第32話:ターニングポイント④
「ふーん。あの、もう私帰ってもいいかしら?」
黒羽先輩はカップを優雅に持ち、ズズッと音を立てて飲んだ。
ブラックコーヒーを飲めない先輩は、ココアを飲んでいる。
わざわざ音を立てて飲むところを見るに、苛立ちが垣間見える。
「帰るの早すぎですよ! まだ来てから二十分も経ってないですよ」
「他の女がいる男にかまっていても時間の無駄でしょ?」
「全員既婚者だと知った合コンかッ! いや、確かに帰りたい気持ちは分かるけども」
場所は行きつけのファミレス『ハピフル』。
地元では有名なチェーン店らしいが、他の地域ではあまり見かけないらしい。
値段設定は良心的なので、俺と先輩はことある度に、このファミレスにお邪魔している。
そして、俺と先輩は、ドリンクバーとフライドポテトだけで、無駄に時間を潰すのがお決まりなのである。というか、ここでお互いに執筆活動に励んでいた。誰にも邪魔されず、小腹が空いたら、何か頼める最高の執筆環境なのだ。
「頼れるのは先輩しかいないんです」
「友達がいないのね」
「先輩に言われる筋合いはないと思うんですけど!」
週末ということで客数は若干多いものの、席が全て埋まっていることはない。掻き入れ時であるランチタイムを過ぎ、現在の時刻は午後四時を回ろうとしているところだ。
「毒舌も吐きたくなるわよ。久々に会いたいと言われて来てみたら、ウジウジと他の女の話を聞かされる立場を考えてみてよ。ねぇーこれって何かの罰ゲーム?」
言われてみればそうだった。
せっかくの休日にわざわざ呼び出されて、他人の長話を聞かされる。
そう考えると同情しかない。
肩をすぼめて俺はもう頭を下げるしかなかった。
「話を聞くに、それってただ振られた。それだけの話じゃないの?」
地味に胸が痛くなるようなことをさらりと言ってのけるな。
痛いところを突くというか、殆ど急所を狙う口撃である。
相手への配慮は一切なしだから、大変困るな。
「突然ですよ、突然。何も言わずに出ていくなんて……」
俺は、今日見舞いがてら椎名志乃のアパートを訪問した。
だが、そこはもぬけの殻で、意味が分からなかった。
そんなとき、偶然にも通りかかった管理人にはこう告げられたのだ。
『あ、そこに住んでたお嬢さんなら、昨日出ちまったよ』とさ。
欺くして、居ても立っても居られずに、黒羽先輩を呼び出したわけだ。
「人間の気持ちって、すぐに切り替わるわよ。愛情と憎悪は変換可能だから」
「だからって……」
「私も呼び出された直後は愛情で満ち溢れてたけど、今は殺意しかないから」
黒羽先輩はファークを掴んで、フライドポテトに突き刺した。
頼んでから暫く時間が経ってしまい、もうシナシナ状態だ。
そんなポテトをケチャップで真っ赤にして、先輩はパクリと口に入れてから。
「椎名志乃が自分を見捨てるはずがない。絶対に何か理由があるはずだ!」
少しだけ声を張り上げた黒羽先輩は、その後嘆息気味な声を出して。
「と、独占丸出しで自意識過剰な海斗くんは、そんな幻想を抱いてるわけでしょ?」
「そうですけど……」
「はぁー呆れた。それで連絡はしたの?」
「しましたよ。でも、既読が全く付かないんです。スタンプ連打もしましたけどね」
「男でスタンプ連打って、重たくない? 普通に引くわよ。ってかキモいわ」
う、うるせぇ。
こっちは志乃ちゃんから毎日のようにスタンプ連打された経験があるのだ。
一回ぐらいいいだろ、一回ぐらいはさ。
そもそもですねーとぼやきながら、俺はポテトをポイっと口の中に放り入れて。
「深夜帯に泣きながら電話をかけてくる人には言われたくないのですが……」
「それとこれとは話が別でしょ……細かい男は嫌われるわよ」
◇◆◇◆◇◆
「相手のSNSは? 何か手掛かりが見つかるかもしれないわね」
連絡が取れないなら、他の手を探すしかない。
黒羽先輩はナイスなアイデアをくれたのだが……。
「志乃ちゃんのアカウントは分かりません。俺、SNSやってないし」
何、コイツ使えねぇ。
みたいな表情で、露骨に嫌な顔をされてから。
「検索画面で、エゴサしてみれば? 何かヒットする可能性があるわ」
「えっ!! そんなことで?」
