第8話:メンヘラ地雷先輩

 土曜日。待ちに待った週末が来た。

 普段ならば家でダラダラと時間を過ごしているけれど、今日という今日は違う。


「それじゃあ行ってくるから、家のことは頼んだぞ」

「何言ってるんですか? 兄様はユズと一緒にお家デートなのでは?」

「兄弟でデートなんてするかよ」

「なら、どうしてオシャレを……?」


 銀髪ロングの実妹——柚葉ユズハは驚愕の表情を浮かべていた。

 兄目線でも可愛いと思える中学三年生の女の子だ。


「もしかして……女ですか?」

「えっ? あの……柚葉? ちょっと目が怖いんだけど?」

「女なのですかッ! この浮気者ッ! 破廉恥ッ! ヤリチン太郎ッ! 欲張り男ッ!」

「ならお前も来るか? お前が外に出られるなら一緒に来てもいいが」

「うう……兄様は卑怯です。ユズが外は無理だと知っているくせに……」


 柚葉は外に出ることができない。

 心の病気というものだ。

 詳しく説明する必要はないが、いつの日か解決しなければならない問題だと思っている。

 だが、その前に——。


「お兄ちゃん離れしたほうがいいと思うぞ」

「無理です、兄様だけがユズのホットラインなんですッ!」

「帰ってきたら相手してやるから、今日は一人でお留守番してな」


 というわけで——俺は家を出たのだが。


「……先輩、普通に怖いんで、家の前に立つのやめてもらってもいいですか?」


 黒髪ロングの三年生——黒羽皐月先輩が満面の笑みを浮かべていたのだ。

 寡黙な先輩が笑うのは大変珍しいので、それだけでも額縁に飾って置きたいほどだ。

 薄紫色のニット。黒スカート。高そうなブーツを履き。

 そして、胸元には、俺が以前プレゼントした少し高めなネックレスもあった。


「あ、皐月さん」

「どうも、柚葉ちゃん」


 玄関の戸を開けた瞬間だったので、柚葉も黒羽先輩に挨拶している。

 この二人は病み度が似ているので、お互いに仲良しさんなのである。


「それじゃあ、デートに行きましょうか、海斗君」

「デートですか……? 何か話が違う気が?」

「それじゃあ、行ってらっしゃい〜。二人とも〜楽しんできてねぇ〜」


 黒羽皐月先輩は柚葉を懐柔しているのだ。

 そして、絶対的信頼を勝ち得ており、柚葉本人も「皐月さんみたいなお姉ちゃんが欲しい」と言っているまである。とどのつまり、家族公認の恋人さんだったわけだ。


「先輩、俺たちの関係って何ですか?」

「ラブラブな恋人でしょ?」

「先輩は元カノですよね」

「何それ? 昔の女だと言いたいわけ?」

「いや……そーいうつもりじゃありませんけど」


 本日。

 つまり今日は茶髪ショートの超絶可愛い新入生兼アシスタントとデートする予定だった。

 デートというか、ラブコメの勉強会を開くはずだったのに。

 昨日、俺はその約束をドタキャンしたのだ。

 その理由は、昨日の夜まで遡る。


「それで今からどこに行くんですか?」

「決まってるでしょ、私の家よ」


◇◆◇◆◇◆


『皐月:もう死にたい』


 こんな連絡が届いたのは、俺がお風呂に入っている最中だった。

 だからこそ、即座に既読を付けることができなかったのだ。

 んで、お風呂から上がりに確認してみると……。


『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』『皐月:不在着信』


 その後のLIMEのメッセージでは……。


『皐月:私って、そんなに重いかしら?』

『皐月:私はもう海斗君には不必要な存在?』

『皐月:ねぇ、海斗君。ブロックしてるの?』

『皐月:私をからかってそんなに楽しい?』

『皐月:本当は見てるんでしょ?』

『皐月:私って、海斗君にとって何番目の女?』

『皐月:やっぱり、あなたは昔と同じように私を捨てるのね』

『皐月:ねぇ、早く既読付けて』


 黒羽皐月先輩は淡雪のように誰よりも脆い。外面は誰もが羨むほどに美しく、気高い存在であるのにも関わらず、内面は物凄く内気で一人で何もかも全てを考え込んでしまうタイプだ。だからこそ、彼女は精神を病みやすいのだ。


『海斗:すみません、先輩。お風呂に入っていました』

『皐月:そうだったの。ちょっと心配しちゃった……』

『海斗:大丈夫です。先輩、俺は絶対にいなくなりませんよ』

『皐月:着信』


 突然の着信に驚きながらも俺は出ることにした。


「か、海斗君!」

「先輩……どうしたんですか? わざわざ、電話をかけてきて」

「海斗君の声をどうしても聞きたくなって……」


 黒羽先輩は甘えたような口調で。


「海斗君の声をもっと聞かせて欲しい」

「大丈夫ですよ。安心してください」

「あのさ、さっきの言葉をもう一度言ってくれないかしら?」

「さっきの言葉……?」

「そう、さっきの言葉。その……先輩、絶対に俺はいなくならないみたいな……」

「まぁ、いいですよ。先輩、絶対に俺はいなくなりません」

「…………」

「あの、突然黙られても困ります。その何か一言ください」

「海斗君、そのとってもよかったわ♡」


 ところで、と切り出してから、黒羽先輩は続けた。


「海斗君、明日会えないかしら?」

「明日ですか……ちょっと予定が」

「私よりも大切な用事があるの?」

「ええと……」


 志乃ちゃんとのデートが入っている。

 なんて、先輩の耳に入ったら、とっても危ない気がした。

 だからこそ、俺は黙り込むしかなかった。


「もう死にたい……」

「えっ?」

「あの頃は優しかったのに、今はもうこんなに冷たいだなんて……ぐすん」


 スマホの奥から涙声と鼻を啜る音が聞こえてきた。

 女の子を、それも……先輩を泣かせたくはなかった。

 だからこそ——。


「行きますよ」

「そう、それは嬉しいわ。それじゃあ、明日を楽しみにしてるわ♡」


 先程までの涙は何だったのか。

 先輩は明日の約束を取り付けると、連絡を切ったというわけだ。


◇◆◇◆◇◆


 黒羽先輩の家は一度見ただけで、お金持ちと分かるほどに立派な建物なのだ。

 何と言っても、広い。デカすぎるのだ。何もかもが。

 敷地面積が広いくせに、隅々まで清掃が施されているのだ。

 おまけに家には専属の家政婦が働いている。

 先輩は認めないが、彼女は俗に言うところの“お嬢様”なのであった。


「で、先輩……どうして俺は手錠を付けられているのでしょうか?」

「だって、こうしないと、海斗君逃げちゃうでしょ? うふふ」

「逃げちゃう状況を作る先輩が悪いと思うんですけど……」


 久々に先輩の家に入った。

 と思ったら、自分の部屋に来て欲しいと言われて。

 そのままズカズカ向かったら、あら不思議……俺はベッドに押し倒されてしまった。

 んで、慣れたように腕に手錠を付けられて、今の状況に至るわけだ。


「で……何するつもりですか? 俺をこんなところまで連れてきて」

「き……きす……」


 先輩は自らの潤んだ唇を指先で触れながら。


「海斗君……私にもう一度キスの味を教えてくれないかしら?」

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