第23話:黒羽皐月と白翼月姫の過去
文芸部メンバー三人揃って、旧校舎の文芸部室へと向かった。
以前までは出会った瞬間に醜いマウントの取り合いをしていた黒髪先輩と茶髪後輩だったのだが、お互いに共通の敵を見つけたらしく意気投合しているのだ。
「あの女だけは絶対に倒さないと気が済まないわね」
「同意見ですね……海斗先輩を独り占めするなんて許せません!」
女の敵は女。
その言葉通り、二人はプンスカプンスカと文句を垂れているのだが。
俺はどうしても先に確認したいことがあった。
「黒羽先輩って月姫と何かあったんすか?」
聞かれるとは思ってもなかったのか、黒羽先輩は表情を僅かに強張らせた。何か迷いでもあったのか目を泳がせる。話したくないのかと解釈したのも束の間、首を横に小さく振ってから。
「去年の文化祭。演劇の脚本は、私が書く予定だったの」
「えっ……?」
「でも、それをゴッソリ持っていかれたのよ、あの白女に」
小説を愛し、一部読者から“萌え神”と呼ばれる若き天才作家は語り出した。
過去の出来事を。今まで自分の奥底に溜めていた感情を。
◇◆◇◆◇◆
黒羽皐月が白翼月姫に出会ったのは、一年前まで遡る。
アレはまだ妖艶な美女として有名で、自殺未遂事件を起こす前。
彼女の人生にとって、一番楽しかった幸せな時のお話。
授業が少しだけ長引き、大好きな後輩が待つ部室へと急いで向かう途中の出来事だった。突然、白銀の髪を持つ美しい少女に声をかけられたのは——。
「黒羽皐月先輩ですよね?」
「そうだけど……あなたは?」
「ボクの名前は白翼月姫。黒羽先輩、生徒会に興味はありませんか?」
白翼月姫。その名前は聞いたことがあった。
一年生ながら生徒会選挙を勝ち上がり、生徒会長の座に付いた新入生だ。
「残念だけど……私は文芸部だから」
生徒会長直々に勧誘してくれるのは嬉しいことだった。
だが、自分がやりたいことは小説を書くこと。
文芸部員として、面白い小説を書き続けたいのだ。
断りを入れたし、これでしつこく何か言われることはないだろう。
そう判断したのだが——。
「そうですか。才能の無駄遣いだと思いますがね。小説なんて書いても」
「えっ?」
「黒羽先輩の小説を何作か拝読しました。高校生離れした丁寧な描写とストーリー構成。読んでて、とっても引き込まれました」
面と向かって褒められるのはむず痒くなる。可愛い後輩が「先輩の小説は面白いです! 天才ですか!!」と何度も何度も言ってくれているが、未だに慣れない。
月姫の薄ピンク色の唇が動いたとき、皐月はまた褒めてくれる。そんなに凄くないよ、これぐらい誰でも書けるよとか言い、謙遜する仕草を取ろうと考えていた。
「でも……キャラクターの書き方が熟れてない。キャラが偽物なんですよ、全員。読んでて全然人間味がないんですよ、このキャラたちは。創作だから、別にそれでいいかもしれませんけども。全然リアル感が足りないんです。読んでて思いませんか?」
だが、そんな淡い幻想は現実には起きらなかった。
「アレは借り物のキャラをそのまま引用しただけの駄作だって」
雪のように幻想的で美しい少女の口から漏れてきたのは、ガラスのように鋭い感想。
見覚えがないことならば、「あっ、そう」で済ませることができる。ただし、自分のなかでも薄々気付いていたことだからこそ、言葉の一つ一つが突き刺さるのだ。
「図星ですよね……? 黙ってますけど?」
黒髪の少女は答えない。口を閉じて、ただ黙ることしかできない。
「先輩の小説は面白い。でも足りないんです。物足りないんです」
否定されているのに。普段の彼女ならば、突き返すはずなのに。
ただ、真正面に受け止めることしかできなかった。
「物語の重要部分を担うキャラクターの魅力が」
皐月の前に立つ白い少女は言ってやったとでもいうように、ニコニコしている。自分のなかでは良いことをしたつもりなのだろうか。曲がりくねったお世辞よりも、正論すぎる正論を突きつけることがある意味正しいのかもしれない。
けれど、このまま黙っていられるほど皐月はできた人間ではなかった。
「だから何? 嫌味を言いに来たわけ?」
「違います。無駄な努力を諦めさせ、正しい道を歩ませてあげようと思ってるんです」
「余計なお世話よ。私は未完成。発展途上ってこと、伸び代があるってことでしょ?」
