第20話:可愛い妹に溺愛される日常

「ただいまー」


 玄関のドアを開ける。ドタドタと大きな足音が聞こえてきた。

 足音の主は気にすることなく、俺に飛びついてくる。

 不意打ちに態勢を崩しそうになるが、どうにか踏みとどまる。


「兄様ー」


 柚葉が胸元辺りにほおを近づけてすりあわせてきた。


「おいおい……甘えん坊だな、柚葉は。少しは大人になれっつの」

「兄様に甘えられないなら、大人になんてなりません!」

「残念だが、いつかは誰だってなるんだぜ、どんなに嫌だと思ってもさ」


 何度も俺の声を呼び、さらにほおを強く押し付けてくる。どうやら俺の声が聞こえてないみたいだ。そっと柚葉の肩を掴んで引き剥がす。


「帰りが遅かったから心配してたんだよ」

「帰りが遅くなることぐらいは誰にでもあるだろ?」

「……兄様は何部?」


 言いながら、柚葉が俺に手を差し伸べてくる。

 そこに俺は学生鞄を渡しながら。


「何部って……俺は文芸部だよ」

「そうでしょ、帰宅部でしょ」

「一応文芸部だよ!」

「でも、幽霊部員だし、帰宅部みたいなもんじゃん」

「あーもうそーいうことでいいよ」

「でしょー? それなら常識的に考えて、帰宅部がやることは一つ!」


 鞄を受け取った彼女はブンブンと振り回した。元気な奴だ。


「自宅に無事に帰ることか?」

「チッチッチ」


 柚葉が人差し指を左右に振って。


「兄様の役目は、愛する妹に熱い抱擁を行う。その後、頭を撫で撫でする所までだよ! それが出来ない限り、兄様の学校生活は完了しないんだよ!」


 帰るまでが遠足ですみたいな感じだろうか。

 馬鹿らしい提案を持ち出してきた柚葉を無視し、靴を脱いでリビングへと向かう。


「兄様が無視してるー。むむっー、いいもんいいもん。兄様がユズを無視したいなら、蔑ろに扱えばいいんだよー」


 後ろから不満声が上がっていたが、無視でいいだろう。

 テーブルの上には妹が作ったと思われる夕飯。

 炊き込みご飯。味噌汁。肉じゃが。焼きサバ。食欲が唆るメニューだ。


「残念なお知らせです。今日、兄様の夕飯はありませんー」

「二人分しっかりと用意されているだろうが!」

「ありませんー。妹に愛情を捧げない愚兄が食べるご飯なんて」


 このまま食べられないのは困る。ご機嫌を取る必要がありそうだ。


「どうやったら愛情を示せるんだ?」

「むふふー、それはもちろんユズの頭を撫でるですー」


 柚葉が頭突きしてきた。グリグリと腹上辺りに当たる。やれやれ困った奴だ。

 いつものようにゆっくりと優しく撫でてあげることにした。


「……ムフフフー。兄様に頭を撫でられているときが一番幸せなのですー」


 濡れていた。シャンプーの香りも漂ってくる。先にお風呂に入ったのだろう。


「柚葉……髪をしっかりと乾かさないとダメだぞ」

「髪を乾かすの面倒なんだもんー」

「それでもダメだ。風邪引いたらどうするんだ?」

「兄様が看病する?」

「……まぁ、俺が看病するしかないけどさ」

「ユズは優しい兄様が大好きですー」

「俺は聞き分けのいい妹が好きだぞ」


 俺の発言を聞き、ムッとした柚葉が言う。


「世話がかかる妹のほうが可愛げがあると思う!」

「自分で言うな」


 頭を小突いてやると、柚葉はふふふと笑った。


「ほらっ、早くご飯食べよー! お腹空いたよー」

「俺の分はなかったんじゃないか?」

「あるに決まってるよ。むしろ、兄様の為に作っていたんだよ!」


 急かされるままに背中を押されて、椅子に座った瞬間。


「……あれ? あれあれあれ??」


 三流芝居でも見られない大根役者っぷり。

 今何かに気付きましたよーとでも言うように、柚葉は驚きの表情を浮かべている。


「クンクン……これは浮気のにおいです」

「浮気のにおいと言われても、俺には妻とか彼女とかいないんだが?」

「兄様には愛妹ユズがいるというのに。次の女が見つかったらすぐに乗り換えて……」

「女とかできてないって……それに乗り換えとか考えたこともねぇーぞ!」


 事実を伝えるけれど、柚葉は信じてくれそうにない。

 今にも胸ぐらを掴むような勢いで迫ってきている。


「ユズという可愛くて尊い存在がいるのに、他の女の尻を追いかけて」

「追いかけてないから」

「でも一緒にいたんですよね?」

「それはそうだが……」

「自白しましたね、浮気確定です」


 ひょいと手が伸びたと思いきや、柚葉が俺の大好物である焼きサバを奪い取ったのだ。


「浮気性な兄様には食べさせません」


 焼きサバを人質もとい、魚質にするとは……悪い妹だ。

 だが、残念。

 先程まで俺はメイド喫茶に行き、オムライスとメロンクリームソーダを食しているのだ。

 腹は満腹に近く、わざわざ夕食を食べるまでもない程度なのである。


「兄様、食欲がないんですか? 夕飯マズかったですか?」

「実は今日食ってきたんだよ」

「むむっー。他の女と放課後デートですか。これだけでも死罪に値します!」

「放課後デートで死罪なら、俺もう何回も死んでるよ。人生何回やり直せばいいんだよ!」

「一人寂しく帰りを待っていた妹の手料理がお腹に入らないということはありませんよね?」


 焼きサバが手元に戻ってきた。大好きなごはんの友だが、食欲は全然戻らない。

 やはり、空腹は最高のスパイスというが、それに勝るものはない。


「ごめんなさい……張り切っていっぱい作っちゃいました。全部捨てますね」


 箸を全く付けない俺を見て、涙目がちな柚葉が立ち上がった。

 フードロス禁止と言われる昨今だ。食べ物を無駄にしてはならない。

 ましてや、可愛い女の子が作ってくれたものを残すわけにはいかない。


「ちゃんと食べるから安心してくれ。あーおかわりを頼むっ!」

「むふふふ、いっぱいご飯は炊いたのでたくさん食べてください。兄様は男の子なので、いっぱいいっぱい食べて精を付けないといけませんからね」


 柚葉は機嫌を取り直したらしく、急いで茶碗を持ってご飯をよそってきてくれた。気を遣える点は良いと思うが……多少強引なところは直したほうがいいだろう。お兄ちゃんは心配だよ。


「あー柚葉。お姉ちゃんを欲しいと思ったことはないか?」

「ん? お、お姉ちゃん?」

「そうだ。お姉ちゃん」

「ユズは兄様さえいればそれでいいです。兄様以外何も要りません! それにお姉ちゃんができたら兄様を横取りされる可能性が。だから絶対にお姉ちゃんなんて要りません!」

「そうだよな。俺もそう思う」

「兄様、新しい女の話ですか? それは」


 困った表情を浮かべる俺に対して、柚葉は子供に言い聞かせるような口調で。


「兄様、世の中には沢山の属性があります。先輩、後輩、幼馴染、同級生など紆余曲折することがつきものです」


 でも、と区切ったあと。

 黒と白が入り乱れた髪を持つ少女はニコッと笑みを浮かべて。


「でも、ユズはいいのです。最後に兄様がゆずに振り返ってくれれば」

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