殿田 ⑤
ヤマセの言葉の意図を掴みかねて、首を傾げる。
違いはそこだ、と彼は言ったけれど、ヤマセの言葉を鵜呑みに出来ないという点で、自分とデンダは同じだ。
なのに何処が違うのだろう。
「ユージローは、ボクの言葉を真っ向から否定しない。もしかしたらその可能性もあるかもしれない、と自分の見方を広げようとする」
「はは、ヤマセさん、僕のこと過大評価しすぎですよ。そんな大層なこと思ってないです」
「それでも他人の意見を全て否定して灯火を消してしまうのと、相手の意見を受け止めて少しだけ脇に置いたまま灯火を残しておくのとでは、雲泥の差があるんだよ」
ぽんぽん、と肩を叩くヤマセの言葉が、ユージローの耳を通って脳内に染みていく。
本当にそうだろうか。
ヤマセの言う通り、ユージローは他人の意見をとりあえず自分へと受け入れる。しかし、それが本当に自分の見解を広げるためか、と言われたら、否、と答える。
自分は、そんな大層なことは本当に考えていない。
ただ何となく、相手の意見を聞いてそんな考えもあるのか、と思う程度だし、その意見を自分の中に取り込むか、と言われれば、必ずしもそうとは言えない。更に言えば、自分の親しい人のことを侮辱されたら、そんな気持ちも何処かに吹き飛んで臨戦態勢になってしまうようなところもある。
それなのに果たして、彼の言う人物に成れているのだろうか。
ユージローには分からない。
ただ黙ってしまうことしか出来なかった。
「ま、今は分からなくても追い追い分かると思うよ」
「……そうでしょうか」
「自信がない?」
「はい、あまり」
「そうだろうね。でも今はそれでいいよ」
肩から手が放されて、じんわりと冷えていく気がした。
お茶でも飲もうか、と誘われてダイニングに向かうヤマセの後ろについていく間も、一緒に茶を飲んでいる間も、ユージローの胸にはずっとヤマセの言葉とデンダの暗い面影が居座り続けていた。
***
「おい」
湯呑を傾けていると後ろから鋭い声が飛んできて、振り返る。
不満そうなしかめっ面のコーリが、ヤマセのことを射抜いていた。
そんな顔をされる覚えはないんだけどなァ。そんなにお使い嫌だったのかな。
少し笑えてしまって笑みを溢したまま言葉を返す。
「おかえり、コーリ。お使いありがとう」
「ああ。……それより、あいつどうしたんだ」
あいつ、と言われて思いつくのは、少し前に突如として店に現れた青年のことだ。
今は店番を頼んでいるけど、と首を傾げたら、それは見たら分かる、と一刀両断された。
「あいつ何か塞ぎこんでるぞ」
疑いの目を向けてくるコーリはどうやら、お前がまた何か言ったんじゃないのか、と言いたいらしい。
うーん、と宙を見つめる。
思い当たることと言えば、共に茶を飲む前に話していたデンダのことだが、どうにもデンダのことでユージローが悩むとは思えない。と、するなら。その後に話した相手の意見云々、のくだりだろう。
心当たりをものの数秒足らずで見つけて、嗚呼、と呟けば、やっぱりか、なんて失礼な言葉が飛んできた。
むっと頬を僅かに膨らませてコーリを半眼で見遣る。
「お前ね、何が何でもボクの所為にしないでくれる?」
「いまお前が嗚呼って言ったんだろ」
「別にボクは、ユージローを落ち込ませるようなことは言ってないよ」
「でも実際にユージローは落ち込んでるが?」
「そうだねぇ、落ち込んでるかもね」
「…………どっちなんだよ」
「ボクの言葉がトリガーになった可能性はあるかもね、ってことさ」
「いつも思うが、言い方がいちいちくどいのは、どうにかならないのか?」
「失礼な。思慮深いと言ってほしいね」
じとりとした目を向けられて苦笑が漏れる。
本当に、ただそれだけだ。わからないことを決めつけて言いたくないだけで、他意はない。勿論わざわざそういう言い回しをしてからかうこともあるけれど、今回は本当にそういう言い方になってしまっただけだ。