白翼月姫の言い分を聞く限り、ただのワガママにしか聞こえなかった。
確かに、彼女の言うことは正しかった。間違いでは決してなかった。
小説を書き続けてお金を稼げる人間はほんの一握りだけだ。
黒羽皐月の作品は面白い。それは事実だが、プロレベルではない。ただの紛い物だ。
だからこそ、小説を書くことを諦め、他の道を歩んだほうがいいのかもしれない。
「小説を書いて何の意味があるんですか? 一作書き上げるだけでも時間も体力も浪費する。何よりも、学生時代という貴重な時間を奪っている。それを理解していますか? 今、この時間はもう二度と戻ってこない。それを理解していますか?」
学生時代の時間は貴重だ。それを肌に染みて理解するのは、学生時代を終えて、社会人になってからだろう。そんな話をされても、どうしようもない。
後悔というのは、後から知るのだから。今は知ることができないのだから。
「ご忠告をありがとう、月姫さん。それでも、私は小説を書くわ」
人間という生き物は、時に間違いだと分かっていたとしても。
それが正しい道ではないと理解しつつも。必ず良い道になるとは限らないとしても。
それでも、夢を追いかけ続けるのだ。だって、それが人間なのだから。
「私はまだまだ強くなれる。私はまだまだ書けるようになれる。まだまだ私は――」
失敗すると分かっていながらも、挑戦を続ける。
その挑戦の結果、人類は未知の領域を知ることができたのだ。
そして、多くの歴史を紡いできたのだ。
だからこそ、黒羽皐月だって——。
「残念ですが、無理ですよ。キャラクリエイト能力は、そう簡単に伸ばせない。だって、あなたは人と関わることを避けてきた。だから、何もわからないんです。何も書けないんです。あなたは人の心が理解できない。あなたはお嬢様ですよね?」
決めつけるように。
白髪少女は言葉を続ける。
「だから、庶民の気持ちを理解できない。何でもできてしまう人間だからこそ、何もできない人間の苦しみが理解できない。あなたは作家として、重要な部分である共感力が失われている。キャラが苦しむ内容は、全部上っ面の部分だけ。表面的な部分だけしかわからない。だって、深層の問題を理解できないから」
白翼月姫が放つ言葉は、スンナリと心の奥底まで響いた。
黒羽皐月はその理由を知っていた。
作家本人だからこそ、書き手だからこそ、自分の作品だからこそ。
その長所も欠点もわかるのだ。
黒羽皐月という書き手には、キャラクリエイト能力が大幅に欠如していることを。
「そういえばですけど、先輩って演劇部に文化祭用の脚本を提出してましたよね?」
「去年の文化祭に頼まれてね。大成功して、来年もよろしくと頼まれてね」
「奇遇ですね。実は、ボクも書いたんです。それでさっきお返事もらいました」
この世界の理を全て理解しているような瞳で、少女は無慈悲にも告げてきた。
「今年の演劇は、白翼月姫(ボク)のを使うって」
そんなの嘘だ。そう否定したかった。
だって、文化祭に向け、一年前からずっと温めていた内容を書き綴ったのだ。
準備を一切怠らず、最高のシナリオを描き切ったと思っていたのに。
でも、白翼月姫という真正の天才作家に出会い、そして彼女がたった数日で書き上げたという作品を読ませられて、自分の無力さを嫌というほどに痛感する。
——負けだ。完全に負けた……。敵わない、あまりにも遠すぎる。
圧倒的な差だ。生まれ持った才能の差。天性の有無。
雲の上の存在。いや、それ以上の天才。
雲の上だと思っていた自分の、遥か上にいる存在だった。
「ふふっ……はは……あははははは」
白翼月姫に出会ったその日、彼女を初めて認識した日。
井の中の蛙状態だった少女——黒羽皐月は、生まれて初めての“挫折”を知った。
自らを天才だと過信する心を、容赦無く打ち砕いたのだ。ボロ負けした自分の顔はどれだけ酷いものだろうか。人様に見せていい表情を浮かべているのか。
——悔しい……くやしい……。今の自分には力が足りない……。
複雑な心境が駆け巡るなか。
自分を負かした白髪の少女は優しい言葉をかけてくれた。
「クロハ先輩、ボクはアナタを高く評価してるんです。素晴らしい才能の持ち主だと」
