第9話:センパイとキス
「キスの味……?」
戸惑う俺に対して、黒羽先輩は全く動じることはなかった。
長い黒髪を掻き上げながらも、俺の両脇に手を入れて。
「大丈夫よ、海斗君。センパイである私がリードしてあげるから」
「ちょ、ちょっと」
「安心して。少しの辛抱だから。気持ちよくしてあげるから」
黒羽先輩の暴走は止まらない。
一度決めたら、決して止まらないのだ。
キスを食い止めようとする俺の腕を押し除け、顔を最大限に近づけてくるのだが――。
「せ、先輩……」
「何かな? キスは自分からしますってこと?」
「違いますよッ!」
俺は強く言い放って。
「あのー、なぜキスする必要が?」
「それはもちろん決まってるでしょ。現在書いてる小説で行き詰まってしまったのよ」
「現在書いてる小説……?」
何を隠そう俺を鎖で縛り付け、唇を奪おうとする彼女は超人気WEB作家なのだ。
『小説家になろうよ!』では、ラブコメジャンルで一位を独占し続けるカリスマ。一部の熱狂的読者からは『萌え神』と呼ばれる存在なのである。
「実は感想に『キスの書き方が下手くそ。本当の恋愛をしたことがないからだろうな』と批判を食らったのよ」
黒羽先輩は歯ぎしりを立て、テーブルを手でカツカツカツと叩き始めた。
どうやらかなりご立腹のようだ。不穏なオーラだ。
このまま逃げたい気分だが……このまま返してくれそうにはない。
「さらには『童貞の御都合主義小説』とか『萌え神オワコン』とか言われて……ダメだわ。思い出しただけで殺意が芽生えてきた……今すぐに全員まとめて殺したい気分だわ」
舌打ちを鳴らすと、強気な瞳がコスモブルー色になった。
このままでは、読者を本気で殺害しに行きかねない。この人、妙に重たいし。
「読者だって悪気があったわけじゃないと思いますよ?」
「悪気があろうがなかろうがかまわないの。私の小説を邪魔する者は誰でも許さない」
ギリっと目付きを鋭くさせ、黒羽先輩は感想欄の読者IDを確認しながら。
「うふふふふ……全員覚えときなさい……萌え神の恐ろしさは現実世界にも及ぶのよ」
先輩の過激思想は置いとくとして。
批判読者に会いに行く作家というのは、面白いアイデアだな。
例えば、こんな感じかな。
ピンポーンとチャイムが鳴り、玄関へと向かう。
そこには見覚えが無い美しい女の姿。
何しに来たのだと、インターホン越しに尋ねてみても何も言わない。しかしその色香に騙されて、ドアを開けると——。
『あなた。私の小説に悪口書いたでしょ?』
考えただけで恐ろしい。というか、この萌え神なら普通にやりそうな気がする。今も「殺す殺す殺す」と呟いてるし。
「先輩、物騒なことを言わないでください」
「そうね。物騒な世の中、これ以上物騒なことは言わないほうがいいわね。それで決心はついたかしら?」
彼女は態度を豹変させ、明るい声で言ってきた。態度の振り幅が広くて、逆に恐ろしい。
「決心?」
「鈍感系主人公が嫌われる理由が垣間見えた気がするわ」
「覚えていますよ。キスですよね?」
「そう。それで返事は?」
欲しがる瞳。潤んだ唇。紅葉した頬。
先輩は強気な口調で言うけれど。
「俺たちはただの先輩と後輩では?」
「ひとりの女とひとりの男でもあるわよ」
「それはそうですけども……」
「別れを切り出したのは海斗君でしょ? 私の意志を尊重するわけもなく……」
一年前、俺と黒羽先輩は付き合っていた。
二人しかいない部室で、お互いに小説を書いて、切磋琢磨する日々。
それは惹かれた。逆に惹かれないほうがおかしい状況であった。
美人な先輩と毎日一緒に過ごすのだ。
でも、去年の文化祭終わりから、俺と先輩の関係は悪くなった。
全部俺のせいだった。
