第25話:ストーカー気味な後輩が家に侵入しました

「ムフフフ、ここが先輩の家ですか……クンクン、先輩の匂いで充満してます!」


 土曜日。

 俺の家に入った茶髪ショートの後輩——椎名志乃は浮かれまくっていた。

 今まで家まで来たことはあったが、入らせたことは一度もなかったのだ。


「当たり前だろ、俺の家なんだからさ」


 グレー色のふかふかニットに、肌の露出が激しい黒のプリーツスカート。腰にはベルトを巻き、スカートがずり落ちないようにしている。制服姿ばかり見ていたせいか、私服姿の志乃ちゃんは一段と大人な女性に見えてしまう。


「あぁ、先輩が吐いた空気がわたしの身体の中に……あぁー幸せぇ〜」


 大人な女性ではなかった。ただの危険人物で間違いないな。

 使い古された白のエナメルバッグを斜めがけにする姿は、まるで部活帰りに来ましたという出で立ちだ。

 そんな健康少女はバッグからビニール袋を取り出した。


「で、それは?」

「もちろん、先輩家の空気を持ち帰るためですよ!」

「ここは甲子園球場か!」


 新鮮な空気を回収した志乃ちゃんはニコニコ笑顔だ。俺の家を観光地か遊園地とでも勘違いしているのだろうか。ともあれ、玄関前で突っ立っているのは疲れるし。


「さっさと俺の部屋に行こうぜ」

「でも、御家族に挨拶したほうが……あぁー、父親は海外に単身赴任。そして母親は敏腕仕事人だから家を出てる。で、妹さんは就寝中ですか」

「自問自答するな! あと、人の家事情を勝手に把握するな!」

「これはテレパシーです」


 志乃ちゃんはそう言いつつも、キョロキョロと頭を動かした。初めての家で、色々と気になる点があるのだろう。俺自身も誰かの家に行ったら、結構見ちゃうんだよな。


「脳内に直接悪質電波を流し込んでやろうか?」

「まぁまぁ、落ち着いてください。可愛い後輩が家に来て、ハァハァしたくなるのは分かりますが……あ、先輩の部屋はどこですか?」

「ええと、俺の部屋は二階の——」


 俺の言葉を遮るように、志乃ちゃんが被せてきた。


「左側の一番端部屋ですよね?」

「高校生クイズ選手権の猛者か! 問題文読まれる前に答えるのカッコいいけどさ」

「ちなみに起床した先輩が朝カーテンを開けて一日の始めを噛みしめるときに『おはようございます。先輩』と電柱に隠れて見守っている乙女ですよ」

「乙女じゃなくて、お咎めもんだよ。人怖エピソード炸裂しちゃってるし」


◇◆◇◆◇◆


「あ、そうだ……先輩。ケーキ持ってきました!」

「わざわざ気を遣わなくてもいいんだぞ」

「執筆にはエネルギーが使うと思うし、糖分は大切です!」


 駅前のケーキ屋で購入したらしい。箱には店名が筆記体で書かれていた。

 オシャレ感満載で、俺なら絶対一人で買いに行けないな。

 もらえるなら何でももらっとけ思考の俺は有り難くケーキを頂戴した。


「んじゃあ、俺の部屋で待っててくれ。これ冷やしてくるからさ」

「わかりました。では早速先輩の恥ずかしい思い出を漁りたいと思います!」

「やっぱり、ここにいろ! 近くのコンビニ行ってきますのノリで言うな!」

「そんなにわたしと一緒がいいんですねー。照れ屋さんなんだから」

「消去法だよ。子供の頃に遊んだ川渡り問題を思い出したわ!」


 冷蔵庫にケーキを冷やしたあと、俺はジュースとお菓子を取り出した。

 炭酸系が苦手みたいなので、志乃ちゃんにはオレンジ。俺はコーラ一択だ。

 俺の家では、1.5Lは買わない。炭酸が抜けて美味しさが半減するからだ。

