第6話:乙女の秘密

 学校へと無事に到着。

 生徒たちから殺意ある眼差しを受けているのだが。

 まぁーその辺はあまり気にしないことにしよう。


「それでは先輩。今日も一日頑張ってくださいね」

「おう……椎名さんも頑張れよ」


 俺は椎名志乃と別れて、自分の教室へと向かおうとする。

 と、ギュッとシャツの袖を掴まれてしまった。

 後ろを振り向く。椎名志乃だった。


「どうかしたか?」

「そ、その先輩。た、楽しみにしてください」

「えっ?」

「それは乙女の秘密です」


 椎名志乃は悪戯な笑みを浮かべると立ち去った。

 一体どんな意味なのだと不思議に思ったけど、本人が秘密だというのだ。

 聞き返すことはしなかった。でも、やはり気になってしまった。



 その謎が分かるのは昼休みの時間帯であった。

 授業が終わり、昼ご飯を買いに行こうと席を立ったときだ。

 廊下がガヤガヤとうるさくなっていた。どうせ、購買部の熾烈なパン争奪戦に負けた生徒が反乱でも起こしたのだろう。そんな推測をしながら、俺は学食のスペシャルランチ争奪戦へと足を運んでいたのだが。


「ま、待ってくださいー。海斗先輩ー」


 その声に合わせるように人集りが開き、椎名志乃が早歩きでこちらへやってきた。

 この人集りを作っていたのは彼女らしい。

 たしかに、彼女ほどの美少女が二年生の廊下を歩いていれば、それは人目を引くものだ。


「ったく……俺は平穏な日常を送りたいんだが……」


 椎名志乃は俺の顔を見るなり、朗らかに笑った。周りの生徒たちは何故彼女が俺に用があるのかと不思議な表情を示す。それに男子生徒たちからかなり睨まれているのだが……。


「……何しに来たんだ? お前は一年だろ?」

「先輩ー。忘れちゃいました? わたし、楽しみにしててくださいって言いましたよね?」

「それって?」

「あー。あの先輩ってまだお昼は食べてないですよね」

「そうだが……今から学食に行こうと思ってな」


 椎名志乃は小さく「よしっと」と呟き、ガッツポーズを作った。


「それでは先輩、一緒に食べましょう。わたし、お弁当を作ってきたので!!」


 椎名志乃の発言をきっかけとして、周りからの視線がさらに鋭くなった気がする。


——おい、あの野郎……我らがアイドル志乃ちゃんにまで手を出しやがって——

——ふざけるなよ、我らの天使志乃ちゃんの弁当を食べられるなんて——

——クッソタレがぁ! オレは生きる世界線を間違ってしまったのか——


 非モテな男連中のぼやきが聞こえてきた。

 睨みつけ具合がエグい。アレは完全に俺に殺意を込めている。

 だが、椎名志乃は俺が殺意を込められた視線を向けられていることには気づかず。


「先輩とお弁当……先輩とお昼……た、楽しみです」


 と、浮かれてやがっていた。

 自分の脳内でもう確定事項なのかもしれないが。


「悪いが、それはむ——」


 アレ? 女子生徒から不穏な空気を向けられているんだが。


——乙女の頑張りを無駄にするつもり?——

——最低じゃない? あれを断るって——

——可愛い新入生を侍らせるなんて最悪じゃない?——


「先輩、どうしました? わたしと一緒に食べるのはいやですか?」

「そっそそそ、そんなことあるわけないだろー。ほら、行こうぜ」


 俺は周りからの視線から逃げるように椎名志乃の腕を掴んで、その場を去ることにした。


◇◆◇◆◇◆


 廊下を離れ、階段を降りる。

 その後、生徒たちが誰もいないことを確認したところ。


「先輩って……結構、強引ですよね」


 椎名志乃は頬を赤く染めていた。


「何だか大国のお姫様になったみたいです……えへへへ」


 外出を許されない囚われの姫を想像しているらしい。

 俺は慌てて、掴んでいた腕を離したのだが、もう全てが遅い。


「先輩が王子様で……わたしがお姫様……あぁー想像が進みますぅ〜」


 女子高校生の想像力。

 特にガチ恋勢ファンの妄想力は人一倍強く、俺に握られた箇所を名残惜しそうに撫でている。アイドルの握手会に参加したファンがもう二度と手を洗わないと誓うような表情を浮かべてやがる。あまり深く考えなかったけど、かなり大胆な行動したものだ。


「で、お昼はどこで食べるんだ?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれました。実はこれを見て下さい!!」


 そういって、彼女はバッグから鍵を取り出した。


「これは空き教室の鍵です。恋する乙女に優しい先輩が渡してくれました」


 鍵を拾ったとか、盗んだとかじゃなくてまずは一安心。

 だが、恋する乙女に優しい先輩ね。

 誰のことかはさっぱり分からないが……余計なことをしてくれたな。


「あのさ……椎名さんが頑張っているのは分かるんだが」

「分かるんだが?」

「小説以外のことは放っておいてくれないか?」


 椎名志乃が行っていることは男子ならば嬉しいことばかりだ。

 けれど、俺は平穏な日常を望んでいるというか。平凡な毎日を歩みたいのだ。

 それなのに——椎名志乃がいたら、その日常は掻き消されてしまうのだ。


「俺はさ、本気で悩んでるんだよ。本気で小説のことを考えているんだ!」


 椎名志乃の行動は空回りしているとしか思えない。

 ていうか、恋愛大好きな後輩ちゃんが憧れの先輩に近づき、恋愛成就を目指している。

 そんなふうにしか思えないのだ。

 こっちは小説が書けないという悩みを抱えて苦しんでいるのに。


「椎名さんがいたら、俺は小説を考える時間がなくなるんだ」


 だからさ、と続けて。


「邪魔しないでくれるか?」


 言わなければよかったかもしれない。

 でも、言わなければ伝わらないと思ったのだ。

 だが——。


「先輩は誤解していると思います」

「誤解……?」

「はい。わたしを脳内お花畑の恋愛大好き少女と勘違いしないでください!」


 椎名志乃は強い口調で言い切ると。


「食事を取りながら作戦会議しましょう、先輩がもう一度小説を書く方法を」


 椎名志乃。

 俺のことが大好きで、自宅前に潜伏するガチ恋勢のファン。

 そんなふうに思っていたが、俺はひとつ勘違いしていたらしい。


「ごめん……本気で考えてくれていたんだな」

「もちろんです。先輩に小説を書かせるのが、わたしの仕事ですから」

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