第二話 幼なじみ、ハーラルト・ロゼッテ

 さっきからずっと、お姉さまに言われたことを考え込んでいるけれど、まったく心当たりがない。

 わたしの身近に、こちらを大切にしてくれて、しかもお付き合いできそうな男性なんていたかなあ?


 うんうん唸りながら部屋に戻るために廊下を歩く。等間隔に並ぶ警衛中の近衛騎士たちが、無礼にならない範囲で怪訝そうにこちらを見る。

 さっきの応接室は主に廷臣が身内と会うための部屋。誰が好き好んで、これから別れる恋人を自室に招きたいと思う? ここ幻影宮・東殿の一階は、わたしたち王女と側仕えの廷臣たちの居住空間だ。


「フェイエリズ王女殿下、こちらにおいでになりましたか」


 声をかけられて振り向くと、お父さま付きの侍従が歩いてくるところだった。

 わたしは立ち止まる。


「どうかしましたか?」


 侍従は胸に右手を当て、一礼したあとで告げた。


「国王陛下がお話があられるそうでございます」


 なんだろう?


「陛下は今、どちらに?」


「二階の居間においでになります」


 二階は両親の居住空間だ。休日でもないのに、お父さまが昼間から東殿にいらっしゃるなんて珍しい。


「そう、ありがとう。早速参ります」


 わたしは侍従に付き添われ、王女専用の階段(わたしたち姉妹が生まれる前は、王子専用だったらしい)を目指す。折れ曲がる階段を上り、二階に出る。さらに廊下を進み、両親がくつろぐ時に使っている居間の前に到着した。

 侍従が分厚い扉をノックして呼ばわる。


「国王陛下、フェイエリズ王女殿下がお越しでございます」


「入ってくれ」


 お父さまの声だ。

 扉脇に立つ近衛騎士が扉を開けてくれたので、わたしはお礼を言って広い部屋の中に入る。


 長椅子に座るお父さまの灰色がかった青い瞳が、こちらに向けられる。背にかかるくらいの長さのまっすぐな黒髪が揺れ、端正な白皙はくせきの顔に笑みが浮かんだ。


 第二十一代マレ王国国王にして、シフ王朝第五代君主、シュツェルツ・アルベルト・イグナーツ。

 男子しか王位に即けず、女性に家督の相続権がなかったこの国の制度を変え、側妾制も廃止し、遅れていた辺境の医療体制を大きく改善した改革者。その人柄と安定した統治から、臣下からも国民からも圧倒的な支持を得ている希代の国王。


 でも、見た目は全然そんな風に見えない。四日後に四十三歳になる、ただのかっこいいおじさまだ。


「リズ、呼び出してすまないね。かけなさい」


「はい」


 わたしはお父さまの向かいの長椅子に座った。その間に、お父さまはわたしに付き添ってくれた侍従に下がるよう命じる。

 それにしても、一体なんのご用だろう? お父さまとは食事のたびに顔を合わせている。お昼には何も言われなかったんだけどな。


「それで、お話というのは……?」


 わたしが切り出すと、お父さまは少し言いにくそうな顔をした。


「……あー、こういうことは非常に話題にしづらいんだが──リズ、彼氏と破局したそうだね?」


 え!? 情報早ッ! さすがこの幻影宮の主……。


「ま、まあ……そうですね……ついさっき」


「別れたのもこれで三人目だろう? 自分で相手を探すというのも、自主性があってとてもいいことだと思う。だが、親としては少し心配でね。……そろそろ、お見合いでもしてみないかい?」


