佐々木 ④
「すみません。こんな時間だし、ちょっと夢じゃないかって疑っちゃって」
くるりと腕を回して見えた時計盤は、もう別の日付になって10分以上経とうとしている。案外時間は進んでいない。それにホッとしつつもやはり遅いには遅い時間だ。
休日ならとっくに眠っている。こんなに自分にとって良いことばかり起こるなんて、もしかしたら立ったまま夢でも見てるんじゃないか。そんな風に思ってしまったのだ。
「それは、自分自身を信用してないってことか?」
コーリの鋭い声が飛ぶ。
佐々木を見つめる、突き刺さるような視線。いつもなら適当な言葉で流していたけれど、彼の視線には嘘が吐けなかった。
自分を信用する。そんなことできた事があるだろうか。
小さく、わかりません、と口を動かす。
「でも、自分の事を100パーセント信用出来る人なんているんですか?」
「いるにはいるだろうな。全員ではないと思うが」
「じゃあどうして俺に、自分を信用してないかって聞くんです?」
「別の鍵を使うのに、それが必要だから」
「? どういう意味ですか?」
「ササキさん」
二人の会話を遮るように小さく声を上げてのは、ユージローだ。
コーリに向けていた視線を彼に向ければ、佐々木の様子を窺いたいのか、彼は少しだけ頭を下げて下から覗き込んでいた。恐る恐ると言ったように口を数度動かしてからぐっと唾を飲み干して、ユージローは口を開く。
「この店は確かに、どんな鍵でも用意する事が出来ます。でも、その鍵を使うのは鍵を依頼した本人で、僕たちじゃありません。貴方自身が貴方自身を疑っていると、鍵は使えないんです」
意味が分からない、と首を傾げる。
鍵は何でも作れるというのに、自分を信用していないと鍵は使えない。何だかあべこべで、頓知のようにも聞こえる。鍵穴があれば何処でも差し込んで使えるものだと思っていたけれど、そうではないのだろうか。
「鍵は鍵穴があれば良いんじゃないですか?」
「そうだな。でも、その鍵穴を探すのは、アンタ自身だ」
「……俺自身?」
ああ、と頷いたコーリは、やはり腹を立てている様子はない。
「俺たちは鍵を作る。けど、その先は使うも使わないも鍵を欲しいと言ってきた本人次第だ。鍵を受け取っても鍵穴を見つけられない奴はいる」
大きく目を見開く。
なんだ、それ。そんな声が口からこぼれ落ちた。
「コーリさんの言うとおり、此処で鍵を受け取った人でも、使えない人はいます。依頼して取りに来ない方もいます。文句を言いに来る方も時々います」
ユージローが少し目を伏せて、静かに言った。
つまり、もしも自分が鍵を作ったとして、それがただのガラクタで終わる可能性もある、ということだろう。
それって詐欺じゃないのか。だってただのガラクタを売りつけたってことになりかねない。それで、お金を取ろうなんて。
でも、佐々木にはユージローやコーリが詐欺師には見えなかった。店の奥でニヤニヤと笑みを零しているヤマセは、その気質があるかも知れないが、少なくとも目の前の二人は違う気がした。
そして本当に詐欺師だとしたら、こんなことを言ってはくれない。デメリットを伝える事なんてしないで、へらへらと佐々木のご機嫌だけをとって、商品を売りつければ良いのだから。
鍵穴。それを俺は見つける事が出来るだろうか。わからない。本当にガラクタで終わるかもしれない。
「店としては別に構わないってコーリさんは言うんですけど、やっぱり僕は折角来てくれた人には、その鍵を使って欲しいと思うから。だからササキさんにも、鍵穴を見つけて欲しいと僕は思ってます」
「それに、自分を信用することが必要ってことですか?」
「はい」
深く頷いたユージローに、そっと視線を下げる。
変わらず目の前にあるのは、銀色を跳ね返す家の鍵。その鍵穴は、探さなくてもきちんとある場所が解る。
しかし、佐々木が本当に欲しい『一歩を踏み出せる鍵』の鍵穴は、自分で見つけるしかない。途方もない捜し物になるかもしれない。それでも、本当に欲しいのだろうか。見つからない可能性だってあるのに。
頭の中を巡る弱気な己の声。
でも、と声がする。ずっと目を背けてきた、自分自身の本心の悲痛な叫びのようにも、背中を押す激励の様にも聞こえる。
このまま何もしないままでいるのは、もう嫌だ。変わるきっかけがあるのなら、何だって欲しい。起こるかも解らない未来の心配なんて、今此処で捨ててしまえよ。お前には本当にやりたいことがあるんだろう?