「人間という生き物は、承認欲求の塊よ。絶対に何かヒットするはずよ」
実際に本名で調べてみた。恐ろしいことに、ヒットした。しまくっていた。
『佐倉海斗くん、カッコいい』『佐倉海斗先輩、一目見ただけで好きになった!』『佐倉海斗さん、凄いです』『佐倉海斗は最強』『佐倉海斗は人間国宝レベルのイケメン』『佐倉海斗の生写真が欲しい人は、DMください。一枚1000円で取引します!』『佐倉海斗殺す』『佐倉海斗に死を与え給え』『佐倉海斗はこの世界から消えるべき』『佐倉海斗と繋がれる人、誰かいませんか?』『あのイケメン高校生は佐倉海斗だったのか……』
「俺のプライバシーって、法律で保護されないんですかね?」
「安心して。私がコイツらにはきつ〜いお仕置きをしてあげたから……ふふふふ」
怖い発言をしている先輩を無視して、俺のことを呟いていた人を見てみると……。
『もう二度と佐倉海斗様には近づきません』
『生きててごめんなさい』
『申し訳ございませんでした(土下座の写真付き)』
「一体何をしたんですか!!」
「ちょっとからかってみただけよ。合法的な手段でね」
「からかっただけで、生きててごめんなさいはならないでしょ!」
「人間は意外と脆い生き物なのよ。たった一言で壊れてしまうの」
何か、とんでもないことが起きたことだけは分かった。
詳しい事情は全く分からないけどね。
ともあれ、先輩に歯向かうのは、今後やめなければならない。
「自分の名前じゃなくて小説で調べてみたら?」
「自分の作品を調べるのか……ちょっと怖いな。批判コメントがありそうだし」
「大丈夫よ。気に食わなかったら、『こんな酷い感想が書かれていました』と作家アカウントで晒し上げればいいだけだから。他の作家や読者から『これは酷い!』『こんな読者は毒者です』『最低野郎ですね』などと労いの言葉をかけてもらえるし、尚且つ、読者の結束力を生むわ!」
「かまってちゃんにもほどがあるだろッ! こんな計算高い作家がいることに驚きだわ!」
「意外とこ〜いう作家は山のようにいるから。特に作家は承認欲求の塊だからね」
◇◆◇◆◇◆
「これって彼女じゃないの?」
黒羽先輩がスマホをかざしてきた。
『偶然見つけたWEB小説が面白かった。最初と最後で全然雰囲気が違う。始まりは甘々な先輩後輩の話だったのに、途中からシリアス展開が入って、そしてラストは自殺しようと企むヒスな先輩を助けてあげる後輩くんに感銘を受けた』
名前は疫病神。アイコンはなかった。
プロフィールにも何も書かれていなかった。
ただ、ツイートだけは、昔から何度も行ってきているようだった。
「ちょっといいですか?」
先輩のスマホを借りる。
新着順になっているツイートを確認してみる。
何気ない日常の呟き。
特に多かったのが、大好きな先輩のために作った弁当箱の写真。
どの呟きにも『今日も先輩が喜んでくれるかな。ドキドキしてる』なんて、乙女チックなことが書かれていた。他にも、先輩の家にお泊まりしたとき、先輩の家で打ち上げをしたとき、先輩と一緒にメイド喫茶に行ったとき、などなど、俺と志乃ちゃんが体験した日常と全く同じ出来事を、この『疫病神』と名乗る人物は呟いていた。
「これ……多分志乃ちゃんです。志乃ちゃんのアカウントだと思います」
決定的なツイートが見つかった。
『今日は小説のアイデアで悩んでいる先輩を、海に連れて行ってみました。お父さんとの思い出の場所なんだけど、そんなところを先輩に教えるなんて……でもそのおかげで小説のネタが思い浮かんだらしい。頑張れぇ〜先輩ッ! わたしはずっと見守ってるぞっ!』
知りたかった。志乃ちゃんのことがもっともっと知りたかった。
今、彼女がどこにいるのか。今、彼女がどこで何をしているのか。
気になって気になって仕方がなくなって、俺はツイートを遡っていく。