圧倒的な才能を持つ先輩を避けてしまったのだ。自分が彼女みたいな美しく、まだまだ成長し続ける可能性がある人の近くにいてもいいのかと。自分はただの足枷なのではと。このままでは先輩の邪魔になるだけなのではないかと。
そして、気付けば俺は別れを切り出していたのだ。
「センパイ、俺と別れてください。海斗君、あなたは確かにそう言ったわ」
「そうでしょ……だから、俺と先輩の間にはもう何もないんですよッ!」
「だけど、私が一回でも『はい』とでも言ったと思う……?」
「ええッ……」
「私はまだ海斗君と別れたつもりはないから。というか、別れる気がないから。ずっとずっと海斗君は私の彼氏だし、運命の人だと思っているから」
先輩の口から「はい、別れましょう」と言われたことは一度もなかった。
というか、別れるなんて言い出したら、ガチ泣きされて凶器を出されてこともある程度だ。だからこそ、俺の中ではもう終わった話だと思っていたのだが。
「俺が言える立場じゃないけど、先輩って束縛激しいですよね?」
「そうだけど何か文句でもあるの?」
黒羽先輩は開き直って。
「昔の男を追いかけ続ける未練タラタラな嫉妬深い独占欲女よッ!」
◇◆◇◆◇◆
可哀想な発言をしたあとでも、黒羽先輩の進撃は決して止まらない。
「海斗君は逆にキスがしたくないの?」
「したいかしたくないかと言われればしたいですけど……」
「ならいいじゃない。これぞまさに、WIN―WINな関係よね?」
勝手に話を進められた。
黒羽先輩は笑みを浮かべて、もう一度俺に問いかけてくる。
「もうキスしようよッ? 意地なんて張らなくいいからさ。一緒に気持ちよくなろッ? 全部全部……悪いのは私にしていいから。悪いのは全部私だから」
男子高校生としては大変嬉しいお誘いだった。
「振られた女だけど、私は全然気にしてないよ? 海斗君がもう一度私と付き合いたいと言えば、すぐにでも復縁する気満々だし。海斗君が私の体を弄びたいと思えば、すぐにでも差し出すつもりだよ。私、海斗君のためなら何でもする」
先輩の愛は重すぎる。ドン引きするほどに深すぎる。
好きになった者にはトコトン熱中し、そして尽くしてしまう女の子なのだ。
「せ、先輩……な、何を言っているんですか?」
「ほんとうだよ? だって、私……キミのことが大好きだもん」
先輩が俺のことを異常なほどに好きなことは知っていた。
だが、ここまでとは……。
「先輩」
「ん? どうしたのー?」
「俺がキスしたら正式に別れてくれますか?」
「…………キスしてくれるならいいよ。認めてあげないこともない」
でも、と切り出してから。
「このキスがキッカケで、キミがメロメロになる覚悟があるならね」
余裕な表情を浮かべる黒羽先輩は白い指先で淡い桃色の唇を押さえて。
「昔みたいにキミが、私の虜になって『しゅき♡ しゅき♡』言っても知らないよ? それでもいいなら——」
先輩が長々と言い続けたので、俺は彼女を口で黙らせることにした。
急激なキスにも関わらず、先輩は目を大きく開くだけだった。
「えへっ……キスするんだぁ」
「交渉成立ですからね」
お互いに軽いキスを行い、相手の出方を伺う。
それから、先輩と目を合わせて、本気のキスへと変えていく。
「海斗君って悪い男だね、振った女にまだ優しくするなんて」
「これは償いですよ。先輩を不幸にさせた俺のね」
俺と先輩は何度も何度も唇を交え、舌を絡めては唾液の交換を行う。
とろ〜んと長く伸びた液を垂らしながら先輩は恍惚な表情で。
「幸せだねッ♡ 一生ずっとこうしていたいね♡」
対面で抱き合いながらのキスは、最も興奮してしまう。
普段は凛々しい先輩が淫らに表情を歪ませているのだ。
