第33話:クライマックス
ファミレスを出たあと、俺は駆け出した。
行き先は当てずっぽうに過ぎなかった。
椎名志乃が、思い出の場所だと答えた場所だ。
『今では嫌なことがあれば逃げ出してしまう場所になりましたけど』
当たっている保証は、どこにもない。
ただ、ジッとしている時間が勿体無かった。
動き回らなければ、見つからないと思った。
ポケットからスマホを取り出し、志乃ちゃんに電話を掛ける。
「クッソタレがッ!!」
でも、返事はない。ありえない。
俺が連絡をすれば、すぐに返事を返してくれるのに。
今日に限っては、俺が幾ら連絡を取っても全く返事がないのだ。
も、もしかして……既に自殺を図ったのか……?
いや、そんなはずないよな? そんなことは絶対にないよな?
まだまだ言わなければならないことが沢山あるのに。
俺はまだまだ感謝の言葉を伝えてられてないのに。
だから、間に合ってくれ。まだ、間に合ってくれ。
もう一度、携帯を取り出して、掛け直してみる。だが、繋がらない。
やはり、本気で死ぬつもりなのだろうか。ふざけるなよ。
俺は心が弱いんだ。
面白くないと批判されて、小説を二度と書かないと決断するぐらい。
それなのに……。
大切な自分の後輩が死んでみろ。俺はもう二度と立ち上がれないぞ。
だがな、生憎だったな。俺に見つかったのが運の尽きだ。
俺は絶対に志乃ちゃんに自殺などというふざけた真似はさせない。
「お前がその気なら、俺が止めてやる」
着信拒否はされていない。
ならば、ずっと掛け続けるしかない。
こうするしか、志乃ちゃんを止める方法がないのだから。
走りながら電話を掛けた。電話を掛けた。電話を掛けた。
だが、出ない。出ない。出ない。
そして、また電話を掛けようとしたとき——。
電話が掛かってきた。
着信相手は、椎名志乃からだった。
『……先輩ですよね?』
電話越しに聞こえてくる志乃ちゃんの声は弱々しかった。
今までずっと泣きじゃくっていたのだろう。声に張りが全くなかった。
「あぁーそうだよ」
『ですよね、わたしが先輩に電話かけてるんだから』
「いま、どこにいるんだ?」
『それは教えられません』
「いいから教えろ!」
俺は叫んだ。
だが、返ってきた言葉は——。
『無理です。言ったら、先輩来ちゃうから』
「言わなくたって、俺はお前のそばに行ってやるよ」
『絶対教えません。でも、今から行く場所なら教えてあげますよ?』
「どこだよ?」
『とってもとっても遠い場所です。わたしはそこでお父さんとお母さんと暮らします』
「おい……そ、それって?」
『次に先輩と会えるのはもっと先になるかもしれませんね』
自殺しようとしているのだ。
自殺すれば救われると思っているのだ。
このバカは。
「ふざけるなッ!! 何をバカみたいなことを言ってるんだよッ!!」
『先輩は知らないんです。わたしが最低な人間だってことを』
「なんだよ……? それ」
『わたしはこの世界に生きてちゃいけないんです。疫病神なんです。周りの人を不幸にさせちゃう最低な人間なんです。わたしみたいなダメ女が生まれてきたから、お母さんもお父さんも早死にしちゃんたんです。わたしが……わたしが……二人の人生を奪ったんです。いや……わたしが殺したんですよ、あの二人を……あはは。わたしが疫病神だから……わたしが悪い子だから……あの二人を不幸にしちゃったんですよ……』
椎名志乃がどんな過去を送ってきたのかは知らない。
けれど、凄惨な日々を送ってきたのだろう。
何度も何度も死にたいと思いつつも、それでも今まで生き長らえたのだろう。
今日まで。ずっとずっと。
「俺は志乃ちゃんの過去なんか知らないし、一ミリ足りとも興味ねぇー」
『なら、何も言わないでください! わたしは楽になりたい……』
それは叫びのようだった。心の奥底から溢れ出てきた言葉。
だが、俺は決して許さない。
志乃ちゃんが悩んで悩んで出した結論かもしれない。
