第19話:緊急事態
宇宙空間では音がしない。
音を伝達する空気が無いからだ。
なので何かが近づいて来ても気付きずらい。
そして加速度がかからない限り宇宙船が動いている事は感じない。
しかし外部から何かの物理的力が加わった時はそうではない。
「この揺れ、デブリか隕石に接触したのか!?」
『まずい事になったわね、こんな事めったにないのに隕石と接触したようね…… 外部監視カメラがこれよ』
レーメルはそう言って貨物船の外装をモニターに映し出す。
そこには外壁にへこみがあって煙のような物が噴き出していた。
噴き出していた物は推進剤であった。
「まずいな、推進剤が漏れたか。バルブの閉鎖はしたのか?」
『もうとっくに始めてる。でもそれなりに推進剤が抜けてしまったわ。それと外壁の修復も行わないとまずいわよ』
それを聞いたアールゲイルは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
外壁の修復を放置しておくと二次、三次の被害が起こるかもしれない。
「推進剤の漏れが航行に支障が有るかないかすぐに試算してくれ。俺はボトムで外壁修理に出る!」
言うが早いかアールゲイツはすぐに行動に出る。
レーメルは残った推進剤を元に航路の再計算を始める。
「レーメル、私は?」
『ミシャオナは私の端末を持ってあいつのサポートを手伝ってやって。この船、私の操作だけでは動かせないものが多すぎ! 義体か何か有ればそれを使って私も手出しできるけど、今はミシャオナに頼るしかないわ』
「分かった、じゃあ行ってくるね!」
ミシャオナはそう言って最近定位置になっている通信席のモニターに映し出されているレーメルに手を振って部屋を出るのだった。
* * *
宇宙船には万が一のことを考えられていて幾十もの安全対策が施されている。
特に人の生命維持を最優先に作られた部位が有るのでその辺は手動で動かす場合もある。
「嬢ちゃんが来たか。助かる、俺がボトムで出たら補修用の部材をそこのアームで船外に出してくれ」
アールゲイツは宇宙服に着替えながらそう言う。
そしてボトムを積載したハンガー横にある緊急用の補修部材置き場を指さす。
宇宙船の修復には真空状で行う為、このハンガーも真空にする必要がある。
アールゲイツに防護服でなく宇宙服に着替えるよう言われミシャオナも慌てて着替える。
とは言え、基本は防護服と同じなので難なく宇宙服に着替え終わる。
「さてと、これから空気を抜くが通信スイッチは常に入れておけよ。それとその端末はヘルメットに固定しておけ。両手は常に使えるように、可能な限り身動きしやすいようにしておくんだ」
言いながらハンガー室の空気を抜き始める。
途端にミシャオナが着込んでいた宇宙服がわずかに膨らむ。
それと同時に周りの音が入らなくなり、通信用のスピーカーから音が入り始める。
『ミシャオナ、聞こえる? 疑似音を設定するから驚かないでね。それとステレオにするから左右の音には要注意ね』
レーメルの声が聞こえたかと思うと、疑似音も再生し始められアーツゲイツが部屋を出る音が聞こえてくる。
ミシャオナはスマホの様な端末をへルメットの横に括り付けレーメルとの会話チャンネルを確保する。
それと同時に通信でアールゲイツの声も聞こえて来た。
『聞こえるか? 感度はいいようだな。これからボトムに乗る。お前さんは資材置き場の近くにあるアームの操作パネルまで行ってくれ。指示された部材をアームで挟んで船外にまで出してもらう』
そう言われミシャオナも慌ててアームの操作パネルがある場所まで壁を蹴って飛んで行く。
その頃には準備を終えたアールゲイツのボトムが動き出し船外ハッチを開く。
そこには真っ暗な空間が見えた。
星々はきらめき吸い込まれるようなそこは見ているだけでぞっとしてくる。
ミシャオナはアームの操作パネルまで行き、電源を入れながらアールゲイツに言う。
「準備出来ました。操作も…… これなら大丈夫です」
『よし、こっちも船外に出た。これから修復場所へ行く。状況を確認したら必要モノを指示するからアームで挟んで船外に出してくれ』
そう言ってアールゲイツはボトムを操作しながら外壁の壊れた場所へ向かう。
高速で移動中の貨物船だが、船の外に出るととても静かであった。
アールゲイツが操作するボトムも同じスピードで移動していたので船から離れない限り同じ方向へ同じスピードで動いている事になるので、見た目はゆっくりと船の外壁を浮遊しているように見える。
しかし何かの力が加われば一気にこの船から離れてしまうので要注意ではある。
アールゲイツはモニター越しの船の外壁を見ながら目的の場所へと向かっている。
「確か、左舷斜め下の場所だったよな?」
そう独り言を言っていたらレーメルから通信が入って来た。
『聞こえる? まずい事になったわ。破損個所が推進剤のターミナルになっている場所よ。バルブは止めたから推進剤の損失は食い止められたけどこのままでは姿勢制御のバーニアへ推進剤が送り込めないわ』
それを聞いてアールゲイツは更に苦虫をかみつぶしたような顔になる。
そして程無くその破損個所に辿り着いたが、そのへこんだ外壁はかなりの状態であった。
「おい、レーメル外部監視のセンサーは働いているよな?」
『それは勿論よ。周囲二百キロには何も無いわ』
周りの安全を確認してからアールゲイツは破損個所を見て言う。