黙り続ける俺に対して、先輩は少し怒ったような口調で。
「どうしたのかなぁ〜? もしかしてもうギブ? ギブアップ? 残念だけど、海斗君が大好きなセンパイは、まだまだこれぐらいじゃ物足りないよぉ〜?」
勝ち誇ったような表情で言いつつ、先輩は俺をベッドへと押し倒した。
馬乗り状態になったあと、彼女は覆いかぶさるように倒れてきて。
「もう一度海斗君とキスができる日を待ち望んで、それも絶好の自宅というシチュエーションで夜な夜な練習してたから全然大丈夫だからぁ〜」
チュパチュパと淫らな音が鳴り響く中、先輩は俺の手を掴んだ。
「こ、こっちもお、お願い……」
唇を塞がれたまま、俺は豊満な乳房を揉む。
服の上からでも柔らかな弾力があった。
「あぁ……こ、興奮するね……こーいうのぉ」
でも次第にそれだけでは物足りなく感じ、俺は服の下からも入れると。
「きゃあ♡ な、なまは……だ、ダメだよぉ〜」
一年前のような不慣れなものではなかった。
恋人だった頃、お互いの体でお互いの技術を磨いたのだ。
そして、お互いの敏感な部分も分かりあっているのだ。
「えええええっ? んあっ♡ だっ……だ、だめッ! だめ……そ、そこは」
「やめません。ここで止めたら、先輩が俺の弱い部分を狙いますよね?」
「非道ッ! わ、私の……よ、弱い部分ばっかり、ね、狙って」
「悪いのは誰ですか? 答えてください」
一度スイッチが入れば、俺の理性は留まることはない。
「んぁっ♡ だ、だめ……だめ……そ、そこ……び、敏感だから……」
「なら、答えてくださいよ。誰が悪いのか? ほら、誰が悪いか?」
「かい……海斗君が……悪い……海斗君が私を振ったかりゃああ♡」
「違いますよね? 先輩、さっき自分で言ってたじゃないですか?」
一度言葉を止めてから、俺は先輩に教えてあげた。
「悪いのは全部私だから、ですよね? ほら、言ってくださいよ」
その後も己の欲望のままに、上級生の華奢な体をもてあそんだ。
手錠を付けられたままなので、俺のほうが圧倒的に不利なのに。
それでも勝敗は着いた。
「……わ、悪いのは……わ、私です……私がぜ、ぜんぶ……悪いです」
完堕ちした黒羽先輩は口元を歪めつつ、自分の非を認めていた。
ダラシない格好で横たわる彼女の姿。
乱れた服の隙間から覗く、白い太ももが妙にいやらしく見えてしまう。
と思っていたのだが、回復力だけは人一倍強いらしくて。
「もう一回戦しよッ? ねぇ、もう一回ッ」
「先輩……そろそろ俺帰りたいんで、手錠を外してもらっても」
「返して欲しければ、もう一回戦ッ! それができないなら返さないわよ」
「えええ……あまりにも理不尽すぎませんか?」
「へぇ〜勝ち逃げする気なんだぁ〜。そんなこと絶対させないから」
キスの一回や二回。
ファーストキスじゃなければ、別に大した問題ではないだろう。
ていうか、先輩の場合、自分が勝つまで挑戦する気だと思うんだが。
「やれやれ……さっき俺に敗北したのを覚えてないんですか?」
勝者の笑みを浮かべた俺だったのだが——。
一時間後に及ぶ死闘の末に先輩が勝利を治めた。
最後はキスをするのも躊躇ってしまうのだが。
先輩はまだまだ余裕だったらしく、圧倒的な体力差で敗北してしまった。
「せ、先輩……も、もう……お、俺は……」
「ダメよ、海斗君。まだまだ海斗君には気持ちよくなってもらうわ♡ だって、そうしないと、私の良さが全然伝わらないでしょ?」
それから恥辱の限りを尽くされ、俺は昇天する思いをしたのだが。
まぁーわざわざ詳しく説明する必要はないだろう。
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