ずっと捨てられなかったその想いが、証明じゃないのか。
そうだ。
ぐっと拳を握り締める。
「………ぃです」
「ササキさん?」
弾かれたように顔を上げて、二人を見る。パチパチと目を瞬くユージローと、変わらず真っ直ぐに佐々木を見つめるコーリを交互に見ながら、喉まで迫り上がってきた言葉を吐き出す。
「欲しいです。一歩を踏み出せる鍵を、俺自身のために、作ってくれませんか。お願いします!」
勢い良く立ち上がって頭を下げた。
こんな機会、もうきっとない。今日を逃したら、もう二度と訪れない気がする。チャンスの神には前髪しかない。今、目の前にある前髪を逃したら、二度と彼らに会えないかもしれない。だったら、絶対に逃したくない。だってずっと諦めきれなかったものを、掴み取りたいから。
とん、と叩かれた肩。ゆっくりと顔を上げれば、佐々木の肩に手を置いたままのコーリが口角を持ち上げていた。数度、ぽんぽんと肩を叩いてくれた彼は、そのまま席を立つ。
「ユージロー、後はよろしく頼む」
「はい! 解りました!」
すぐさま奥へと引っ込んでいったコーリの代わりに、ユージローがまた目の前に腰を据えた。にこにこと人懐っこい笑みを浮かべて、囁いてくる。
「コーリさん、本気出しちゃいましたね」
「え、そうなんですか?」
「はい。稀に見る気合いの入り方です」
くすくすと笑ってなにやら上機嫌なユージローから目を離して、奥をみやる。背筋を伸ばしても、首を伸ばしても、身体を傾けても、コーリの姿を捉えることは出来ない。壁に寄りかかっているヤマセが口を動かしているのは見えても、内容までは聞こえなかった。
「それで、お代の事なんですけど」
ユージローの一言に、サッと身体と視線を戻す。
背筋が伸びてしまったのは、これだけ奇天烈な鍵を用意して貰うのには、ひっくり返ってしまうほどの大金が掛かるんじゃないかと思ったからだ。クレジットカード使えるかな、なんて財布を取り出そうと鞄に手をかけた時、あ、とユージローから声が上がる。
「お財布は必要無いですよ」
「え、だって代金ってお金ですよね?」
「ササキさん、忘れてしまったんですか? この店は普通じゃないって」
「いえ、覚えてますけど。………、え。もしかして、俺の命、とかですか?」
「ダメですよ! 今から鍵作るのに命無くしてどうするんです?」
ホッと胸をなでおろす。よかった。ヤバイところではないらしい。でも金以外に何を要求されるのか全く見当が付かない。
首を左右に捻っている佐々木に、小さく笑ったユージローは言った。
「家の鍵のお代は、今ササキさんがしている眼鏡です」
「えっ、これですか?」
三千円ほどのブルーライトカット用眼鏡だ。度も少し入っている。でも三年くらい前に買ったもので、新品ではないし本当にこんなもので良いのか分からない。もっと別の財布とか鞄とかでもいいんじゃないか、ときっと誰でも思うだろう。
それなのにユージローは、僕たちはそれが良いんです、と微笑んだ。
「無くても、夜道大丈夫ですか?」
「あ、平気です。大して度も入ってないし。でも本当にこんなもので良いんですか?」
「ササキさんには、こんなもの、でも他のヒトにはとても必要だったりするんです。だから、これが良いんです」
眼鏡を外しながら問い掛けた佐々木に返ってきたのは、そんな言葉だった。
確かに、彼の言う通りかもしれない。高いジュエリーが目の前にあったとして、佐々木にとってはただの宝石で欲しいものにはなり得ない。でもそれがもしも、大事な人の大切な形見であれば、その価値は大いに変わってくる。
ユージローに差し出されたベロアのような光沢の布で出来たアクセサリートレイに、そっとその眼鏡を乗せる。それは、立ち上がったユージローによって大切に運ばれて、カウンターの脇にある戸棚へと仕舞われた。
「さて、あとは『一歩を踏み出せる鍵』のお代ですね」
椅子に腰を据えてから、佐々木を真っ直ぐに見据えた彼に、ごくりと喉が鳴った。
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