 最近登場した700mlのペットボトルが、一人分ではちょうどいい。


◇◆◇◆◇◆


「あ、先輩……パンツ見ないでくださいね」


 俺の部屋に行くために通る階段前。

 志乃ちゃんは手を後ろに回して、スカートを抑えた。


「それならお前が後ろから来い!」

「えー、それは嫌です。折角、勝負下着で来たのに……」

「即落ち二コマぐらいのスピードで矛盾が起きてるぞ」


 見ないでください。

 そう言われて、見ないように注意はした。

 だが、階段という特殊環境、前を向くと後輩のパンツが嫌でも目に入ってしまう。

 白い肌の先にある赤色の布切れが、みっちりと肉感溢れる太ももに挟まれていた。


「先輩、見ましたね。罰金ですよ?」

「不可抗力だ」

「ということは、見たって認めるんですね。エッチな先輩です」

「わざと見せたくせに……」


 勝負下着を見られて嬉しかったのか、露出狂少女は上機嫌だった。

 階段の途中にある窓を眺めながら。


「左端部屋の日差しが朝から入ってくるから最高の朝を迎えることができますよね」

「陽当たり事情詳しいな。不動産屋かよ!」

「もう少し明るい色のカーテンに変えるといいと思います」

「入る前に、本人よりも詳しい部屋事情を語るな!」

「これもテレパシーです」

「ストーキング行為の賜りだろ!」

「認められちゃいました……う、嬉しい!」

「褒めてない褒めてない」


◇◆◇◆◇◆


「ここが先輩の部屋ですか……」


 二階の一番左端部屋。

 つまりは、俺の部屋に招き入れると、志乃ちゃんは感嘆な声を上げていた。

 同年代の男の家というのは気になるのだろうか。

 志乃ちゃんの視線は左から右へと忙しなく動いている。気合いの入り方が野生の肉食獣だ。気になることがあったのか、志乃ちゃんは口を開いた。


「先輩の部屋って殺風景ですよね?」

「小難しいけど、率直な悪口! シンプルイズザベストなんだよ、結局」

「部屋中にわたしの写真を貼り付けていると思っていたのに」

「オシャレアイテムみたいな感じでいうな! 風水悪すぎだろ!」


 テーブルにジュースとお菓子を置いて、俺たちは今後の方針を話し合うことにした。

 志乃ちゃんはバッグからノートを取り出した。現在の状況をまとめたいのらしい。

 A4サイズのノートを広げ、ペンを持った。準備完了、いつでもクエストに参加できるぜという表情を浮かべている。

 だが、その前に気になることがあるのか、志乃ちゃんは言う。


「目元にくまができてますよ? もしかしてわたしが家に来るからって緊張して……」

「修学旅行前の小学生か! あがり症にもほどがあるだろ、後輩が来るだけで」


 結果、アイデアも全く出ずに、どん詰まり状況だというのが嫌なほどに分かった。

 締め切りは来週の水曜日。つまり、本日土曜日を入れても、5日しかないのだ。

 悲惨すぎる進捗を知りつつ、志乃ちゃんは難しそうな表情を浮かべる。素人ながらに、今のままでは小説が完成しないと分かるのだろう。と、思っていたのだが。


「それで、いつわたしは脱げばいいんですか?」

「脱がなくていい! てか、チラリとブラウスを曲げて、おへそを見せるな!」

「芸術作品に女体は付き物です! 近代芸術作品でも、現代の漫画作品でも!」


 その後も、志乃ちゃんは女体の素晴らしさを力説してくれた。愛用のノート片手に語る姿は、性職者にしか見えなかった。俺は彼女の話を聞きながらも、「うんうん」と生暖かい目しか向けることができなかった。