けれど——俺はそんなふざけた答えを絶対に許さない。
「ふざけるのもいいかげんにしろよ!」
うざいとかお節介焼きだとか。
そんなふうに思われるかもしれない。
どうして、お前にそこまで言われなければならないんだ。
そんなことを思われるのは当たり前だ。
だがな……志乃ちゃん。それは俺だって一緒だよ。
どうして俺がもう一度小説を書かなければならないんだ。
最初はそんな気持ちだった。正直、関係ないだろと思ってた。
「何が疫病神だぁ? 誰が疫病神だ?」
だけどなぁ、俺は救われたんだよ。
志乃ちゃんがいなければ。志乃ちゃんのあのお節介焼きがなければ。
俺は
「今、俺が喋っているのは、夢を諦めた作家を救ってくれた天使だろ?」
椎名志乃は俺の恩人だ。
小説を書けなくなってしまった俺にもう一度火を付けてくれたのだ。
だからさ、と呟いてから、俺は断言する。
「お前は絶対に疫病神なんかじゃねぇーよ!」
『……先輩は分からないんです。わたしの苦しみが分からないんですよ。お前は死んだほうがいいって、お前なんて要らない子だ、お前なんて生きる必要がない、お前なんて生まれてこなければよかったと言われたことがありますか? 今でもそんな悪夢や幻聴に悩まされているんです。ずっとずっと……ずっとずっと……夜寝ようとする度に、聞こえてくるんです。嫌な記憶が、親戚中の家をたらい回しにされた思い出が……。先輩は温厚育ちだから……わたしの気持ちなんて一生分からないんですよ……』
志乃ちゃんが俺の家に泊まった日も、彼女は悪夢や幻聴に悩まされていたのだろうか? だからこそ、あの日、彼女は眠れずに廊下にいたのか?
「あぁ、正直俺には志乃ちゃんの苦しみが分からない。多分、俺が想像している以上に、志乃ちゃんは苦しいんだと思う。志乃ちゃんは辛いんだと思う。だけどさ、俺は志乃ちゃんを理解してあげることができない!!」
『ふふっ……そ、そうですよ……先輩は分からないんですよ、ほら』
不思議な声だった。
勝ち誇ったかのようにも、全てを諦めたかのようにも聞こえたのだ。
「それでも俺は椎名志乃のそばにいたい。志乃ちゃんの悩みを共有することも共感することもできない。ただ、苦しんでいる志乃ちゃんのそばにいることぐらいはできると思うんだ」
数秒間の沈黙が起きた。
その間に、通話越しから風の音が聞こえてきた。
強風が吹き荒れているのだろう。椎名志乃がいる場所は。
「こんな俺でも、多少は心の支えになれると思うんだ。だからさ、もっと頼ってくれねぇーか? もっと俺を信じてくれねぇーかな?」
『……違います。先輩、わたしはもう救われていたんです。わたし、何度も何度も死のうと自殺を試みようと思っていたんです。でも死ねなかったんです。そんなある日、先輩の作品に出会いました。本当に偶然でした。ただ、それが全てのキッカケでした。もう少しだけ頑張ってみよう。もう少しだけ生きてみようと思えたのは』
涙ぐんでいた。
それでも必死に言葉を作ろうとしていた。
『先輩の小説が、わたしの生きがいでした。毎日更新される小説を読んで、明日もまた生きてみようと思いました。次から次へと先輩は小説を書いてくれたから、毎日が楽しみで仕方がなかった。続きの展開はどうなるんだろうとずっとずっとワクワクしていた。それに、わたしが感想を書いたら、返事をくれた。疫病神なわたしが送った感想に、先輩は『作家冥利に尽きます。素敵な感想をありがとうございました。あなたのおかげで今日もまた執筆頑張れます』と返信をくれた。嬉しかった。素直に嬉しかった。あぁ、そうか……必要とされているんだって。わたしはここに生きていいんだって。わたしはここに存在していいんだって』
疫病神。
そう名乗る人物から、毎日のように感想をもらっていた。
だからこそ、俺は毎日執筆活動に励むことができた。
