第12話:ストーカー女とメンヘラ女

 月曜日の朝は最悪としか言いようがない。

 金曜日の放課後から日曜日の深夜まで遊び疲れた体に鞭を打ち、学校へと向かわなければならないのだ。なぜ、社会というのはこれほどまでに朝を押し付けてくるのだろうか。もう少し遅めに授業開始時刻を設定してもいいのではないかと思ってしまう。

 もしもそうなれば、教師と生徒どちらもの意欲が上がると思うのだけど。

 とりあえず教育委員会に一言申してやりたいと思いながら、俺は家を出るのであった。


「海斗先輩、おはようございます。今日もとってもカッコいいです」

「おはよう、志乃ちゃん。朝っぱらからお世辞をありがとう。それと待ち伏せ、ご苦労様でした」

「えへへへ、とっても嬉しいですー。せ、先輩に褒められちゃいました」


 椎名志乃はスクールバックから少しだけ顔を出し、覗き込むように見てくる。

 頰は朱色に染まり、恥ずかしそうだった。口元がムグムグと動いている。


「どうして毎回毎回やめてくれと言ってるのに、こんな真似をするんだ?」

「だって……先輩に会いたくて……会いたくて……震えていたんです」


 女性シンガーソングライターの歌からそのまま抜粋したかのようなことを言い出しやがった。


「で、電柱に隠れてる黒羽先輩もそろそろ出てきたらどうですか〜?」

「……うっ!」


 黒羽先輩は赤面したあと、恥ずかしそうに電柱から離れてこちらへと歩み寄ってきた。


「流石は運命の人だわ。私の場所を一瞬で見抜くなんて」

「電柱の後ろから威圧的な瞳で見てくる人物がいたら、嫌でも目に入りますよ」

「ふふっ……海斗君って照れ屋さんね」


 そう笑いかけながら、黒羽先輩は俺の右腕を奪った。

 そして、この腕は自分のものですとも言わんとばかりに、自分の腕を絡めてくるのだ。


「あっ! ずるいですッ! 海斗先輩を独り占めするなんて許せませんッ!」


 黒羽先輩に負けじと、志乃ちゃんまでもが俺の左腕を手に取った。

 この手は絶対に離しませんとでも言うように、抱き寄せてくるのだ。


「海斗君に気安く触らないでくれる? その小さな胸で抱き寄せても何の効果もないから」

「胸は大きさでは決まらないんです。どれだけ形がいいか、感度がいいかで決まるんです」


 あ、始まったよ。醜い女同士の争いが。

 女の子はきゃっきゃうふふな百合展開が一番いいのにな。

 きらら枠アニメの需要がはっきりと分かるね、変なマウントもないし、嫌なキャラもいない。

 ただ可愛い女の子が必死に頑張る青春系、これぞ正に王道にして最高なんだよな。


「そーいうのってただの負け惜しみだと思うんだけど。胸が小さい言い訳じゃないの?」

「これからまだまだ成長するんですよ! 知らないんですかー? あ、そっか。わたしに勝てる部分が、胸しかないからそれで威張ってるんんだぁ〜。あぁ〜、なるほどなぁ〜」

「まだまだ成長するとか言うけど、それってただの気休めじゃないの? そうやって自分を騙すことでしか、安心感を得ることができないだけじゃない?」

「女性ホルモンが分泌される限り、大きくなるんです。だから、四十代までは見込みがあるんですよ、残念でしたね。あ、もしかして唯一のアイデンティティでわたしに負けるのが怖いんですか?」


