第28話:赤ちゃんプレイはお好きですか?

「うんぎゃあああああああああああああああああああああああ」


 日曜日の夕方。

 窓から差し込む西陽は体温をポカポカさせるのに。

 俺の精神はズタボタに引き裂かれ、叫ぶことを止められなかった。


「先輩、赤ちゃんプレイを所望ですか?」


 執筆専用の椅子に座って悩んでいる俺の元へ、志乃ちゃんがやってきた。


「俺をどんな人間だと思ってるんだ!」

「突然、おぎゃっちゃうミルク待ちの少し大きな赤ちゃん?」

「魔法少女の公演か! お姉さんがマイク片手に『大きなお友達』と表現するのに通じるものがあるわ!」

「まぁまぁ、今もおぎゃって。でも、もう大丈夫ですよー」


 椅子に腰掛ける俺の後ろに回り、志乃ちゃんがギュッと抱きしめてくる。


「ミルクは出ませんけど……おっぱいをチュウチュウするぐらいなら」

「俺のミルクが出ちゃうけどいいの?」


◇◆◇◆◇◆


「さっきの発言、セクハラですからね」


 志乃ちゃんは怒っていた。

 自分から下ネタはOKだが、相手から言われるのはNGらしい。


「言い始めたのは、そっちだからな」

「ノーコメントです」


 両手の人差し指でバッテンを作って。


「で、先輩、どうしておぎゃってたんですか?」

「おぎゃるというのはやめてほしいが……アイデアが出てこなくてな」

「で、おぎゃっていたわけですか。お腹空いた赤子同然ですね」

「ばぶー!(イクラちゃんの真似)」

「……先輩、現実逃避から幼児退行化が!」

「違う違う、普通にボケただけっつの。てか、もう赤ちゃんネタやめない?」


 俺と志乃ちゃんは真剣に、今後を話し合うことにした。


「先に言っておきます。先輩、ドンマイです」

「負け確演出やめろ! 勝負はまだ終わってないっつの」

「と言いながらも、もう今日は日曜ですよ。今まで何をしていたんですか?」

「夏休み最終日の母親かよ! 甘やかすだけ甘やかして、現実突きつけるのやめろ!」


 同級生にも言えるよな。

 全然勉強やってないー。宿題とか全然やってないー。

 と言いつつも、九月一日には、ちゃんと全員宿題を提出してくるんだよな。

 んで、その嘘に騙されて、居残り勉強させられる生徒を何人見てきたか。


「今のままでは、先輩は負け決定ですね。アレだけの啖呵を切ったくせに作品も完成させることもできず、親指をしゃぶって見守るだけはとっても情けないですよ?」

「俺は指をしゃぶるクセなんてねぇーよ! でも、まぁー正直このままじゃあ——」


 被せるように、志乃ちゃんが続けてきた。


「——負け犬ですね。イキるだけイキって何も成し遂げられない、マジで痛い奴です」


——アイツ、廃部を取り消そうとして失敗したらしいよ。でも負けたんだって〜

——学園最強とか言ってるけど、負けてるじゃん。てか、自称? マジで笑うんだけど

——絶対に負けない発言して完敗って、自分を主人公と勘違いしちゃった系かな〜?


「そ、それだけは嫌だ、絶対に嫌だ……考えただけで……社会的に死んでしまう」

「社会的な尊厳を失っても大丈夫ですよ。わたしは、先輩のずっと味方ですから!」

「ううう……俺にはもう志乃ちゃんしかいない」

「頼られるのは悪くないですね。それでは気分転換にしましょう!」


 気分転換だ。

 グチャグチャな頭の中を一度整理するためにも、気分転換は必要かも——。

 いや、待て待て。


「昨日、気分転換でゲームしたが、全くアイデアが出てこなかったんだが?」

「でも、結局、その後も出てこなかったじゃないですか?」

「くっ……そ、それは……」

「ベストセラーのビジネス書に書いてましたよ。考えるよりも行動しろと」

「俺も読んだことあるぞ。行動する前に考えろとな」

「自己啓発本特有の矛盾ッ! どっちを信じればいいのか分からない問題ッ!」


 ボケてばっかりの志乃ちゃんがハイテンションなツッコミしている。

 そんな新鮮さがありつつも、俺は訊ねてみる。


「んで、気分転換って何するんだ?」

「外に出かけましょうッ! 引きこもりがちな先輩は新鮮な空気を吸うべきです!」


◇◆◇◆◇◆


 というわけで——。

 俺と志乃ちゃんは外に出かけた。

 と言っても、歩きではなく、自転車。

 荷台には可愛い後輩を乗せて、ペダルを漕いでいるのだ。


「先輩、わたし……やっぱり歩きますよ」


 幸先だけは良かったものの、途中で現れた長くて急な坂。

 全力で漕いでいるのだが、全く進まなかった。

 一人分の重みではなく、二人分の重みを動かすのだから、そう簡単ではない。


「いいからいいから。俺だってやるときはやる男だからさ」


 自転車に可愛い少女と二人乗り。

 俺は、そーいうのを何と呼ぶのか知っている。

 青春だ。青い春だ。

 スターツ文庫出版の少年少女が、いつもやっていることだ。


「もう少しで坂も終わるし、慣れたらペダルが回るようになるんだよ。ほら、今も——」



 急激にペダルが軽くなった。

 青春パワーか。それとも乳酸が溜まって軽くなったと錯覚しているのか。

 何はともあれ、あともう少しだ。しっかし捕まっとけよ。

 と、俺が後ろに振り向いてみると——。


「……志乃ちゃん、何やってるの?」

「自転車を押してるんです。こっちのほうが断然早いですから」

「俺の青春の一ページを返せッ! これじゃあ、補助輪を外したばかりの自転車練習だよ! 父親と一緒に泥だらけになってもやったあの頃が懐かしいわ!」


 俺と志乃ちゃんは、坂を上りきることができた。

 上り坂があるということは、言わば、下り坂があるということでもある。

 自転車に速度計も付けていないので、どのくらいのスピードかは分からない。

 けれど、ブレーキを一切かけずに、急な坂を下っていく。


「で、その展望台ってのはまだなのかー?」


 風がビュンビュンと耳の横を通り過ぎていく。

 実は、本日のお出かけには目的地があるのだ。

 志乃ちゃんが、どうしても行きたいという展望台が。

 欺くして、俺と志乃ちゃんは、気分転換がてら向かっているわけだ。


「もう少しですよー。あっ……あそこに見えるのがそれです!」

「よしっ……飛ばすぞ。しっかりと捕まっておけよ」

「は、はい!」


 志乃ちゃんが腹に細い腕を回し、ギュッと寄り添ってくる。

 顔が背中にピタッとくっついているのが、見なくてもはっきりと分かった。


「捕まれとは言った、軽く抱く程度でいいぞ。あと、お腹はくすぐったいからやめろ」

「嫌です。こんな機会二度とないかもしれませんから」


—————————————————————————————————

作家から


 今日もう一話投稿する。志乃ちゃんの過去が判明します。

 ちょい鬱展開が入るので、苦手な方は少々覚悟を……。

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