『先輩がわたしを必要としてくれた。だから、わたしは生きていけた。毎日感想を送って、毎日返事をもらって、今日も明日も明後日も、ずっとずっと生きていける。そう思っていた矢先、偶然行った高校のオープンスクール。そこで、わたしは運命と出会った。そう、文芸部に所属している佐倉海斗という名の男子高校生に出会えた。わたしを必要としてくれたあなたに。わたしの感想に毎日真摯に対応してくれたあなたに出会えた』
今まで饒舌だった志乃ちゃんの声が止まった。
そして、数秒が経ったのちに、ドスの効いた声で続けて。
『だけど、その日を境に、先輩の小説は連載が止まってしまった。何の声明もなかった。何の音沙汰もなかった。それからずっとずっと。疫病神のわたしが先輩に会ったからだって思った。疫病神のわたしがまた迷惑をかけちゃったんだって。だから、これ以上迷惑をかけられないと思った。少しでも罪滅ぼしがしたかった。書けなくなった先輩のお世話しなければならないって。そして、もう一度先輩に小説を書かせたら、次こそはもうこの世界から消えてやろうって……。消えなければならないって……』
志乃ちゃんの話は分かりにくかった。
言語化できてない部分が多いし、まとめるのが難しいのだろう。
ただ、聞いていた側の意見は、悲劇のヒロイン振ってる。
ってのが、本音だ。
話を真剣に聞いていたが、結論がこの世界から消えてやる?
どうしてクダラナイ解答しか導き出せねぇーんだよと。
それ以上にムカついたのは——。
「勝手に人様を自殺する物差しにしてんじゃねぇーよ!!」
事情は分かっている。
だが、俺の動向次第で、死ぬと決めるなんてバカげている。
「さっきから聞いてりゃぁ、迷惑を掛けただとか、これ以上迷惑はかけられないだとか、お世話しなければならないだとか、この世界から消えなければならないだとか、ゴチャゴチャうるせぇーんだよ!」
口から勝手に言葉が出てきていた。
次から次へと色んな想いが溢れてくる。
そして、俺の脳裏に浮かび上がってきた。今までの記憶が。
屋上で初めて志乃ちゃんと出会ったとき。
『先輩の作品は世界一面白いですッ! わたしが保証しますッ!』
志乃ちゃんが家の前で待ち伏せしてたとき。
『先輩……? 学校に行きたくないからって、仮病はいけませんよ』
志乃ちゃんが俺のためにお弁当を作ってくれたとき。
『今日実は手作りなんです。先輩への愛を込めて一生懸命作りました』
俺が黒羽先輩と一緒にいて、志乃ちゃんが嫉妬してたとき。
『教えてください。誰ですか……? その後ろの女性は……』
志乃ちゃんが思い出の場所に連れて行ってくれたとき。
『先輩ー!! 何やってるんですかー!! 海ですよー海―!』
こんな可愛い後輩が死んでいいのか?
答えはもう決まってる。絶対にそんなの許さない。
俺は拳をギュッと握りしめて、宣言する。
「志乃ちゃんがこんな
『……それは無理な相談です。先輩は無事に小説を書き終えることができました。だから、もうわたしの出番は終了なのです。わたしが居なくても先輩はきっと大丈夫。それにわたしみたいな女の子がいたら、先輩にまた迷惑をかけちゃいます……だから、もうわたしのことなんて——』
変な幻想に取り憑かれている後輩を救うために、俺は言う。
「何が出番は終わりだ。まだまだ始まったばっかりだろうがぁ!」
『きっとわたしに嫌気が差す日がくるはずです。わたしは周りの人を不幸にさせてしまうから……。先輩だって、すぐにわたしから離れます……』
「勝手に決めつけんなよ! 俺はお前を絶対に一人にさせない。それに周りの人を不幸にさせるだと? それは確実に違う!」
誰が、小説から逃げ出した作家にもう一度小説を書けと言ってきた。
誰が、今までそんな作家を支えてきたと思ってんだ。
「現に、俺は椎名志乃。お前に会って、俺は幸せになったぞ」
『そ、そんなのウソです。ただ……優しいから言ってるだけで』
「俺の本心だよ。だって、志乃ちゃんは——」
電話が切れた。まだまだ伝えたいことだらけだったのに。
スマホを確認する。真っ暗になってしまった画面だ。充電切れだ。