『何をしても楽しくない』『面白いと思える人生にならない』『毎日が苦しい』『毎日が辛い』『父親が死んでからずっとそうだ』『わたしは生きる意味なんて何もないんだろう』『ただ毎日息をして、生きる意味もないのに生きている』『疫病神だと今日も囁かれた』『わたしは要らない子だ。わたしなんてもう消えてしまえばいいのに』『早く死にたい』『楽になりたい』『生きるのが辛い』『もう死にたい』『こんな世界嫌だ』『誰か助けて』『もう嫌だ。死にたい』『生きる意味があるのかな?』『わたしみたいなゴミが生きてていいの?』『生きててごめんなさい』『助けて』『わたしは一生ひとりぼっちなんだ』『そうだ、もう死のう』『死んでしまえばいいんだ』『だけど、死ねなかった』『死のうと思っても思っても、何度も何度も生き残ってしまう』『生きたいのかな?』『まだ生きてていいのかな?』『生きる理由も価値もないのに、まだ惨めに生きてていいのかな?』
◇◆◇◆◇◆
「死にたい」
そう思ったのは、父親が死んでからどれくらい経ってからだろうか。
父親が愛して育ててくれた分を糧にして、頑張ってみよう。
頑張って自分が生きてやろう。父親の分まで、生きてやる。
そう決意したのは良かったものの、折れるのは早かったと思う。
——お前は要らない子だ——
——お前さえいなければ、みんな幸せになれたのに——
——お前が生まれてこなければ、何も起きなかったのに——
散々陰口を叩かれた。まぁ、本人の目の前で言ってるから、陰口にも該当しないと思うけど。真正面に向かって、人間の本心というか、人間の汚い部分を見せられるのは困る。
人間は全員心優しい存在なんだ。
そんな夢物語を持っていた、ただの女子中学生なんだからさ。
それでも一ヶ月は耐えたはず。でも、長くは全然続かなかった。
わたしって弱い人間なのかもしれない。わたしはダメな女の子だと思う。
だけど、言い訳ぐらいはさせてほしい。言い訳ぐらいはさ。
父親が死んだあと、この世界に取り残されたわたしを待っていたのは——。
悲痛な現実だけ。
両親を亡くした中学生女子を快く受け入れてくれる場所なんてどこにもなかった。
頼れる身寄りなんてどこにもいなかった。どこを探しても出てこなかった。
だから、わたしは一人で、ネットの世界に自分の想いを呟くことにした。
誰かに言葉を伝えたいわけでも、誰かに助けを求めてほしいわけでもなかった。
ただ、自分が生きているという証を残したくて。
◇◆◇◆◇◆
親戚中を転々とした。行く先々で酷い目に遭った。
無視は当たり前。喋りかけてきたと思ったら、ただ怒鳴られる日々。
気に入らなければ、ストレス発散とばかりに、殴られたり蹴られたりした。
少しずつ成長するに従い、わたしの身体は大人のものへと変わっていった。
そうして、段々と男たちの見る目が変わっていくのを、肌で感じていた。
気持ち悪かった。心底醜いと思った。人間腐ってるなと思った。
ただ、そこがわたしが生きている世界なんだと改めて思い知らされた。
自分の性欲を満たすために、わたしみたいな女の子に手を出そうとするなんて。
自分だけが君を救えるなんて、常套句を持ち出し、体の関係を求めてくるなんて。
断り続けていたのだが——。
そんなある日、突然押し倒された。学校から帰ってきた直後の出来事だった。
制服を着替えようとした瞬間に、扉が開いた。そう思ったときには、押し倒された。太くて大きな手で口を塞がれ、両足の間に片足を入れられ、無理矢理スカートを脱がされた。タバコの臭さが、鼻にまとわりついた。臭かった。逃げたかった。でも、逃げられなかった。暴れ回ったけど、無意味だった。喚き散らすわたしを、男は殴った。たった一発だけだった。頭が真っ白になった。それから鼻血がプシューと出てきた。ただ、情けや容赦は決してない。自分は吸血鬼ですと主張するかの如く、逆に男は息を荒々しく吐き出し、自分のベルトを緩め、自らの性器を露出した。ぷるんッとゼリーのように出てきた。お父さん以外のペニスを見るのは初めての出来事で、わたしは意味も分からず、ただ黙り込んでしまった。男は、わたしの頭を強引に掴んで、己の聳り立つモノを舐めさせようとする。だが、その瞬間、開け放たれていた扉から男の妻が立っていた。そして、興奮状態の男は正気を取り戻したのか、申し訳なさそうにズボンを履き直した。
欺くして、わたしは無事に難を逃れ、大事には至らなかった。心には深い傷を負ったけど。
わたしの人生にとって、最低最悪な出来事で、忘れたくても忘れられない事件。
というのは、今でも変わらない事実なんだけど、実はこの騒動をキッカケでわたしの人生は大きく変わることになる。
