第24話:ホンモノとニセモノ

 涼しさを残した春風が吹き渡り、眩しい夕陽がきらきらと煌めいている帰り道。

 坂の上。海が綺麗に映える位置に建てられた校舎を後にし、俺と志乃ちゃんは『打倒! 生徒会』を掲げた作戦会議を行っていた。


「黒羽さんにあんな大胆なこと言っちゃいましたね」

「絶対に負けないという意思表示は大事なんだよ」

「でも、海斗先輩がわたしを慕う気持ちがいっぱい伝わってきました!」

「俺は志乃ちゃんがいなければ今頃書いてないと思うし」

「過去の女は忘れて、わたしを選んでくれたということですよね?」


 むふふふふ、と猫目にしつつ、口元を悪どく歪めている。

 愛らしい後輩は切り揃えられた茶髪を指先でクルクルしながら。


「それで海斗先輩、作品は書けそうですか?」


 白翼月姫との間に取り決めたルール説明は以下の通り。


『締め切りは一週間後。脚本形式は小説。規定文字数は3万文字程度』

『内容は自由。各々が好き勝手に書いていい。ただ、演劇部からの要望で、テーマだけは既に決まっているんだ』

『————今回のテーマは“自殺”だよ』


 自分から勝負を仕掛けたつもりだが、好き勝手に書いていいわけではないのだ。

 あくまでも、テーマは同じで、内容が違うのみ。作家の力量が試されると言っても過言ではない。どれだけ自分らしさを出せるかが、勝敗の鍵になるだろう。


「一応構想はな。一度書いた題材だからな」


『黒髪ロング先輩が隠キャぼっちの僕を溺愛する理由』という作品で、“自殺”する少女のお話を書いたことがある。結局、未遂に終わってしまう内容なのだが。


「その話を応用すれば、必ず面白い作品に仕上げるつもりだ」


◇◆◇◆◇◆


 帰宅後、俺は早速部屋にこもり、小説の執筆へと取り掛かった。珍しく険しい表情の俺を見てか、柚葉は「お兄様ッ!」と目をハートマークにしていた。久々に闘志を燃やした兄を見れて、嬉しかったのだろう。最近は家でもゴロゴロするだけだったし。