 俺を挟んだ状態で、両隣が口喧嘩するのは大変うざい。

 ていうか、朝っぱらから言い争うのはやめていただきいものだ。

 そう思いながらも、俺は耳にイヤホンを装着し、アニソンを聞くのであった。


◇◆◇◆◇◆


 四限目のチャイムが鳴り響き、昼休みが始まる。

 俺は教室の外に出て、志乃ちゃんが来るのを待っていた。

 アシスタント業務の一環として、志乃ちゃんが特製の弁当を作ってくれているのだ。

 お前が一年生の教室まで迎えに行ってやれよという話なのだが……。


 志乃ちゃん曰く——。


「海斗先輩が一年生の教室に来ちゃうと……女の子たちがパニックになるのでやめてください」だと。


 学園最強の男として認知されているらしく、もしも一年生の教室に向かうと、女性陣が倒れる恐れがあるのだとか……。どこまで本気で言っているのかは知らんが、向かわないほうがいいだろう。


「それにしても……志乃ちゃん、遅いな」


 普段ならば、授業が終わると、すぐに来るはずなのだが……。

 今日に限っては、全然志乃ちゃんが現れない。

 もしかして何かあったのか、と不安に思っていると。


「遅くなってごめんね」


 二年生の教室が密集している廊下に現れたのは——。


「どうして、先輩がここに……?」


 生徒たちから絶大な信頼を勝ち得て、「黒羽様」と称えられる存在。

 妖艶な美女を体現化したとも言うべき、文芸部部長の黒羽皐月だった。


——黒羽様、お、俺を踏んでくだせぇ〜——


 一部男子の願望が聞こえてくるなか、黒羽先輩は首を僅かに傾げて。


「どうしてって……今日はお弁当を作ってきたの。昨日のお礼に」

「お礼……?」

「私に教えてくれたでしょ?」


 そう呟くと、黒羽先輩は俺の肩に手を置き、少しだけ背伸びした状態で。


「私にキスの味を」


 色っぽい声で囁かれたところで、俺にはもう既に先約があるのだ。


「申し訳ないですけど、志乃ちゃんが来ると思うので」

「…………私マジで泣いちゃうけどいいの?」

「そーいう脅迫はやめてくれませんか?」

「事実を述べただけよ」

「先輩のワガママには付き合ってられませんよ」

「ワガママになるのは海斗君と一緒のときだけよ」


◇◆◇◆◇◆


 俺と先輩は部室で弁当を食べることにした。

 勿論、志乃ちゃんには『部室で食べる』と連絡を入れている。

 というわけで、俺たちは部室がある旧校舎へ向かっているわけだが。


「何だか、懐かしいわよね、一緒に食べてた頃が」

「部室で一緒に食ってましたよねー」


 大好きな彼女特製の愛情たっぷりな弁当を食べる。

 それだけで、楽しかったし、幸せになれたんだよな。


「だから……今は寂しいわ」

「今も部室で食ってるんですか?」

「……うん、思い出に浸りたいの」

「友達がいないだけでは?」

「ううん、思い出に浸りたいの」

「二回も同じこと言うのなしにしません?」


 こんな話を続けながらも、俺と先輩はヤリ部屋、もとい部室へと辿り着いた。

 中に入ると、以前と変わらない空気があった。

 少し埃っぽいが、歴代の先輩たちが書き残した部誌と大量の書籍が。

 長机と椅子が数脚と、自分たちが持ち寄ったパソコンがあった。


「懐かしいなぁ〜。ここで初めて先輩に出会ったことを」


 黒羽皐月と初めて出会った日。

 先輩は難しそうな書籍を読んでいた。

 時折、窓から入る風で、美しい黒髪が靡いていたっけな。

 そのときから——俺は先輩に心を奪われていたのかもしれないな。


「あのときの、海斗君は緊張しててとっても可愛かったわ」

「……それはそうですよ、あまりにも幻想的だったから」


 今ではもうただの嫉妬深くて独占欲が強いメンヘラ女にしか見えませんがね。


「ともあれ、やっと二人っきりになれたわね、海斗君……ううん、海斗」


 何その呼び方……?

 昔付き合ってた頃は、名前で呼び合ってましたけど……。

 どうしてわざわざこのタイミングで、その名前を……?


 ガチャリ


 鍵が閉まった音が響いた。


「さぁ、邪魔者は誰も来ないわ。楽しい時間を過ごしましょう、海斗」

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