わたしの面倒を見てやってもいい。そう言ってくれる遠い親戚が現れたのだ。
どうやらその親戚は、世間体というのを気にする家系らしい。
元々地域一帯を牛耳ってた武士の末裔で、今もその地域では権力を持っているらしい。
変な噂話が流れれば、自分たちの保身も危うい。
そんな合理的な理由で、彼等はわたしを受け入れることにしたのだとか。
厄介者が来たとばかりに、露骨に嫌な態度で接せられた。
聞けば、お父さんとお母さんは駆け落ちしたんだってさ。お母さんは水商売で働く人だったんだと。そんな女性を好きになったお父さんは、お母さんとの間に子供を作った。
それが、わたしなんだって。俗にいうところの、出来ちゃった結婚。
もっと今風に言えば、授かり婚とか言うらしいんだけどさ。家族に結婚の相談を持ちかけたとき、「水商売なんかで金を稼ぐ女と結婚なんか許さん!」と断固反対されたとか。
というわけで、お父さんは家族との縁を切って、お母さんとの人生を歩み始めたのだと。
◇◆◇◆◇◆
新しい家での生活が始まった。
と言っても、わたしはずっと自分のために充てられた部屋に引きこもっていた。
男に突然襲われた。それも、自分よりも二回りも三回りも年上の男性に。
未遂で終わったけれど、もう少しで……と考えるだけで、恐怖心が募った。
男に襲われた可哀想な中学生女子。
そんな肩書きを手に入れたので、学校には行かなかった。
というか、行くのが怖かった。外に出るのが怖くなった。
もしかしたら、また襲われるかもしれないと思って。
だから、ずっとずっと部屋の中に引き籠り続けた。
二ヶ月、三ヶ月、四ヶ月、五ヶ月と。
大変嬉しいことに、この家は何も言ってこなかった。
放任主義か、それとも触らぬ神に祟りなしか。
わたしには一切触れてこなかった。
毎日のように廊下に朝昼晩と決まった時間に三食用意するのみ。
そして、わたしはその三食を胃袋に入れていた。
だが——。
——お前は要らない子だ——
——お前なんていなくなってしまえばいい——
——疫病神なんて消えちまえばいいんだ——
わたしは悪夢と幻聴に悩まされた。
暗くてジメッとした部屋に引きこもる生活。
空気は既に汚染され、明かりも殆ど入ってこない。
そんな場所にずっといるから、心も塞ぎがちになってしまったのだろう。
あるはずもない幻聴や幻覚に惑わされて、心が擦り減っていった。
布団の中にくるまってみても止まらなかった。耳を塞いでもずっと聞こえてきた。
言われ慣れてしまって、その声が今でもこびりついているんだと思う。
でも、我慢の限界が来た。起きている間は、ずっと聞こえてくるんだよ?
自分の嫌味が。自分が生まれてこなければ、どれだけ幸せだったかってさ。
そんなに言うんだったら、死んでやろう。本当に消えてしまおう。
どうせ、自分の居場所なんてないんだから。
そう思って、わたしは自殺を企ててるのであった。
◇◆◇◆◇◆
「どうせ死ぬなら華やかな死を選びたい」
細やかな願いだった。死ぬ間際の自殺志願者にとっては。
メモ帳に大量の自殺方法を考えてみた。
そして、自分の中でも使えそうなものと使えなさそうなものに分けた。
「う〜ん」
焼身→苦しんで死ぬのは嫌だ
飛び込み→死んだあとに多額の請求が来そう
ガス→ガス栓を捻ってみても、何の効果もなかった
首吊り→自宅で簡単にできるが、誰にも発見されず、肉体が腐敗するのは嫌だ
溺死→川や海で死ぬのはロマンチックだが、最後の瞬間は一番キツそう
飛び降り→ビルや学校の屋上から飛び降りたあと、周囲の眼差しに耐えられない
「溺死が一番かな? 最後は苦しいかもしれないけど」
悩みに悩んだ結果、溺死に決定した。
詳しい日程をどうするのか決めなければならない。
死に場所は海と決まったが、どこで死のうか。
まだまだ考えることは山ほどあるが、ワクワクが止まらなかった。
自分は近い将来死ぬんだ。あと少しで、自分の人生は終わるんだ。
そう思ったら、無性に頑張れた。死ねば楽になれると思って。
人生のゴールは、もう間近だと思ってさ。
「わたしみたいに自殺したいと思ってる子がいるかも!」
生きる意味なんてないけど。
だけど、死ぬ意味があるから、自殺しようとしている子がいるかも。
