第7話:後輩ちゃんと二人だけの空間
「先輩、あそこです」
椎名志乃が指差す方向には、『家庭科第二室』と教室札が掛けられていた。
彼女は得意げに鍵を取り出し、手慣れたように錠を開いた。
「ではどうぞ。先輩、入ってください」
一階の隅にポツンと佇む教室。
そんな場所に超絶可愛いと評判の新入生と一緒で弁当だなんて。
あまりにも青春すぎないか?
「ん? どうかしたんですかー?」
「ええと。ううん、なんでもないよ」
「もしかして、わたしと二人っきりだと思って喜びました?」
「そ、そんなこと」
「あるんですねー」
椎名志乃はニコッと微笑んだ。
それから俺の背中を押しながら。
「はいはいー。行きますよー」
「そ、それにしても結構広いなー」
普通教室二個分ぐらいの広さだ。
家庭科第二室だと聞いたが、果たして使う日は訪れるのだろうか?
普段使っているのが第一室だと思うし。
「たしかに広いですよねー。でもいいじゃないですか。広いほうが、開放感があって」
「まぁ、それはそうだけどさ……」
こんなに広い教室を占領していいのか。
まぁ、どうせ俺たちしか使わないと思うんだけどさ。
「あ、先輩。もしかして……」
椎名志乃は口を手で軽く押さえ、からかうような口調で。
「広かったらわたしと密着できないと思って寂しいんですよねー?」
「だ……誰がそ、そんなこと」
「わかりますよ、先輩。わたしも実は……狭いほうが良かったのにと思っているので」
だって。
と呟きつつ、椎名志乃は俺の耳元で囁いた。
「だって、狭いなら先輩に胸を押し付けても問題ないじゃないですかー」
「えっ……?」
「それに、もしも先輩が乗り気なら揉んでくれるかもしれないですし」
空き教室。
人目が付かない場所で二人きり。
そこは絶好のイチャつきスポットと言っても過言ではない。
『おい……志乃ちゃん気持ちいいかい?』
『ふぉい……せ、せんぱいの……せんぱいの手付きがい、いやらしくて……わ、わたしの敏感なところを刺激して……』
『ダメだよ? もしかして少し触っただけで感じちゃったの? 悪い子猫ちゃんだね』
変な想像が過ったけれど。
こんな展開が起きてもおかしくないのだ。
と思うと、無性に顔が熱くなってきてしまう。
「どうしたんですか? 先輩、もしかして……えっちな想像しちゃいました?」
完全にやってしまっていた。
だが、正直に答えるほど俺もバカではない。
「さっさとお昼にしようぜ」
「そうですね。でも先輩が乗り気なら、わたしはいつでも準備万端ですよ」
◇◆◇◆◇◆
「はい、先輩ッ!」
椎名志乃はバッグから可愛らしい水玉模様のお弁当箱を二個取り出した。
一つは水色で、もう一つは桃色だ。
「先輩のはこっちです!!」
俺が受け取ったのは水色。桃色に比べ、少し大きかった。
「おお、ありがとうな」
「先輩の口から『ありがとう』という言葉を言ってもらえる日が来るとは……これはとっても光栄なのです。それに先輩、わたしのお弁当が食べたくて食べたくて仕方がないから早く食べようだなんて……えへへとっても嬉しいですー」
「はいはい。そうだなそうだな」
俺は適当にあしらいながら。
「あ、もう食べていいかな? お腹がペコペコなんだよ」
「はい、どうぞどうぞ食べてください!」
「それでは早速」
俺はスルスルと固く結ばれた風呂敷を解き、弁当箱を開いた。
「おぉー美味そうだな」
思わず声が出てきてしまった。
だが、それと同時に「あれ?」という僅かな疑問も生まれた。
「美味そうではなく絶対に美味しいですよー!」
椎名志乃は言葉の撤回を申し込んできたが。
俺の胃袋はそんな相談を受付はしなかった。
「今日実は手作りなんです。先輩への愛を込めて一生懸命作りました」
椎名志乃の愛が窺えるように、色取り取りの食材が並んでいた。
玉子焼き、キュウリとトマトの浅漬け、鶏の唐揚げ、ひじきの煮物。
色合いや栄養バランスをしっかりと考えられたおかずなのである。
だが、もう一度言おう。そう、おかずだけなのである。
「あのさ……ごはんは?」
「ああ……すみません。すぐに出します!」
慌ただしく、バッグから金属製の容器を取り出した。
「はい、これが先輩のごはんです!」
言われるがままに受け取り、中を開いてみる。
何と言うことか。
湯気が出るではないか。それに温かい。
俺が驚いた表情を見せたので、彼女は得意そうに。
「先輩、これステンレス製の弁当箱なんです。だから温かいまま食べれるんですよー」
「こ、これは凄いな」
お弁当業界もここまできていたとは。
普段、学食か購買部のパンを食べる生活だったから全く知らなかった。
蓋を取ると、湯気がモクモクと立ち上り、空気中へと消えていく。
そして、ふっくらした出来立てごはんが——目に入らなかった。
「……これは一体?」
俺は椎名志乃へ目線を向け、ごはんに仕組まれた罠について問いかける。
「先輩、気に入ってくれましたか?」
問いかけを問いかけで返すとは……。
実は、ごはんには海苔で『I LOVE YOU』の文字が書かれていたのだ。
面積の小さい器ということもあり、中々に手の込んだものである。
だが、俺は言わなければならないことがある。