湯呑の中にあるはちみつ色の茶は、こちらの気も知らず呑気にゆらゆらと湯気を立てていた。その水面に映る己の顔は、ほんの少しだけ困ったように眉を下げている。
「さっきね、鍵が使えない、と文句を言いに来た客がいた。お前も知っていると思うけど、あの小太りの男だ。名をデンダというらしい」
「ユージローが?」
名前のことを言いたいのだろう。そうだよ、と頷く。
この店では本来、鍵を作る相手の名前を聞くことはない。ただ気ままに来た相手の希望する鍵を作って渡すだけ。ヤマセにとっては、殆ど一度きり相手の名前など気にすることもなければ、縁を結ぶわけでもない。名前など聞く必要がなかったから今までしてこなかった。
「その彼とユージローの違いを話していただけだよ」
「その話をしただけで、ユージローが落ち込むのか?」
「何か思うところがあったんだろうね」
青年の顔が曇ったのを、ヤマセは知っている。
何がそうさせてしまったのかだいたいの見当はついているが、それはあくまでヤマセから見た真実であって、まだ青年の真実ではない。
「あの子は自分のことになると途端に弱気になってしまうから」
コーリのことを侮辱された時は、あんなにも怒りを露わにして堂々と言葉を発していたというのに、自分の話題になると途端にその威勢は萎んでしまう。それが、この店に彼が来てしまった理由でもあると思うのだが、それも此処に来てしまった彼自身に語るには時期尚早だ。
「彼自身が受け止める準備が出来ていない時に、語るべきではないだろう?」
「なるほどな。合点がいった」
落ち着いた静かな声が納得を示す。
無愛想で鉄面皮ではあるけれど、コーリはヤマセと同じく鋭い。その上、人をよく観察している。故に、ヤマセの見解に心当たりがあるのだろう。
青年がコーリやヤマセと同じ存在であるのならいざしらず、そうではないのに余計なことを吹き込んで、彼の身が、心が、壊れてしまうのが、今一番起こしてはいけないことだ。
だから、ヤマセたちには今彼に出来ることはない。
青年の準備が出来るのを、じっと待っていることだけが最善の手なのだった。
ただそっと見守りながら、彼が飛び立てるように準備をしておく。
それがヤマセの務めでもある。
「焦る必要はない」
ぽつりとコーリは言った。
湯呑から顔を上げてコーリを見れば、確固たる意思を持った光を帯びた瞳がこちらを見つめていた。
「あいつはきっと鍵穴を見つけられる。どれだけ時間がかかろうと、きっと」
目をぱちぱちと瞬いてしまったのは、まさかコーリからそんな言葉を聞くとは思わなかったから。
自然と漏れた笑みを、隠すことなく声に乗せる。
「なんだい、やけにユージローの肩を持つじゃないか」
「お前もそう思うから、あいつに手を差し伸べて、この店に置いたんじゃないのか」
「あれぇ? なんだ、ボクのこともお見通し? 流石はこの店の稼ぎ頭~!」
「稼いでないし、商売じゃないって言ったのはお前だろうが」
「ふふふ、そうだねぇ。いや嬉しいなぁ、我が子が大きくなって」
「阿呆か。お前の子どもじゃない」
心底呆れたと言いたげな、大きな大きな溜め息を落としたコーリは、テーブルの上にあった湯呑の茶を一気に飲み干すと、さっさとダイニングルームから出ていってしまった。
ぱたん、と扉が閉まった後も、ヤマセの笑みは消えない。
「どうか、あの子達の行く末が温かく明るいものでありますように」
瞼を閉じて祈りを捧げるように呟いたヤマセの声は、ダイニングルームの橙色の光に照らされて、ひっそりと消えていく。
やがて瞼を持ち上げたヤマセは、コーリと同じように残った茶を飲み干してから流し台にその湯呑を置くと、何事もなかったように笑みを浮かべて、ダイニングルームを後にしたのだった。
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