サカキ ④



 コーリとともにカウンターへと戻ると、ヤマセの姿はすでになかった。

 サカキはカウンターに向こう側の椅子に行儀よく腰をおろしていて、コーリとユージローの姿を赤い瞳でとらえると、やっときたか、とぼやいた。


「あれ、ヤマセさんは一緒ではないんですか?」

「あいつなら、何やら用事があるといってその扉から出掛けて行ったぞ」


 サカキはそう言って、彼が入ってきた扉を肩越しに指さした。

 そんな話は少しも聞いてなかったから、少しだけ驚いた。普段なら、用事があれば先にそうい言ってくれる。だから、余程急な用事が入ったのかもしれない。今に始まったことではないが、ヤマセは掴みどころのない気質がある。全てを語らなくて良い、と言ってくれた彼にも、語りたくないことはあるだろう。何も問題がないと良いけれど。

 そんなことを思っていたユージローをよそに、サカキはコーリを見ると、何やら楽しげに目を細めた。


「お前は少しも変わらんな、コーリ」

「アンタも大差ないだろう」

「減らず口も相変わらずで安心したぞ」


 まるで久々に会った親しい間柄のような会話だ。

 サカキがこの店に来たのは数百年ぶりだと言っていた。つまり彼らが会うのは数百年ぶりということになる。

 ここでの時間の流れは、ユージローが元居た世界とは違うということは理解しているつもりだった。しかし、こうして改めて見せつけられると、コーリもヤマセも、ユージローとは随分と違う存在で、尚且つ随分と長い時を生きているのだと実感する。

 さっきサカキは、此処に人間がいるなんて初めてだ、と言っていた。一体どうしてヤマセは、得体の知れない存在であるユージローに此処にいてもいい、と言ってくれたのか。またその疑問がわき上がってくる。

 しかし聞く相手は今此処には居ない。サカキを見れば、肩をすくめられてしまった。


「ヤマセの心はヤマセにしか分からん。分からんことは答えられん」

「そう、ですよね」


 もしもサカキが心を見透かす慧眼の持ち主だったとしても、ヤマセが居ないのに聞いてしまうのは狡い事だとユージローにも分かっている。やはり、さっき疑問を持った時に聞いておけば良かった。

 グズだねぇ。

 一瞬耳元で聞こえた女の声。心臓を握られたような息苦しさを覚えた。喉に見えない何かがつっかえたみたいに、息がしづらい。そうなったユージローに、見届けたと言わんばかりにゆっくりとその声は消え去っていく。

 聞き覚えのある声だった。でも、一体それをどこで聞いたのだったか。


「小童」


 思考を遮ったのは、サカキの声だった。

 赤い瞳は、少しだけ緩んでいて柔らかな光を灯している。


「あまり気負うな。此処にお前を害する者は居ない。そして、入ってくることもない。お前はお前が思うまま、お前自身の声に耳を澄ませるが良い」


 喉につっかえていたものを押し流す強さが、その言葉にはあった。心臓はまだ少し痛むけれど、さっきよりも随分としやすくなった呼吸。大きく息を吐き出して、僅かに滲んだ視界を隠す様に頭を少し下げた。


「ありがとうございます、サカキさん」


 サカキが満足げに頷く。その一部始終を見ていたコーリが意外そうな声を上げた。


「アンタが人間に肩入れするなんて珍しいな」

「それを言うならヤマセだろうに。ワタシは人間にはそれなりに平等だぞ」

「そうか? 俺がアンタから聞く話は多くが人間の愚痴だった気がしたんだが」

「昔は昔、今は今だ」

「今回の鍵もその人間嫌い故だと思ったが、違うのか?」


 そう言ったコーリの手によって、そっとカウンターに置かれたのは、ユージローも見たあの、ヴェールの細工に包まれた鍵だった。

 漆黒でありながら、上品な光沢を持つその鍵は、サカキが要求したように、まるで外から鍵だと認知されるまいとその体をヴェールで隠している。

 視界にその鍵を入れたサカキは、静かに目を細めた。


「勘違いするな。人間が嫌いなわけではない」


 上質な着物の袖に隠れていた手が、おもむろに現れてその鍵に触れる。彼の髪と同じ色をした長く鋭い爪が彩る指先は、魚の鱗の様に七色に煌めくものがところどころに見えた。

 面白くなさそうに口を尖らせて、爪先で鍵に触れるサカキは言った。


「ワタシは、自身では何の行動もせずにワタシにばかり押しつけてくる人間が嫌いなだけだ。ワタシ達にできることは限られているということを知らぬ、無知さが嫌いなのだ。手助けは出来ても、全てを叶える力はその人間しか持っていないというのに」


 呆れたようでもありながら、残念そうでもある声だった。鍵を見つめる瞳は、鍵ではないどこか遠くを見ている。

 その瞳は、長い間そういう人を見てきたのだろう。

 彼が語った話は、この店で作る鍵とそれを受け取るヒトとの関係とまるで同じだ。

 此処で渡される鍵も、受け取るヒトによっては使えない事もある。鍵穴はあっても使えない事もあれば、鍵穴を見つけられないこともある。そもそも求めている鍵が違う事もある。この店で鍵を作る事はできても、使う手伝いは出来ない。

 それをサカキは幾百年以上見てきている。

 気が遠くなるほど長い間、それを見るのは一体どういう気分なのだろう。頭ごなしに文句も言われたのだろうか。

 ユージローには分からない。それなのに、何だか悔しくて体の横で拳を握り締めた。


「まあ、それとこの鍵は関係はないのだが」


 おどけた様に声を軽くしたサカキは、口角を緩く持ち上げて、その鍵を掴む。

 流れる様な動作でその鍵を持ち上げると、彼の頭についている黄土色のツノへとその鍵を押し当てた。

 ぱきっ、とガラスが割れる様な涼やかな音が響く。え、とユージローの口から溢れた言葉を掻き消す様に、捩じれた黄土色がパラパラと崩れて始めた。そのカケラは床に落ちる事はなく、店を照らす灯りの光に、溶ける様に消えていく。

 見れば、彼の口元の牙も、同じ様に砕け始めていた。

 それに構うわけでもなく、ただサカキは微笑んでいて、コーリもその様子に何を言うでもなく見守っている。


「サ、サカキさん! ツノと牙が…!」

「心配は不要だ。これがワタシが求めていたことなのだから」


 黙っていられなかったユージローを諭す様に、サカキはそう言って、パラパラと雪の様に落ちては消えていくモノを見るでもなく、全てが無くなるまでそこで座っているだけだった。

 




 

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