軽い気持ちで、ネット検索してみた。
自分と同じ境遇の同年代を見て、気が紛れればいいと思ったのかもしれない。
もしくは自分はもう時期に死ぬんだと、優越感に浸りたかったのかもしれない。
「見つけた……」
でも、それは小説だった。出版社から出ていたものではない。
WEB小説と呼ばれるもので、言わば素人が書いたものだった。
それなのに——。
「何これ……何ですか……こ、これは……」
わたしは感銘を受けた。
大人に縛れる少女が自殺未遂する話だった。
自分の境遇と似ていた。共感した、心の底から。
だけど、その少女には、一歳年下の少年がいた。
そして、そんな少年に自殺を止められ、少女はもう一度生きようとするのだ。
「こんなの現実じゃない……どれだけハッピーエンドなんですか……」
現実ではありえない。
そう思えるほどに、ご都合主義な内容であった。
感想欄では——。
『陳腐すぎてつまらない』
『先輩の闇が全部消えるはずがない』
『自殺止めただけで、こんなにハッピーエンドになるか?』
『甘ったるすぎる。作品が極めて雑』などと、手厳しく書かれていた。
だけど、わたしは——。
「あともう少しだけ生きてみよう」と思えた。
そんな荒唐無稽な作品が大好きだった。
伏線やシリアス展開を全部ちゃぶ台返しして、特大のハッピーエンドがある作品が。
何の脈絡もなく、自殺を止めた少年と、自殺を止められた少女は心を通じ合わせる。
そして、読者側がもう勘弁してくださいと思えるほどの、甘々な日常生活。
「生きていれば何か良いことが起きるかもしれない」
わたしの前にも、少年のような人物が現れるかもしれない。
自分を自殺を止めてくれるような。
自分みたいな惨めな人間を引き止める誰かが。
「本当にバカだな……現実はこんなに甘くないのに」
さっさと死のう。さっさとこの世界から消えてやろう。
そう決めていたのに——。
「誰が書いたかも分からない小説に救われるなんて……」
◇◆◇◆◇◆
遡れば遡るほどに、闇が深かった。
椎名志乃から一度だけ過去の話を聞いたことがある。
人間は悪魔になれると。人間は残酷になれると。
どんなことをされたのか、詳しく聞くことはできなかった。
だけど、俺の小説を読んで救われたと彼女から聞いたことがある。
「本当だったんだな……こんなに辛かったんだな……志乃ちゃん」
粗方のツイートを流し読みして、志乃ちゃんに会いたい気持ちが込み上げてきた。
もっと彼女に優しく接していればよかったと。もっと大事にしてあげればよかったと。
もっと彼女に何かできることがあったんじゃないかと。
そう思った瞬間、俺のLIMEに連絡が届いた。
志乃ちゃんからだった。そこにはこう書き記されていた。
——ごめんなさい、先輩。わたし、もう限界です——
——今までご迷惑をおかけしました——
——わたしは疫病神だから、この世界から消えることにします——
「ふ、ふふふ……ふざっけるなぁああああああああ!!!!」
ここがファミレスなんて関係なかった。
俺は声を荒げて叫び、テーブルを叩く。
こんなバカみたいな連絡を寄越した相手にだ。
店内の空気は静まり、そして数秒後にはまた騒がしくなった。
「何があったの?」
問いかける先輩に、俺はスマホ画面を見せる。
文面を読み、目を大きく見開いてから。
「それでどうするの? このまま見捨てるの? それとも助けるの?」
「そんなの決まってるでしょ。助けますよ、アイツには死なれてもらっては困る!」
俺は立ち上がった。
どこに行けばいいのか、どこに行けば会えるのかなんて分からない。
だけど——それでも必ず見つけ出して、連れて帰ってくる。
「なら、さっさと行きなさい。会計は私が済ませるから」
その言葉を聞いて、俺は財布から1万円を出した。
それをテーブルに置き、一直線に駆け出す。
そんな俺の背中に向かって、黒髪の少女は何か言っていた。
「呼び出すだけ呼び出して、お金も払わず他の女の元へ……本当最低な男」と。
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残り2話
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