「お前は恥ずかしいと思わないのか?」
「何がです? わたしは先輩のことが本気で好きです。だから恥ずかくありません」
椎名志乃は両腕で頬杖を作り、足をブラブラとさせながら。
「むしろ、好きなひとや好きなものを隠すほうが恥ずかしいと思います!」
「気持ちは分かるけどもさ……」
表情はニコニコ笑顔。
どうしてそんなに好きとか面と向かって堂々と言えるのだろうか。
こっちは顔に熱を帯びてしまうってのに。
◇◆◇◆◇◆
「それでは先輩。作戦会議を開きましょうか」
椎名志乃が作った美味しい弁当を食べながら、俺は会議を進めることにした。
議題内容は『佐倉海斗(俺)がどうやったら小説を書けるようになるか』である。
「そもそもなんですけど……先輩はどうして小説を書けないんですか?」
「どうしてって……そ、それは」
——この小説面白くない——
——誰が書いたんだよ? この駄作——
——こっちの小説はマジでつまんねぇーよな——
「面白くない小説を書きたくないと思ってな」
「なるほど。でも実際に書いてはいるんですか?」
「まぁー多少は書いてるが、面白くないと思って全消ししてる」
「ありゃー。それは重症ですね」
椎名志乃はスマホをフリックした。
どうやらメモ帳に書き込んでいるらしい。
「小説の得意ジャンルはありますか?」
「ラブコメと青春恋愛系だと思う」
「純愛系ですか? 不純系ですか?」
「純愛系が好きかな。最後は絶対ハッピーエンドになる感じの」
「ご都合主義全開のハッピーエンドになりますもんね、先輩の作品」
「別にいいだろ、好きなんだよ」
「では、わたしと先輩のラブストーリーも最後はハッピーエンドに?」
「まだ付き合ってもないのに」
「あ、先輩は誰かとお付き合いしたことがありますか?」
「その質問……ほんとうに意味があるのか?」
「女性経験の有無は作品に関係がありますよ」
「部活の先輩と付き合ってたが……」
「へぇ〜。先輩って初物じゃないんですね……」
椎名志乃の眼光が鋭いものになった。
ような気がするのは、俺の勘違いだと思いたい。
「先輩の家族構成を教えてください」
「誰が教えるかッ!」
「あ、海外出張中の両親と妹さんがいるんでしたよね?」
「どこから入手したんだよ、その情報ッ! 当たってるけど」
その後も、俺は質問攻めを食らった。
書きたいのは男性向けか女性向けか。好きな食べ物は何か。好きな女性のタイプは。
などなど、小説に関係ある話、ない話含めてだ。
「それでは最後の質問です」
椎名志乃は真面目な表情で切り出して。
「先輩にとって面白い小説とは何ですか?」
俺はその答えを出すことはできなかった。
面白い小説と面白くない小説。その基準が元々分からなかったのだ。
それならば、最初から面白い小説を書けるはずがない。
「とりあえず先輩は、面白い小説とは何かを考える必要がありそうです」
◇◆◇◆◇◆
「あのー先輩。この際ですから、バッチリこっちりわたしの呼び方を決めましょう!」
「椎名さんでいいんじゃないか?」
彼女は口を尖らせて。
「むうーっ。それでは、特別感がありません!」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ?」
「そうですねー。
まさかの呼び捨てか。一応後輩だから呼び捨てでも問題はないのか。
でも、志乃って呼び捨てしているのが他の生徒たちに見つかったら……。
滅多撃ちにされること間違いなしだ。ここは無難な選択をする他ない。
「志乃ちゃん……」
口に出してみると、何だかとっても恥ずかしかった。
いや、別に俺が言われている本人ではないのだが。
言われた本人は「むふふふー」とニコニコ笑って。
「そんなに照れなくてもいいですよー。もう一回、呼んでください」
おかわりを頂戴されてしまった。俺はそんな優しい人間ではない。
「嫌だ」
「いいじゃないですかー。減るもんじゃないですしー。それに聞こえませんでしたー」
「は、恥ずかしいんだよ……」
「まぁまぁーそんなに照れなくて大丈夫ですよー」
し、仕方ない……。可愛い後輩の頼みだ。
「……し、志乃ちゃん」
二回目は意外と言いやすかった。だが、少し変な感じがした。
でもすぐに呼び方などは慣れていくだろう。
と、スゥーと手が伸びてきて。
「先輩、よくできましたね」
後輩に頭を撫でられた。
こんな姿を見たら、他の生徒は何と言うのだろうか。
ただ、俺の意見を言わせてくれ。後輩に甘やかされるのも意外と悪くない。
あ、言い忘れてたけど、椎名志乃のお弁当は美味しかった。
あと、俺の大好きな唐揚げが入っているとはポイントが高い。
「ところで先輩。週末空いてますか?」
「週末……何も入ってなかったと思うが」
「なら、わたしとデートしましょうか」
「デート……? いきなりだな……ていうか、どうして?」
「男性向けのラブコメや恋愛作品は、ヒロインの可愛さで勝負が決まります!」
「つまり……?」
「わたしと一緒にヒロインの勉強会をしましょう、とっても参考になる場所があるんです」
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