 確かに、女体は素晴らしい。男性にとっては、ロマンの象徴とも言うべき存在だ。


「女体は芸術なんです! 女体こそ、芸術の正統派なんですよ! 女体最高ッ!」


 ただ、一つだけ言えることがある。

 現代漫画は、男の煩悩が生み出した最高傑作だと思ってるが。

 ルネサンス期に活躍し、人文主義という高い志を持った人たちに比べるのは。


「その並列関係、ちょっと荷が重すぎないか?」

「そうですかね? 女体を上手く描きたい。その心は一緒のはずです!」

「動機は不純かもしれないがな。どちらも、人々を湧かせてるのは事実だな」

「そうですそうです! ではでは、濡れ場シーンを書いちゃいましょう!」


 エロい話を書けとノリノリな後輩には大変申し訳ないのだが、俺はズバリ言う。


「演劇の脚本だということを忘れてないか?」

「サービスシーンがないって……炭酸が抜けたコーラみたいなもんですよ」


 週刊少年漫画のラブコメには、一話毎に三回サービスシーンが必要と聞いたことがあるな。本当か嘘かは全く分からないけど、結構まともなことを言ってる気がするね。


◇◆◇◆◇◆


「お手洗い借りてもいいですか?」


 志乃ちゃんが立ち上がる。スラリと伸びた足が妙に艶かしい。抜群にスタイルがいいと改めて思い知らされる。


「あぁ。部屋を出て、右側にあるから」


 部屋を出る直前、志乃ちゃんは立ち止まった。

 そして顔だけ振り向かせて。


「追いかけて来ないんですか?」

「性に目覚めたばかりの小学生か! 尿音盗み聞きって、特殊性癖すぎるだろ!」

「……否定されちゃいました。もう少しで一生変態小僧呼ばわりできたのに」

「ハイリスクノーリターン。一生付き纏うには荷が重過ぎるわ」

「あの世でも剥がしませんけど」

「誰も得しないトロフィー称号ッ! 鬼畜難易度の選択ゲーか!」


 志乃ちゃんが部屋を出て行き、部屋には俺一人になってしまった。

 同年代の女の子を家に入れる経験は何度かある。その件に関しては、全然緊張はしていない。ただ、本日はお泊まりすると言い張っているのだ。


 もしかしたら俺が風呂に入っていたら——。


『先輩の背中、わたしがお流ししましょうか?』


 生まれたままの姿に、タオル一枚の志乃ちゃんが乱入してきたり。


 もしかしたら俺がベッドでぐっすり就寝中に——。


『先輩、夜這いに来ちゃいました。わたし、言いましたよね? 下の世話までするって』


 そのまま俺はストーカー気味な後輩ちゃんと一線を超えることがあったり……。


「って、俺は何を考えているんだぁー!! 志乃ちゃんはアシスタントだぞ!」


 飛び上がるように姿勢を正しくさせて、俺は煩悩を打ち消すことに成功した。

 でも、体勢を変えたときに、テーブルに衝撃を与えてしまったらしい。

 志乃ちゃんのノートが、床に落ちてしまったのだ。


「元の位置に戻すだけ……そう、俺は元の位置に戻すだけだ……」


 人様のノートを気軽に見てはいけない。

 そう思いながらも、俺がノートを手に取る。

 中身が開いた状態になっていた。

 そこには——。


 焼身→苦しんで死ぬのは嫌だ

 飛び込み→死んだあとに多額の請求が来そう

 ガス→ガス栓を捻ってみても、何の効果もなかった

 首吊り→自宅で簡単にできるが、誰にも発見されず、肉体が腐敗するのは嫌だ

 溺死→川や海で死ぬのはロマンチックだが、最後の瞬間は一番キツそう

 飛び降り→ビルや学校の屋上から飛び降りたあと、周囲の眼差しに耐えられない


「志乃ちゃん……俺のために必死に考えてくれてるわけか」


 演劇のテーマは“自殺”だった。自殺する方法にも、数多あるのだ。

 自殺と言えば、高いところから飛び降りるというイメージがあった。

 でも、たった一つだけではないのだ。それにしても……。


「溺死に二重丸はどういう意味だ?」


 志乃ちゃんの中では、溺死するのがベストだと思っているのだろうか。

 演劇でも、崖の上から海へ飛び降りて自殺を図るのが最も映えるかもなぁ〜。


「ねぇ、兄様……ユズが寝てる間に、女を連れ込むってどういうことかなぁ〜?」


 僅かに開いたドアの隙間から、コスモブルー色の瞳が覗き込んでいた。ホラー作品でありがちなポストの郵便入れから見てくる眼球ぐらいの衝撃度だ。


「えっ……? ちょ、ちょっと……いつの間に……柚葉起きたんだ?」


 敵情視察とでも言うべきか、キョロキョロと目を動かした。

 部屋にいるのは兄だけだと判断したのか、人見知り少女は部屋へと入ってきた。


「起きたも何も……イチャイチャしてる二人の話声が耳触りでねぇ〜」


 あ、これ本気で怒ってる奴だ。長い付き合いだからこそ、瞬時に分かってしまう。


「ユズ許可出してないよ? お家に女を連れ込んでいいって」

「……別に柚葉の許可が必要なわけは」

「あるよ? この家にはユズも住んでるもん。それに今は自宅警備員だから、無断で入ってきた害虫を駆除しないといけないねぇ〜」


 ぶかぶかサイズのパーカーを羽織る柚葉は黒い棒を取り出した。

 警備員らしく警棒かと思っていたのだが——。


 バチンッ


 謎の火花が散り、鞭を打つような音が聞こえてきた。

 電気製品特有の焦げ臭い香り。海外旅行中にワット数を間違えて、日本製コンセントを挿すという失態を嫌でも思い出してしまう。ベッドは一部分焦げて、石鹸で擦りまくったっけ。危うく火事になりかけたんだよな。


「お、お前……もしかしてそれは!」

「スタンガンだよ、今から害虫駆除しなくちゃいけないからねぇ〜」


—————————————————————————


 2〜3日に一回ペースの更新。

 作家の精神衛生上、めちゃくちゃいい感じです(笑)

 正直この話はもう少し物語を練る時間が欲しかったかも。

 ただ、更新ペースはあんまり落としたくない所存であります。

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