サカキ ③



 研磨をかけている音が鋭く響いている。工房をこっそりと覗くと、コーリは変わらず一心に鍵に向き合っていた。邪魔をするな、と直接言われることはないけれど、少し声を躊躇ってしまうくらいには、その横顔は真剣だ。どうしよう、と悩みながらカウンターの方を見遣る。声までは聞こえないが、サカキは何やらヤマセと話をしているようだった。

 もう少し様子を見てからでもいいかな。なんて思っていたら、ふと研磨の音が止んだ。


「ユージロー? どうした」


 掛けられた声に、ハッとする。コーリは煤を頬骨のところにつけたまま、顔を上げていた。コーリの額から、ぽつりと一つの雫が落ちていく。それを何でもないように軍手をした手の甲で拭って、首を傾げられた。

 集中していた意識を割いてしまっただろうか。

 少しだけ申し訳なく思う。あんなに真剣なのに邪魔をしてしまったかもしれない。否、仕方ないことといえばそうなのだけれど。やっぱり何かに集中している人を邪魔するのはあまり気が進まないのだ。

 そんな気持ちを顔に出さずに笑みを顔に貼り付けつつ、お客さんです、と声を出す。


「サカキさんという方が、身を隠す鍵が欲しいそうです」

「嗚呼、あの人か。わかった」


 納得したように頷いたコーリは、軍手を外して立ち上がった。その素振りには少しの嫌味も感じられない。たいていの人は、自分が集中していたことを邪魔されると、不機嫌になる。ゲームをしていた子どもが親に、やめなさい、と言われて口を尖らせるだけならまだ可愛い。しかし大kの場合はそうではない。恨みがましい目を向けられて、酷いときには舌打ちだってされる。一瞬頭にスーツを着て不機嫌そうな顔でこちらを睨んでくる男が浮かんだ。


――本当に役に立たないな。


 冷たい声が頭に響いて、その冷たさから這い出た黒いものがじわりじわりと鼓膜に張り付いていく。寒気がする冷たさと共に黒い靄が耳から顔を覆っていくような感覚に襲われる。


「大丈夫か、ユージロー」


 ぽん、と肩を叩かれて寒気がぱっと消えた。目の前を覆っていたはずの黒は、今はない。静かに視線を上げると、少しだけ眉を寄せたコーリに見下されていた。


「だ、大丈夫です!」

「あんまり無理するな。それと、客が来たら俺が鍵の相手をしてても声を掛けていい。お前は遠慮しすぎだ」


 落ち着かせるように肩を淡く叩いてくれたコーリに、目の奥がカッと熱くなった。

 どこかでその言葉を言われたかった気がする。どこだっただろう。思い出せない。でも、そのコーリの言葉が、鼓膜に張り付いていた黒い澱も冷たさも全て取り去っていったように、体が軽くなった。

 目元を思い切り腕で拭って、今度こそ心の底から笑った。


「ありがとうございます、コーリさん」

「うん」


 本当に自分が今いる此処が、温かい場所で良かった。

 自分を囲む人たちの温かさは、心と体の芯が冷えそうなとき、いつだって寄り添ってくれる。ヤマセが淹れてくれるお茶も、ヤマセの言動も、コーリの言動も、何一つとしてユージローを責め立てない。冷たいものも呼び起こさない。それどころか、胸の中にぽっかりと空いた穴を塞いでくれる。

 あ、と思い出したようにコーリが声を上げて、ユージローを見た。


「お前にはまだ見せたことなかったな」

「? 何をですか?」

「鍵がおいてある場所」


 端的に言ったコーリは、何やら壁の方へと手を伸ばした。そこには棚しかない。その棚に全部入っているのだろうか。それにしては随分と小さい気がする。いやだからこそ、店の至るところに鍵がぶら下がっているのかもしれないな。

 そう思ったときだった。

 棚の扉を開けたコーリは、中にあった小さな取手を掴んで手前に引いた。

 すると、緩やかにその棚が横へとずれていく。棚がずれるスペースなんてなかったはずなのに、なんの違和感もなく、何か物が落ちることもなく、すんなりとその扉は開いた。

 コーリについてその部屋に入る。


「ここが、鍵の保管場所だ」

「わあ…、すごい」


 店内よりも暗めの照明が使われた、薄ぼんやりと明るい部屋だった。

 三畳未満の広さの部屋の壁に埋込式の棚があり、視線を上げるほど暗くなっていき、天井は見えない。どこまでも高く続く棚の一つ一つの仕切りの大きさは、物によってマチマチだった。コーリはなんの迷いもなく、目線よりも少し高い位置にある一つの仕切りへと手を伸ばして、艶のある檜皮色をした長方形の木箱を取り出した。

 ユージローが手元を覗き込んだのを見計らったように、その箱は開けられた。

 中に入っていたのは、黒を基調とした鍵だった。鍵の頭の部分から、サテンのような黒い布が垂れて、柄も鍵の山の部分もすっかり隠している。まるで葬儀で身につける黒いヴェールのように、すべてを覆っている不思議な鍵だった。


「それが、身を隠す鍵、ですか?」

「ああ。先代が作ったものだが」


 コーリはそう言って、取り出した鍵を箱から取り出して、またその空き箱は棚へと戻された。

 もしかして、コーリさんはここにある鍵をすべて種類まで覚えているのだろうか。しかも、自分が作ったのではないものまで、全部。

 そんな疑問が頭に湧く。

 自分で作ったものならば、それはわかる。あれだけ丹精込めて作っているのだから、覚えていても当然だ。しかし、そうではないものまでも覚えるのは、簡単ではない。少なくとも、ユージローには至難の業だ。もしかしたらユージローの知らない力をコーリは使って覚えているのかもしれないが、それでもすごいと思ってしまう。


「俺がいるときはいいが、それ以外は此処は開けるな」


 力強い声にコーリを見る。絶対に、と彼は言わなかったけれど、彼の眼光はそれに匹敵する強さがあった。何度も首を降って頷く。コーリが初めて強い言葉を使ったから余計にかもしれない。彼は冷静な対応をいつだってするけれど、命令することは殆ど無い。そのコーリがこういうのだから、よほどの理由があるのだろう。


「その代わり、声を掛けてくれれば覗いてもらっても構わない」

「わ、わかりました! そうします!」

「うん」


 少しだけホッとしたように、彼は肩の力を抜いた。

 何事もなかったように出るように促されて、今度はユージローを先頭に店内へと戻る。









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