「よしっ! それじゃあ、書くぞッ!」


 ニトリで購入した柔らかな社長椅子に座り、俺はもう一度机に向き合った。

 パソコンを起動し、ワードを開いた。

 と言っても、一度書き上げた内容をブラッシュアップするだけだが。


——黒髪ロング先輩が隠キャぼっちの僕を溺愛する理由——


 この作品に必要な要素を抜き出し、演劇部の脚本用に書き直す。

 だが、その前に——。


「参考になる作品を探して書くか」


◇◆◇◆◇◆


 水曜日木曜日と二日続けて徹夜を繰り返し、寝食を忘れて俺は執筆に勤しんだ。

 何度も何度も「面白くない」という幻聴が聞こえてきた。

 だが、それでもどうにかこうにか書き終えることに成功したのだ。


 そして、金曜日の放課後。

 後輩の椎名志乃と二人だけの旧校舎の文芸部部室にて。

 前のめりの志乃ちゃんはスマホに釘付けだった。

 俺が先ほどメールで送付した『打倒! 生徒会脚本』を読んでいるのだ。



『#一緒に死にませんか?』


 毎日酷いイジメを受ける少年が偶然見つけたSNSのハッシュタグ。

 内容は自殺オフ会へのお誘い。

 家族や先生に頼っても、誰にも助けてもらえない過酷な環境。

 そんな人生から逃げ出したくて、少年は相手に連絡を取り、自殺オフ会に参加するのであった。


 待ち合わせ場所——そこで出会った一人の少女。

 彼女は、誰もが知るアイドルグループのセンターを務める女の子だった。


『現役アイドルと自殺だなんて……キミさ、死んだあとも嫌われ者かもね』

『死ぬんですからいいんですよ。でもアイドルと死ねるなら本望かも』


 これは——。

 凄惨なイジメ被害に遭う少年と。

 毒親の元に生まれ借金を返すために”アイドル”になった少女の物語。

 そして、彼と彼女が消極的な道である“自殺”に至るまでの話。



 全てを読み終えたのか、志乃ちゃんはスマホを閉じ、険しい表情で。


「先輩の小説はやっぱり面白いですッ!」


 よかった。面白いと思ってくれた。

 久々に聞けたその声に、俺の拳に力が入ってしまう。

 だが、目の前の少女は少々言いにくそうに。


「でも、この作品には海斗先輩らしさがありません!」

「えっ?」

「十分面白い作品に仕上がっているけど、凡作感が否めません!」


 それに、と俺の作品が大好きなガチ恋勢のファンは続けて。


「ハッピーエンドではありませんッ! こんなの海斗先輩の作品じゃない!」


 ハッピーエンドではない。

 そう指摘されるのも無理はない。

 今回俺が書き上げた話は、少年と少女が夜の海へと出かけ、身投げするのだから。

 今までの俺ならば、絶対に書く内容ではなかった。


「……もしかしてですけど、ホワイトムーンの作品を読みましたか?」

「そ、それは……」


 執筆する前に、俺は“自殺”というキーワードで作品を調べてみた。

 トップページに表示されたのは、『ホワイトムーン』と名乗るWEB作家の作品。

 志乃ちゃんが絶賛してたよなとか思いつつも、ページを開いた。何度か読んだことはあったが、流し読み程度だったし、色眼鏡を持っていた。

 だが、読み進めるにつれて、俺はホワイトムーンが作り上げた世界に誘われたのだ。


「無意識のうちに影響を受けちゃったんですか?」

「……かもしれないな」


 ホワイトムーンが書き綴る作品は、重たくてジメッとした内容が多い。

 人間の闇部分。言わば、人間の奥底に潜む凶暴性や陰鬱さを書いているのだ。

 その書き方が、実に達者で、読み手の心を容赦無く抉るからこそ、引き込まれる。


「で、どうするんですか? この作品で戦うんですか?」

「あぁ。あの二人に勝てばいいだけだからな」


 ホワイトムーンと戦うわけではない。

 俺の相手はあの二人だ。

 そう自分に言い聞かせながらも、俺は断言した。

 それから付け加えるように。


「締め切りは来週の水曜日。今日が金曜日……間に合わねぇーよ、これじゃあ」

「それで戦っても勝てないよ? ボクには」


 ガラガラと部室のドアを開いて入ってきたのは、白銀髪の少女。

 颯爽と歩くと揺れる髪からは、無数の粒子が飛んでいるように見えてしまう。

 口元は余裕の笑みで彩られ、何を考えているのかさっぱり分からない。


「何のようだ? 月姫」


 睨みを利かせて言うのだが、全く生徒会長様は動じる様子はなかった。

 ただ、俺の顔を見て、哀れむような眼差しで。


「忠告しに来たんだよ。棄権しろってさ」

「戦う前に逃げる真似できるかよ。アレだけ言って」

「敵わない相手から逃げるのも一つの戦略だよ」


 人間離れした美しさを誇る少女が、俺の前へとやってきた。

 部室は埃っぽく、古い本のにおいが充満しているのだが、月姫の周囲数メートルは爽やかなミントの香りが漂っている。

 神秘性溢れる少女は指先をちょこんと立てて。


「100000。その数字が何か分かる?」

「お前が援助交際で手に入れたおこづかいの最高額か?」

「生憎だけど、ボクは援助交際なんてしなくてもお金はたんまり手に入るよ」


 ふふっと口角を上げているものの、月姫の目付きは鋭いものになっていた。ボクをそんな目で見ていたんだ、という軽蔑と非難しているのが物凄く伝わってくる。


「……お手上げだな」


 わざわざ頭を使って考えるのも面倒だ。

 そう思い、両手を上げて参りましたのポーズを取ってみる。

 すると、俺の幼馴染みは白い指先を唇に当てて。


「答えはね、ボクの小説のフォロワー数」


 ボクの小説のフォロワー数だと……??

 白翼月姫が小説を書いているとは聞いたことがなかった。

 去年の文化祭で脚本を書いたというのも、最近ギャル女に教えてもらったもんだし。


「ホワイトムーンという名前で小説を投稿しているんだよ」


 ホワイトムーンだと……?

 こ、こいつが……?

 嘘だろ……嘘だろ……あの才能の塊が……?