「え……」


 思わず口ごもる。恋愛結婚したいという子どもの頃からの夢をお父さまに否定されたような気がした。針で刺されたみたいに胸がチクリとする。

 わたしの反応を見たお父さまは慌てたように片手を振ってみせた。


「もちろん、嫌ならいいんだ」


 わたしは、なんとか声を絞り出した。


「……少し、考えさせてください」


「本当に、嫌なら断っていいから」


 お父さまは繰り返し言い募った。基本的に優しい方なのだ。

 でも、お父さまがおっしゃった次の言葉に、わたしはどうしようもなく反発してしまった。


「今回の縁談を見送ったとしても、リズを大切にしてくれそうな他の男を探すよ」


 恋愛結婚が夢だとは言っても、わたしはしょせん、必要とあらば政略結婚するしかない王女だ。それでも、結婚相手を親任せにするのは嫌だ。

 これが、取り柄のないわたしが誇れる、たったひとつのこと。

 わたしは大きく息を吸って、はっきりと告げる。


「もし必要であれば、お父さまがお勧めになるお相手に嫁ぎますが、お許しいただけるのであれば、引き続き自分で探させてください」


 お父さまのお顔に動揺が走る。


「そ、そうか……。悪かったね、急な話を持ち出して」


 そう言い終えたお父さまは、困ったようにほほえんだ。


   *


 居間を出たわたしは、階段を下りて一階に戻った。一人で廊下を歩き、突き当たりにある自室を目指す。


「あの……! フェイエリズ王女殿下!」


 今日は呼び止められることが多い日だわ。振り向くと、そこにいたのは侍従でも近衛騎士でもなく、幼なじみのハーラルト・ロゼッテだった。

 わたしよりみっつ歳上の彼は、女の子よりもずっと綺麗な顔に緊張をたたえ、こちらから少し離れて立ち尽くしている。


「あら、ハーラルト、久しぶりね。そうだ! 昨日は誕生日プレゼントをありがとう!」


「……気に入っていただけましたか?」


 ハーラルトは自信なさげだ。でも、あのプレゼントは人生最悪の誕生日を和らげてくれた。

 家族で祝う誕生日会に出席するのは無理でも、毎年、一生懸命に選んでくれただろうプレゼントを、ご両親を通じて贈ってくれる彼の存在は、わたしにとって癒やしだ。


「ええ、とってもすてきな髪飾りだと思ったわ。それに、ついている石がわたしの瞳と同じ色なんだもの」


 ハーラルトは少し大きめの目を細め、花がほころぶような笑顔になった。


「よかった……」


 ……本当に綺麗な顔をしているわね、ハーラルトは。

 改めて、彼の姿を見つめる。後頭部のやや高い位置で結わえた、赤みがかった薄茶色の長い髪。男性にしては大きめなのだけれど、涼し気な艶っぽい若草色の瞳。小作りな鼻と唇。

 まごうことなき美少年──いえ、美青年だ。


 それだけじゃなく気も利くし、子どもの頃から優しかったし、ハーラルトの恋人になる女性は、きっと大切にしてもらえるに違いない。

 そこで、わたしはある疑問に気づく。


「そういえば、ハーラルトは今、正殿の資料編纂室にお勤めしているのよね? 東殿に何かご用?」


 ハーラルトは若干引きつった笑みを浮かべる。


「……はい、そんなところです」


 うーん、彼の様子がさっきから妙にぎこちないというか……久しぶりに会ったから緊張させてしまっているのかしら?


 ハーラルトはお父さまに仕える秘書長官の長男で、今でこそ頻度は減ってしまったものの、昔から家族ぐるみの付き合いをしてきた。わたしにとってはお兄さまのような存在だ。

 その彼にこうして気を遣わせてしまうのは、なんとなく忍びない。

 わたしはさり気なくハーラルトに歩み寄り、距離を詰めた。


「ねえ、ハーラルト、敬語はやめて。呼び方も昔みたいに『リズ』でいいわ」


「え……ですが……」


 ハーラルトも背が伸びたわね。揃って上背のある両親の血を引いているからか、わたしは女性にしては長身なほうだけれど、彼のほうが四アーロ(約八センチメートル)ほど背が高い。


「わたしたち、幼なじみでしょ?」


 ハーラルトを見上げて尋ねれば、朱を差すように彼の頬がほんのりと赤くなった。


「……うん。じゃあ、君がそう言ってくれるなら……」


「ええ。ようやく、わたしの知っている『ハーラルトお兄さま』が戻ってきたわ」


「懐かしいな……。リズは昔、俺のことをそう呼んでくれていたね。……ところで、差し出がましいことを訊くようだけど」


「何?」


 わたしが首を傾げると、ハーラルトは覚悟を決めたような顔をした。


「昨日の誕生日は楽しく過ごせた? ……その、恋人と」


 せっかくハーラルトと再会できて、気分が上がってきたのに……と思いはしたけれど、仕方ない。彼はわたしとベルノルトの破局を知らないのだ。

 わたしは手短に説明する。


「さっき別れてきたわ。浮気されたの」


「そ、そう……」


 そう応えた時のハーラルトは怒っているような、ほっとしているような、複雑な表情を浮かべていた。


「ごめんね、変なことを訊いて」


「ううん、気にしないで」


 それで会話を切り上げておけばいいのに、わたしはつい、余計なことを口走ってしまった。


「実はね、そのことを知った父から縁談を勧められたの」


「え……!? 話を受けたの?」


「いいえ。自分で相手を探したいと伝えたわ」


「そ、そう」


「でも、わたしは王女だから……そんなわがままばかり言っていていいのかな、とも思うの」


 隠していた迷いが口をついて出た。何も飾り立てることがなかった頃の、素の自分を知っている相手を前にしたからだろうか。

 ハーラルトは悲しそうな目でこちらをじっと見つめていた。でも、しばらくすると我に返ったように早口で言う。


「あまり思い詰めないほうがいいよ。俺以外にも相談して。じゃあ俺はこれで」


 くるりと背を向け、足早に去っていく彼のうしろ姿を半ば呆気に取られながら見送る。


「……なんだったのかしら?」


 首を捻ったあとで、ハーラルトがアドバイスしてくれた通り、身近な人に相談してみようと決める。

 今度こそ自室に戻るために歩みを進めていく。廊下に飾られている一点の絵画が目に入った。


 わたしが生まれる前に流行っていたという、レースで縁取られたフードをかぶった、黒髪に青い瞳の女性の肖像画。父方の祖母だ。彼女がこの国に嫁いできた頃に描かれたものらしい。

 似ている。髪の色も、すっと通った鼻筋も、唇の形でさえ。違うのは瞳の色合いだけ。彼女の瞳は海のような青だけれど、わたしの瞳は灰色がかった青。


「……わたし、お祖母さまに似たくなんてなかった」


 掠れたようなその呟きは、広い廊下に反響することもなく、消えていった。

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