「小説を書くのをやめて、その力を生徒会に活かしませんか? アナタの紡ぐ文章力は、読み手の心を奪うキャッチコピーに、あなたの卓越したストーリー構成力は、奇抜な企画力と調整力に活かすことができます」
「文芸部員として無駄な文章を紡ぎ続けるよりも、生徒会として活躍したほうが遥かにメリットがあるはずです。大学推薦も取りやすいですし、生徒や先生たちからの評価も高くなるでしょう。悪くない話だと思いますが、どうですか?」
◇◆◇◆◇◆
全てを語り終えたあと、黒羽先輩は神妙そうな表情を浮かべた。
それから自嘲気味に吐き捨てた。
「白翼月姫は、私の上位互換だった。自慢だった文章力も、ストーリー構成力も、キャラクターも何もかも……全部負けてしまった。完膚なきまでに敗北してしまった」
拳には力が入っていた。プルプルと震えている。
負けた日を思い返し、その怒りが込み上げてきたのだろうか。
「海斗君は勘違いしてる。私は天才じゃない。ただの凡人なの」
自分を卑下する言葉が入り混じっていた。
自分を天才ではないと認めていた。
それなのに、黒羽皐月の目は、決して折れてはいなかった。
「ただ、ここで終わるわけにはいかない。私は必ず天才を超えてみせる」
睫毛の奥に潜む、綺麗な琥珀色の瞳。
その輝きは、夜空に浮かぶ月のように美しくきらめていた。
「天才を努力で打ち負かせてみせる。だからこの勝負だけは絶対に譲らない」
俺は黒羽皐月に負け、心の底から悔しかった。
敵わない相手だと確信し、今まで逃げ続けていた。
でも、それと同様に、先輩も、白翼月姫に負けていたのだ。
その悔しさを胸に抱きつつも、それでも立ち向かっているのだ。
「先輩の気持ちは分かりました。だけど、なおさら、絶対にこの勝負は引けないなぁ」
「———————————————ッ!!」
「俺にとって、先輩は超えるべき存在」
勝てる勝てない関係ない。
必ず、俺が勝つ。
勝利だけを考えながら。
「ましてや、その先輩が格上だと思ってる月姫に勝てるなら、好都合だ」
去年の文化祭以来、小説を書くことから逃げ続けていた。
文章を紡ぐことでさえ、苦しかった。面白い小説を書けないならやめてやる。
そう思っていたのに、そう考えていたのに。
今の俺は口元の緩みが止まらなかった。
「二人とも打ち負かして、俺が演劇の脚本に選ばれてみせますよ!」
勝てる保証はどこにもない。
ただ、ひとつだけ、過去の俺にはなくて、今の俺にあるものがある。
「海斗君、あなたは勝てない。あの女には絶対に勝てない。格上の存在なのよ!」
今から戦う相手の力量が分かるからこそ、心優しい先輩は忠告してくれる。
「去年、嫌なほど分かったでしょ? 勝てないって。黒羽皐月という作家には勝てないって。だからもう諦めなさいよ。この勝負に負けたら、君はもう一度自分の無力を知るわよ。もう二度と小説を書けなくなるほどに落ち込んでしまうわ!」
「以前までの俺なら絶対に勝てないと、立ち向かうことさえ諦めていた」
一度言葉を溜めてから。
「でもね、俺はもう一人じゃない! 今の俺には最高に可愛い天使がついてますから」
空かさず、今まで黙って話を聞いていたお節介焼きな可愛い後輩も続けて。
「そうですッ! 海斗先輩には、とっても可愛いわたしがついてますッ!」
何度落ち込んでも。
何度小説を書くことを諦めたとしても。
俺の前に現れた天使は言ってくれたのだ。
『わたしが先輩の手を握って、震えを止めます。怖いんだったら、そばにいて抱きしめます。胸が引き裂かれそうになったら、わたしが先輩の心を癒してみせます』と。
だから、もう何も怖くない。
何度挫折を味わったとしても。
必ずもう一度彼女が俺に救いの手を差し伸べてくれるだろう。
「黒羽先輩。俺はこの勝負に勝って、過去の情けない自分を超えるッ!」
俺の熱い宣言に対して、黒羽先輩は眼光を三角定規のように鋭くさせて。
「……ゼッタイにツブス」
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作家から
個人的神回。やっぱり、熱い展開が大好きだぜ( ̄▽ ̄)
今話を書き上げて思いましたが、毎日更新は毒ですね。
2〜3日に一回ペースが、今の自分にはピッタリかもしれない。
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