「最近ボクの小説に応援ハートを送ってくれたよね?」


 突然の宣告に、俺は戸惑いを隠せなかった。

 今の今まで、ずっと遠い存在だと思っていたからだろうか。

 そんな相手が、今、自分の目の前にいるから。いや、元々いたのか。


「なぜ……今、それを俺に教えた?」

「カイトとボクの間にある溝を教えたくてね」


 自分が勝つ。

 そんな未来予想図を描いているのか、月姫はニコニコ笑顔で。

 けれど、その瞳は見下すように。


「弱者がいくら強者の真似事をしても、一生追いつけないよ?」


 実は、部屋に入る前から声が聞こえてたんだけどさ。

 そう呟いてから、呆れるような口調で。


「ボクの劣化小説を書いたところで、絶対に勝てないよ?」


 もうお前は敵ではない。もうお前は興味対象ではない。

 そう告げるように、幼馴染みの少女は白銀髪を揺らして、部屋を出て行った。


◇◆◇◆◇◆


「…………くっそっ!!」


 気付けば、俺は膝から崩れ落ちるように床に倒れ込んでいた。

 それから、意味もなく、ただ床に拳を突きつけていた。ただ痛いだけなのに。


「か、海斗先輩ッ!」


 優しい茶髪の後輩は心配そうな声を掛けてくれる。

 それでも、俺の怒りは止まらなかった。


「————俺は弱いんだ」


 白翼月姫は言いたい放題だった。ワガママな女だった。

 でも、彼女が放ったことは、全て正しかった。


 弱小WEB作家の俺と、最強WEB作家のホワイトムーン。

 まともに戦ったところで、勝てるはずがない。

 評価という数字軸上でも、生まれ持つ地力でも全く異なるのだから。


「海斗先輩は弱くなんてないッ! 今日の作品だって面白かったですッ!」

「あんなのただのホワイトムーンの劣化コピーだよ。本人相手じゃ勝てるはずがない」

「そんなことありません! 先輩は世界で一番面白い小説家です!」


 何の保証もないくせに、最高のアシスタントは言う。


「だから、絶対に勝てます。それに、まだ今日は金曜日! 来週の水曜日まで時間がありますっ! だから、まだ戦えますッ!」


 絶対に勝てる? どの口がそんなこと言えるんだ?

 相手は、ホワイトムーンだぞ? フォロワー数10万人だぞ?

 時間が残されているのは事実だが……全然話が違うんだよ。


「……もう無理だよ。アイデア全部出し切ってんだよ、こっちはよ」


 ただ負けるだけでは面白くない。だから、一泡吹かせてやりたい。そんな気持ちがあるに決まっている。俺だって、本当は勝ちたいんだ。文芸部を存続させたいんだ。


 黒羽先輩が残したいと思っている部室を必ず守り切ってやりたいんだ。


 だが、しかし——。


「物語は結局アイデア勝負だ。小説を書くとき、俺は一番面白いアイデアを必ず取り入れるようにしている。今日、志乃ちゃんに読ませた小説で使い切ったんだ、全部な」


 俺は小説を書くとき、複数のアイデアを出すことが多い。

 そして、面白いと思った三つに絞り、それを最良の一つに絞るのだ。

 でも、今回の場合は少し特殊で、面白い三つのアイデアを全て混ぜ合わせた。

 つまり——。


「面白いアイデアは出し尽くして、残りは全部……クズなんだよ」


 面白いアイデアならば、何でも使う。そう思って、アイデアを出しまくって、それを全部使い切ってしまったのだ。張り切って、全部使い切ってしまったのだ。残りのアイデアは全て一度捨てたもの。


 言わば、自分が「面白くない」と決めつけたものしかないのである。


「では、その面白いと思ったアイデアを再利用すれば?」

「インスピレーション元は、ホワイトムーン作品。まともに戦っても勝てやしない」

「……で、でもまだ……まだ……実際に比べてみないと……」

「さっき言ってたこと忘れたのか? 海斗先輩らしさがなかったんだろ?」

「あ……は、はい……」


 作家の個性が小説の面白さを生むことが多い。

 他者の真似しかできない没個性型作家は、それだけ不利なのだ。

 ましてや、オリジナル作家と劣化コピー作家を読み比べれば、その差は一目瞭然だ。


「書き直しましょう!」

「……アイデアが出ないと言っただろ?」

「大丈夫です!」

「何が大丈夫だ……今もアイデアを出そうと努力してんだよ。だが、全然出てこないんだ。全く分からないんだ……ホワイトムーン作品の影響が露骨に出るんだよ!」


 面白いと思っても、ホワイトムーンが先に書いた内容に似てしまうのだ。

 ただ、そんなアイデアでは、ホンモノと戦っても勝てやしないのだ。


「情けねぇーな……俺。かっこ悪いな……俺。何もできなくて……」


 白い腕が俺の首へと回り、そのまま交差してきた。逃げ場を失くした俺の背中越しに柔らかい二つの感触が襲ってきた。志乃ちゃんが抱きついてきたのだ。

 そして、彼女は耳元で優しく囁いてくれる。


「先輩はひとりなんかじゃありません。可愛い天使が付いているんですよ?」


 長い茶髪が僅かに俺の頬を触れてきて、くすぐったくなってしまう。

 言葉を吐くたびに、肌越しに柔軟な弾力が伝わってくる。

 それに心音さえもが聞こえてくるのだ。どくどくと高鳴る鼓動が。


「……ごめん、志乃ちゃん。優しい後輩に当たって……最低だよな、俺」

「大丈夫です。わたしは全然気にしてないので」


 志乃ちゃんはそう伝えると、俺を握りしめる腕の力を強めた。

 ただ、と呟いてから。


「ただ、わたしは先輩に小説を書いてもらわないと困ります! アシスタントですから」

「来週の水曜日に間に合うのか?」

「間に合わせるんですよ! 好都合なことに土日がありますから」


 椎名志乃は、小説を書いたことがないだろう。

 一度も小説を書こうという発想を抱いたこともないだろう。

 ただ、俺の小説が大好きで、ただ、俺の小説が世界一面白いと確信してるからこそ。

 茶髪ショートの少女は厳しいことを言ってのける。


「週末は缶詰めです。先輩の家でお泊まりします。結局、最後は根気勝負ですッ!」

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