第29話:ターニングポイント②

 無事に到着し、自転車を展望台にくっつける形で駐車した。

 見渡す限り、誰一人としていなかった。

 遠くから見たときには気づかなかったが、この展望台は大分傷んでいるようだ。

 コンクリートは剥がれ落ち、鉄骨部分は錆び付いている。


「先輩ー早く早くー来てくださいー!」


 一足早く展望台に上ったシノちゃんが手を振って催促してきた。

 子供だなと思いつつも、俺は階段を上がった。

 一足先に展望台からの眺めを堪能している少女の横に立った。


「————————ッ!!」


 平行線上に続く藍色深い海と、燦々と輝き続ける黄金色の夕陽。

 空高くには、多くの鳥たちが優雅に飛翔し、時折吹く潮風に揺れていた。

 そして、今更ながら、気付いた。夕陽が反射しているのだ、海に。

 自然が生み出した青色のキャンパス上には、反射した黄金球が映し出されていた。

 感動のあまりに声も出さずに、ただただ魅了された。

 まるで、時間という概念が存在しないかのように。

 俺は息も漏らさずに、ジィーと眺め続けることしかできなかった。


「どうですかー? どうですかー?」

「綺麗だよ」

「わたしが?」

「景色が」

「もうぉー素直に言ってくれればいいのにー」


 綺麗だと言われたかったのか、志乃ちゃんはほっぺたをぷっくらと膨らませる。


「こんな場所よく知ってたな」

「亡くなったお父さんとの思い出の場所なんです、ここは」


 亡くなったお父さん??

 そんな話は一度も聞いたことがなかった。

 ただ聞き返すわけにもいかないよな、家庭事情なんて。

 と、思っていたら、志乃ちゃんが自ら告白してくれた。


「小さい頃から何かあるたびに、お父さんがよく連れてきてくれたんです」


 欺くして、茶髪ショートの少女は、今は亡き父親との過去を語ってくれた。

 幼い頃に母親を亡くし、シングルファザー家庭で育てられた椎名志乃。

 亡き母親の分もより一層合わせて、父親は真心を込めて愛してくれたのだと。


「お母さんはいませんでしたが、わたしはお父さんと過ごせて物凄く幸せでした」


 椎名志乃が淡々と語る話は、どこの家庭でもある何気ない日常。

 普段は誰もが当たり前だと思えるほどの。

 でも、そんな当たり前だと思える日常こそが、幸せな日々なのだと。

 それは、それは楽しそうに、まるで昨日の出来事みたいに、彼女は語ってくれた。


 だけど——。

 そんな幸せな日々は突如として切り上げられた。


「二年前の出来事でした。お父さんが亡くなったのは」


 死因は過労死。

 突然、職場先で倒れて、そのまま息を引き取ってしまったらしい。


 それからというもの。

 当時まだ中学二年生だった椎名志乃は親戚中をたらい回しにされた。

 若くして両親を亡くした可哀想な少女と言えば、聞こえは多少いいかもしれない。

 だが、実際に彼女を揶揄して言われていたのは——。


「疫病神」


 椎名志乃は、はっきりとそう口にした。

 彼女が自ら何か問題を起こしたわけではない。

 それでも、彼女の周りで不幸が訪れているのだ。


 たった、それだけの理由で。

 たった、それだけの解釈で。


「人間は悪魔になれるんです。人間は悲惨になれるんです」


 天真爛漫で純粋無垢な少女——当時まだ中学二年生の椎名志乃。

 肉体は大人と遜色ないほどに発達しているものの、精神的な部分は未熟なまま。

 そんな少女の心は徐々に蝕まれていくのだ。人間の皮を被った悪魔の些細な言葉で。


「あの子、どうして生きてるんだろうね?」「両親の死因って、全部あの子のせいなんでしょ?」「施設に入れればいいんじゃないの」「ダメよ、ここで見放したら、世間体が悪くなるでしょ?」「折角、受け入れてあげたのに、部屋に引きこもって……もう面倒だわ」


