の空きそうなくらいじっとこちらを見つめている。


「……本当に、お心当たりはございませんか?」


「ええ、ないから訊いているのだけれど」


 リシエラは黙ってお茶を飲んだ。沈黙。

 ……ん? 何?

 お茶を飲み終えたリシエラが茶碗を受け皿ソーサーに戻す。


「……まあ、わたしは、好きな女性になんのアプローチもできないようなヘタレた殿方は見ていてイライラするほうなので、仕方ないとは存じますが」


「え? どういうこと?」


 リシエラは明後日のほうを見てニヒルにほほえむ。


「リズさまは相当鈍くていらっしゃいますねえ」


 わたしはたくさんの疑問符を浮かべながらも、それ以上追求することもできず、お茶菓子をつまむ。あ、このマカロン美味しい。

 お茶のあとはお義兄にいさまの母国語、シーラム語の授業だ。それも終わると、夕食までの間、勉強で硬くなった身体をほぐし、のんびり過ごす。ノックの音が響いた。


「リズさま、リシエラでございます」


「入って」


 わたしが返事をするなり入室してきたリシエラは、珍しく少しそわそわした顔をしていた。

 わたしは思わず尋ねる。


「どうしたの?」


「メタウルス子爵のご令息、ハーラルトさまが、リズさまに謁見を申し込んでこられました」


「え? 今から? 昼間会ったばかりなのに」


 疑問に思ったものの、ハーラルトはどうでもいいような理由で謁見を申し込んでくるような人ではない。


「分かったわ。今からお会いするとお伝えしてちょうだい。大広間にお通しして」


「かしこまりました」


 リシエラが廊下に出ていく。

 わたしは寝室を挟んで続き部屋になっている大広間に移動する。主に、来客を招く時や家庭教師の授業を受ける時、楽器を演奏する時などに使う、自室の中でも一番大きな部屋だ。白い椅子に座ってハーラルトを待つ。


 しばらくすると、リシエラに案内され、ハーラルトが入室してきた。昼間に会った時より、ずっと緊張した顔をしている。

 ぎこちない動作でお辞儀し、「このたびは謁見のご許可を賜り、ありがとう存じます」と恭しく挨拶する。

 わたしはほほえんだ。


「そうかしこまらないで。さあ、そちらにかけて」


 ハーラルトは席についた直後、わたしの隣にたたずむリシエラを見やった。


「あの……できれば人払いをお願いしたいのですが……」


「王女殿下の恋人でもない殿方と大切な主君を二人きりにするわけには参りませんので」


 冷静に応じるリシエラ。だけど、その表情がものすごく意地悪に見えるのは気のせいかしら?

 ハーラルトがかわいそうになり、わたしは思わずリシエラに声をかける。


「彼はわたしの幼なじみだから大丈夫よ」


「殿下がそうおっしゃるのなら」


 リシエラは優雅にカーテシーをすると、退室していった。

 わたしはハーラルトの向かいの椅子に座り直す。


「……それで、どうしたの?」


 ハーラルトはわたしと目を合わせ、思い詰めた顔で口を開く。


「実は、どうしても言いたいことがあって……」


「何かしら?」


「昼間会った時、君が恋人と別れたと聞いて安心した」


 なぜ、ハーラルトが安心するのかしら。


「……でも、縁談が持ち上がっていると聞いて、今日は仕事が手につかなくて……」


 いえ、だから、なぜそうなるのかしら。

 ハーラルトは膝に乗せていた両の手を握り合わせ、若草色の目に力を込め、こちらをじっと見つめた。つられて、わたしも彼から目が離せなくなる。


「気づいてくれないようだから言うよ。君のことがずっと好きだった。子どもの頃からだ」


 ???

 思考が停止するわたし。


「縁談の相手って、きっと顔も知らない男だろう? そんな奴じゃなく、俺を選んでくれないか」


 え……えー!?

 好き……? ハーラルトが、わたしを?


 顔と耳が熱くなっていくのが分かる。

 ハーラルトの顔も真っ赤になっていた。

 彼は真剣なのだ。

 わたしは口をぱくぱくさせたあとで、ようやく小さな声を出す。


「……ちょっと、待って……頭が追いつかなくて……」


「待つよ。時間がかかってもいい。どうか考えておいて。──俺は、君の恋人になりたい」


 ハーラルトはすっと立ち上がると、再びお辞儀をして大広間を出ていく。

 あとに残されたわたしは椅子に座ったまま、呆然としていた。

 しばらくそうしたのち、ハッと我に返る。


 彼はわたしのことが好きなのだ。返事をしなければ。けれど、どう返事をすればいいのか分からない。

 もちろん、ハーラルトには親しみを持っている。でも、異性として好きなのか、と問われてもよく分からない。


「……どうしよう。どうしよう!?」


 頭を抱えて喚いていると、ノックのあとに扉を開く音がした。

 もしかして、彼が戻ってきたのかと思い、恐る恐るそちらを見る。リシエラだった。わたしは彼女に駆け寄る。


「リシエラ! どうしよう!? ハーラルトに告白されちゃった!」


 泣きつくわたしを前に、リシエラは目を細める。


「さようでございますか。ハーラルトさまも、どうやらただのヘタレではなかったようで」


 その言葉に、わたしはようやくピンときた。


「もしかして……『好きな女性になんのアプローチもできないようなヘタレた殿方』って、ハーラルトのこと!? リシエラは彼の気持ちを知っていたの?」


「はい。分かりやすすぎますから。ディーケ王太女殿下をはじめ、ほとんどの方がお気づきだと存じます」


 ……なんてことなの。

 気づかなかった自分を全力で平手打ちしたい気持ちに襲われながら、わたしは脱力したのだった。

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