「ふざけるなよ、ど、どうして……こんな結末なんだよ……!!」
現実ってのは、どうして毎回融通が利かないんだよ。
だが、不満を漏らしても問題は解決しない。
「頼む……絶対に当たっててくれよ。頼むぞ……」
俺は一縷の望みをかけて、もう一度走り出す。
そこにきっと彼女がいると信じて。絶対に間に合ってくれよ。
そう思いながら、首から掛けたペンダントを強く握りしめた。
◇◆◇◆◇◆
緑と青に溢れるどこにでもある普通の街。
人口は減少傾向にあり、少子高齢化が囁かれている。
そんな街には、ちょっとした隠れ絶景スポットが存在する。
夕陽が綺麗に映える展望台が。
午後六時を迎えた今も燦々と輝き続けている。
景色は最高に良いのだが、ここは少しだけ危ない。
一応、鉄の仕切りがあるのだが、険しい海岸沿いに作られているのだ。
足を滑らせてしまうだけで、真っ逆さまに落ちてしまう。
即死は免れないだろう。運良く助かったとしても、重症決定である。
「……あれっ? 電話切れちゃった」
そんな危険な場所に、茶髪ショートの少女がいた。
少女の名前は、椎名志乃。
両親を亡くし、天涯孤独の日々を過ごす高校一年生だ。
中学時代までは親戚中の家を転々としていたのだが、高校進学を気に一人でアパート暮らしを始めた。でも、もうその家も契約を切ったが。
だって、彼女は今日自殺しようと考えているのだから。
今、ここで死んで、現実世界の嫌なことから全て逃げ出そう。
そう考えているのだから。もう何も怖くなかった。
それなのに——。
少女は右手にギュッとスマホを握りしめて。
「……先輩の身に何かが起きた?」
考えれば考えるほどに、嫌な予感が思い浮かんでしまう。
電話をしているときから、息切れをして苦しそうだった。
もしかしたら、自分を探しているのかもしれない。
そして、先輩は不注意で車に引かれてしまったとか。
「そ、そんなことないよね……そ、そんなこと……」
椎名志乃は大きく首を振って、最悪な結末を否定する。
けれど、決意は変わらなかった。寧ろ、決意が固まっていた。
「最後に先輩の声も聞けたし……もう十分だ」
椎名志乃は、佐倉海斗に連絡を入れた。
自分が死ぬなんて言えば、必ず引き止める。
そう分かっていたはずなのに。
「本当にわたしは疫病神だよ……最低な女の子だ……」
自分でもどうしてと何度も思った。どうして連絡を入れたのだと。
だけど、その理由は分からなかった。もしかしたら、引き止めて欲しかったのかもしれない。自分はもっと生きたかったのかもしれない。
そんな淡い気持ちが少なからず、あったのかもしれない。
「でも……これ以上は迷惑をかけられないよ」
覚悟を決めた椎名志乃はベンチに腰掛け、靴と靴下を脱ぎ捨てた。
そして、『遺書』を靴とアスファルトの間に挟む。
あとはもう死ぬだけだった。何度も死にたいと思っていた。
やっと死ねる。やっと楽になれる。やっと自分は解放されるんだ。
椎名志乃は歪んだ笑みを浮かべて、ゆっくりと海へと近づいていく。
そのときだった。ザァーと大きな風が吹いた。
まるで、何かを予兆しているかのように。
西日に照らされた茶髪はサラサラと靡いた。
髪を抑えて、歩みを進もうとする。
「—————————————ッ!!」
だが、もう足が動かなかった。動かなかったのではない。
誰かに腕を掴まれ、驚いてしまったのだ。
椎名志乃はこの感触を知っていた。
一度、自分が拒絶してしまった少年の手だった。
「……もう二度と離さねぇーよ」
椎名志乃はその声を知っていた。
振り返らずとも分かる。分かってしまう。
突然現れた彼の登場に、椎名志乃は唇をぶるぶると震わせる。
そんな彼女の腕を大きく引き、後ろの彼は優しく抱きしめる。
この匂いを、椎名志乃は知っていた。
自分が一番この世界で大好きな人。自分の初恋を奪った人。
自分をこの世界で初めて必要としてくれた人だった。
志乃の身体を優しく包む少年の腕。彼の息が少女の首元をくすぐる。