 思い出したくもないはずの過去を吐き出した。

 海から強い潮風が吹き、夕陽に反射した彼女の明るい髪が僅かに揺らいだ。

 前髪に隠れた横顔からは、何も読み取ることができなかった。

 でも、風が静まった頃には、椎名志乃の表情は朗らかになって。


「そんなとき、わたしは偶然にも、先輩の小説に出会いました」


 ネット検索していたら、偶然にも見つけてしまったネット小説。

 読者も少なければ、評価も少ない、どこにでもある平凡なストーリーだった。

 だけれど、当時消えてしまいたいと願っていた少女の心を救ってしまったのだという。


「先輩の小説は毎回毎回最後はハッピーエンドになる」


 どんな不幸が起きたとしても。

 どんな辛い現実があったとしても。

 どんな過酷な日々だったとしても。

 最後の最後には、誰もが幸せになれる特大のハッピーエンドが待っているのだから。

 だからこそ——。


「わたしは先輩の小説に惹かれたんです。だから、先輩の小説が大好きなんです!」


 平凡なWEB小説の登場人物に、自分を重ねて。

 椎名志乃は楽しんでいたのだ。救われた気持ちになっていたのだ。

 俺はそんな話を聞きつつも、言い返す言葉を見失ってしまっていた。

 何か言うべきなことは分かっている。だが、思いつかないのだ。


「ええと、ご、ごめんなさい。何か変な話になっちゃいましたよね……えへへ」


 何も言わずに黙り込んでしまう俺に代わって、志乃ちゃんが言ってくれた。

 言葉の最後に、愛想笑いさせてしまう自分が情けなかった。


「さっき、ここはお父さんとの思い出の場所と言いましたけど」


 懐かしむようにも、自嘲するようにも聞こえる声色で。


「今では嫌なことがあれば逃げ出してしまう場所になりましたけど」


◇◆◇◆◇◆


 しんみりとした空気が漂い、大変気まずい状況になってしまった。

 俺はどちらかと言えば、重苦しい空気が大の苦手なのだ。

 喋りかけるタイミングを見失い、俺がどうしようかと思っていた頃。


「浜辺にも行ってみませんか?」


 志乃ちゃんからの提案で、俺たちは展望台を降り、浜辺へと向かった。

 ざぁざぁと、波が押しては引いてを繰り返している。

 気持ちの良い音で、執筆時に聞けば集中力が増しそうな気がしてしまう。

 先程まで、俺の隣にいた茶髪ショートの少女は靴を脱ぎ捨て、水の中をしゃばしゃばと歩き回っていた。濡れないように、スカートを折り曲げている。

 そうすると、白くて艶かしい両足が見えてしまうわけだが、無邪気に遊んでいる彼女が気付くはずがない。


 逆に片手を上げながら。


「先輩ー!! 何やってるんですかー!! 海ですよー海―!」


 一緒に遊ぼうと誘っているのだ。

 ただ、生憎なことに、俺はそこまで海というだけではしゃげるはずがない。

 可愛い水着姿の女性がいれば、話は別だが。


「いいよ、別に。俺はその辺で適当に寝てるから遊んでくれ」


 断りを入れて、俺は浜辺から岸へと戻ろうとする。

 わざわざ高校生になって、海で遊ぶなんてバカげている。

 リア充と呼ばれる連中は水の掛け合いで楽しむらしいが、俺にはさっぱり分からない。服が濡れて面倒だし、足を滑らしたらずぶ濡れになる可能性がある。

 故に、俺は——。


「逃しませんッ! 誰が一人悲しく海で遊ぶと思ってるんですかー!」


 海から戻ってきた志乃ちゃんが、俺の腕を掴んできた。逃すまいと強く引っ張られ、俺は小波の元へと連行されていく。足元に触れる水面が冷んやりとし、体の体温を奪われているようだ。でも、俺の腕を掴む小さな手が放つ熱で中和されるのだ。


「で、何集めてるんだ? 貝殻か?」


 志乃ちゃんの手元には、ビニール袋があった。細々としたものが入っている。


「シーグラスです!」


 何それという不思議な表情を浮かべていると、志乃ちゃんは袋を開いた。

 そして、ガラスの破片を取り出した。促されるままに渡されて気付いたのだが、ガラスの破片と言えど、尖っている部分は殆どなかった。何度も何度も波にさらわれ、岩や石に当たったことで、丸みを帯びた形に変わったようだ。