「……せっ、先輩? どうしてここが?」
「言っただろ? 言わなくたって、俺はお前のそばに行ってやるってさ」
「せ、先輩……」
椎名志乃は涙を流してしまう。
ポタリポタリと溢れ出る水滴が白い肌を伝っていく。
「ど、どうして? こっ、ここにきたんですか?」
「バカなことを考える女の子を助けるためにな」
「せ、先輩……は、離してください。わ、わたしは」
椎名志乃は力いっぱいに手足を動かして、抵抗する。
だが、少年は力強く抱き寄せ、絶対に離そうとはしない。
「離したら、お前はここから飛び降りるんだろ?」
「……そ、それは」
志乃は口ごもってしまう。図星だからだ。何も言い返せなくなる。
「ほらな。なおさら、絶対に離さねぇーよ。お前が死ぬって言うんだったら、俺は死んでも離さねぇーよ」
「……わたしはダメな女の子なんです」
「俺だって、ダメな人間だよ。だが、それがなんだ? ダメな人間は死ななければならないってルールがあるのかよ?」
「……わ、わたしはこの世界に不必要な存在なんです」
この世界全てを拒絶するかのように、椎名志乃はキッパリと否定した。
何度も何度も、その言葉を口にしてきたかのように。
大粒の涙を流しながら。
「お前は本当に鈍感だな」
少年は一拍置いてから、続けるように言葉を紡いだ。
「この世界全てがお前を不必要と決めても、俺は絶対に見捨てない!」
不意をついた一言に、志乃は目を大きく見開いてしまう。
それでも、少年の口はまだ止まらなかった。
今まで一度も見せたことがないような笑顔を向けてきて。
「だって、志乃ちゃんは俺の自慢の専属アシスタントだからな」
その優しい言葉に、椎名志乃の表情は崩れてしまった。
今まで一度も彼女を必要としてくれていた人はいなかった。
だからこそ、嬉しくて嬉しくて、涙が溢れ出してしまうのだ。
今の今まで、ずっと堪えてきた涙が。急激に内側から込み上げてくる。
「せっせんぱい……せ、先輩……」
椎名志乃は自分が必要な存在ということを自覚できなかった。
自分がこの世界に不必要だとずっと思っていた。
無理もない話だ。
彼女はこれまでずっと疫病神だと囁かれていたのだから。
けれど、そんな彼女は既に必要とされる場所を見つけていたのだ。
「わたしは本当にダメダメな女の子です。先輩の専属アシスタントになりましたが、全然役に立てませんでした。そ、それでも……せ、先輩はわ、わたしをまだ専属アシスタントと認めてくれるんですか?」
最後の確認だった。まだ信用できないのだ。
本気で彼が言っているのかと。本気でそう思ってくれているのかと。
「当たり前だ。認めるに決まってんだろ?」
「……あ、ありがとうございます。せ、先輩……」
「ありがとうはこっちのセリフだ。今まで本当にありがとうな」
その後、二人は抱き合い続けた。
水平線上に浮かぶ夕日が海に沈むまで。
別に付き合っているわけではない。
それにも関わらず、抱き合い続けたのだ。
時間が経過すればするほどに、その緊張感が増していく。
そして、我に返って、変な気分になる頃。
「今からまだまだ小説をバンバン書くんだからな。もっともっといっぱいいっぱい書きたい話があるんだよ。だから、忙しくなるんだからな!」
先に切り出したのは、少年の方だった。
そんな少年の言葉を聞き、椎名志乃は満面の笑みを浮かべて。
「はい! で、でも……今だけは」
途中で言葉を止め、椎名志乃は少年に寄り掛かる。
少年よりも一回りほど小さい志乃の頭は、少年の胸元辺りに収まっている。そんな彼女を引き寄せて、少年は優しく抱き返した。
「そばにいてくれるという証明をしてください……」
椎名志乃は上目遣いで少年に懇願する。
狼狽る顔を浮かべることも、躊躇うこともなく、少年は動く。
そして、優しく志乃の顎を持ち上げ、自分の唇を近付けるのであった。
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