「でも……あれだな、何か」


 ざらざらした肌触りで、本来の色を曇らせたような色。

 全体の形も歪で、もう少しどうにかできればと思ってしまう。

 俺の発言意図を理解したのか、志乃ちゃんは言う。


「磨いたら結構輝いて可愛いんですよ!」

「ふーん」


 俺は空返事をしつつ、志乃ちゃんのシーグラス探しを手伝うことにした。


◇◆◇◆◇◆


 三十分にも及ぶ散策の結果、ビニール袋いっぱいになった。

 嬉しい気持ちもあるのだが、逆に言えば、ビンの不法投棄が頻繁に起きているということだった。海を大切にしようという看板があるのに、全く効果はないようだ。


「はぁ〜つ、疲れたぁ〜」


 日頃の運動不足と、連日続いた寝不足の影響で、俺はクタクタになってしまう。

 何気に、気が遠くなるほどに上り坂を自転車で漕ぎ続けたのが、祟ったのかも。

 ほどよい温かさに保たれたアスファルトに横になっていると。


「膝枕してあげましょうか?」


 意地悪な笑みを浮かべた志乃ちゃんが、覗き込んできた。


「結構だ」

「でも、痛くないですか?」

「そ、それは……」


 渋る俺とは打って違い、志乃ちゃんは俺の隣に座った。

 それから、俺の頭を持ち上げると、ここが先輩のあるべき場所です。

 とでも、言うように、自らの太腿の上へと置いてくれたのだ。


「何か、照れるな……こういうの」


 真正面を向くと、志乃ちゃんと視線が合ってしまう。

 目が合うたびに、朗らかな笑みを浮かべてくるのだ。

 その笑顔一つで、俺の心をメトロノームのように動かしてしまう。


「遠慮しなくていいんですよ。手伝ってくれたお礼です」


 志乃ちゃんは囁くように言うと、俺の頭を撫でてきた。

 泣き止まない赤子をあやす母親のように優しい笑みを浮かべて。


◇◆◇◆◇◆


 俺が気付いた頃には、夕陽は徐々に紫色に染まりつつあった。

 どうやら、眠っていたようだ。そして、大変喜ばしいと言うべきか、それとも大変な事態が起きたと言うべきか、俺の顔は柔らかな感触に埋もれているのであった。


 その正体は何か??


 志乃ちゃんの豊満な胸だった。柑橘系の甘酸っぱい香りが漂ってくる。

 俺が寝てしまったように、志乃ちゃんも途中で眠ってしまっていたらしい。

 というわけで——スヤスヤと頭を上下に振りながらも、今も可憐な少女は就寝中だ。



「ご、ごめんなさいー!! 全然気付かなくて!」


 目覚めたばかりの志乃ちゃんは、謝罪してきた。

 俺の寝顔を見ていたら、そのまま自分も寝てしまっていたらしい。


「それにお見苦しいものを……先輩の顔に近づけて」

「いや……俺のことは気にするな」


 女性足る部分に埋もれる機会なんて、今後一生ないかもしれないからな。


「でも不思議ですよね。わたしたち以外、誰もいないなんて」


 展望台には駐車場がある。

 でも、車は止まってないし、人っ子ひとり見当たらないのだ。

 自販機やトイレなども用意されているのに。

 観光スポットとしても、見晴らしがいい場所だと思うんだけどな。


「もしかしたら、もうこの世界にはわたしと先輩しかいないのかもしれません」


 志乃ちゃんはそう呟くと、隣に座る俺の肩に身を寄せてきた。

 ちょこんと頭を乗せられるも、何もせずに、ただ彼女を受け止める。


「俺たち二人だけが、他の世界に隔絶されたとでも言うのか?」

「はい、そんな感じです。今までの世界から違う世界線に飛んだみたいな」


 紫色に変化し、夜の到来を示す空。

 あれほど輝いていた夕陽は地平線上に続く海へと沈んでいく。

 まるで、二人だけの世界はここでお終いですと告げるように。


「それじゃあ、先輩帰りましょうか?」


 一足先に立ち上がった志乃ちゃんが、服をパタパタとはたいた。

 それから、俺へと手を伸ばしてくれた。俺はその手を掴んで、立ち上がる。


「ところで、アイデアは出てきたんですか?」

「生憎なことに、全く出てこない。今のままじゃあ、もうマジで笑い者だよ」


 自嘲気味に吐き捨てた俺に対して、志乃ちゃんは笑いながら。


「何も思い浮かばないなら、わたしをヒロインにしちゃいますか?」


 その瞬間——。

 俺の脳内に電撃が走った。バチッバチッと。

 今まで、一度も噛み合わなかったパズルのピースが全部揃うように。

 次から次へと、物語の構想が勝手に組み込まれていく。


「それだよッ!」


 興奮した俺は、志乃ちゃんの肩を両手で掴んでいた。

 突然、押さえられてしまい、最高のアイデアをくれた少女は戸惑いの表情を浮かべている。


「せ、先輩……こ、こんなところでだ、大胆です」

「それなんだッ! それでよかったんだよ!」


 俺の目は節穴だった。

 どうして今の今まで気づかなかったのだろうか。

 椎名志乃という最高のヒロインがこんな近くにいることに。


「ありがとう。やっぱり最高だぜ、志乃ちゃんはさ」


 俺にしか書けない物語があるじゃないか。

 俺にしか絶対に書けない個性的な物語が。


「えっ? どうしたんですか? いきなり」

「よしっ、帰るぞ!」

「帰るって?」

「決まってんだろ。書くんだよ、俺にしか書けない最高の作品をな」


—————————————————————————————————

作家から


 28話と29話はまとめて投稿する予定でしたが、今後の展開を担う話だったので、最後の最後まで悩みまくりました。トライアンドエラーを繰り返し、これが一番の出来だと思い、現在投稿した次第であります。


 椎名志乃の過去編は、超絶鬱展開で進めるパターンも考えました。

 もうね、癒えない傷跡が残るほどの陰鬱な過去を抱いている方向性も。

 ただ……作品の方向性とは違うなと思い、軌道修正させました。


——次回予告——


 佐倉海斗と椎名志乃は作品を完成させ、締め切りに間に合わせる。


 そして、文芸部廃部を賭けた、熱き勝負が始まる。


 天性の才能だけで上り詰めてきた少女が勝つのか。

 天才を超えるために努力し続けた少女が勝つのか。

 それとも——。


 一度敗北を知り、絶対に超えてやると誓った少年が勝つのか。

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