「外壁を外して内部の推進剤のターミナルを確認する。ミシャオナ、Fの三十二番に推進剤用のターミナルがあるはずだ。それを準備してくれ」
そう言って船の外壁を外し始める。
宇宙船は気密がしっかりしてはいるがメンテナンス性も考えられていて外壁も簡単に取り外しが出来る。
そして内部にある推進剤を運ぶパイプとそれを各バーニアに運ぶパイプが付けられているターミナルを見る。
「こりゃ完全にすげとっかえだな…… 補修パーツがあって助かった」
そう言いながらその場所へ腕を向けてパーツの分解を始める。
元々船外活動用に作られたボトムはその巨体に似合わず指先が器用に動く。
『アールゲイツさん、Fの三十二番のパーツ船外に出しました!』
ミシャオナはアームを操作しながらそのパーツを船外に出す。
それを聞いたアールゲイツはそこまで戻ってパーツを受け取る。
「よし、後は外壁を固定する為の接着剤を出してくれ、Aの十二番だ」
『分かりました!』
ターミナルパーツを受け取り外壁の固定用の接着剤をミシャオナに準備するように言ってまた破損個所へ向かう。
ボトムを操作してターミナルパーツを交換して気付く。
「ちっ、接続部が歪んでいたか。直接修理するしかねぇ!」
そう言いながらボトムで船とターミナルを固定した形でそのコックピットから出る。
命綱無しなので慎重にボトムが押さえているターミナルの所まで飛んで行く。
そしてそのターミナルの接続部が歪んでいるのを見て腰からトーチを取り出して熱をかけてゆがみを修正してゆく。
こう言った微細な部位はボトムでは指が大きすぎて修復が出来ない。
結果宇宙服を着た人間が出て行って直接修理をするしかない。
「何とかなったか…… 後はこいつをはめ込めば」
アールゲイツがそう言ったまさにその瞬間であった。
近くのパイプにひびが入っていた様でそこから推進剤が噴き出てしまった。
「しまった!」
吹き出た推進剤を直接浴びてしまったアールゲイツはそのままそれによって船から引き離された。
もがき近くにあるものを掴もうとしたが、推進剤によってバイザーが汚れ前が見えなくなる。
慌ててそのバイザーの汚れを手で拭きとった時には体が完全に船から離れていた。
貨物船はかなりの速度で地球へ向かっている。
その船内にいるのならば貨物船と同じ速度で動いているので何の問題も無い。
しかし船外で貨物船から離れれば質量の低い物体は徐々に貨物船から離れて行ってしまう。
「うわぁああああぁっ! 助けてくれぇっ!!」
思わず叫んでしまうが体が徐々に宇宙船から離れて行ってしまう。
実際は自分もかなりの速度で動いてはいるが対象物の無い宇宙空間では単に貨物船がゆっくりと遠ざかっているようにしか見えない。
これがボトムであったならその機動力ですんなり貨物船に戻れるのだが、宇宙服しか着込んでいないアールゲイツはいくらマグネットワイヤーを飛ばしても船にはもう届かなくなっていた。
「畜生、レーメル、ミシャオナ助けてくれ!」
ヘルメットに手を当てながらそう叫ぶも疑似音もレーメルたちの声も聞こえない。
アールゲイツは慌ててヘルメットの通信機が付いている部分を触る。
すると推進剤が噴き出た時の物か、鉄の破片がヘルメットの横に取り付けれれている通信機に刺さっていた。
「冗談じゃねぇっ! 通信機が壊れているだと!? おい、レーメル、ミシャオナっ!!」
まだ船からそれ程離されていない。
今見つけてもらってそして回収されれば助かる。
しかしもしこれ以上船から離れて行ったら……
「シャレにならねえぞ…… こんな場所で放り出されたら…… 何も無い、何も聞こえないこんな場所で…… 嫌だ、こんな所で死にたくねぇっ! おい、レーメル、ミシャオナ!!」
宇宙空間で放り出されると言うことは直接死につながる。
何も無い空間、何も聞こえない空間。
ただ自分の心臓音だけが激しくなっていくのが分かる。
冷たいのか熱いのかもわからないのに汗が噴き出て来る。
両手両足は感覚があるのに動かすそれは虚空をかきむしる。
心なしか息苦しくも感じて来た。
おかしいと思いよくよく聞くとシューっという小さな音が聞こえてくる。
「空気が…… 洩れて……いるだと?」
通信機が壊れたその周辺から空気が漏れ始めているのだろう。
腕にある表示を見れば、空気の残存量がどんどん減って行くのが分かる。
「嫌だぁっ! こんな死に方は嫌だぁっ!」
叫び手足を振っているがそれは余計に空気を消費する事にしかならない。
周りを見渡すと貨物船がかなり離れて行ってしまっている。
このままではその形ですらわからなくなってしまうほどに小さくなり始めている。
宇宙空間には空気が無いのでモノの見え方は地球上のそれとは違いはっきりと見える。
遠近感が無くなるそれだが、それでも船の大きさが小さくなるのであればそれだけ離れて行ってしまっていると言う事だ。
ひときわ騒いだアールゲイツだが、ふとそのばたつかせる手足を止める。
ヒューヒューと息苦しそうな呼吸音だけがヘルメットの中にこだまする。
「嫌だよぉ…… こんな、こんな死に方…… 俺が何したってんだよぉ……」
いい大人なのに、軍属の男なのにアールゲイツはだらしなく涙を流し、鼻水を垂らす。
しかし見えている貨物船はどんどんとその大きさを小さくしてゆく。
「おいて…… 行かないで……くれぇ…… 死にたくないよぉ……」
船に向かって最後に手を伸ばしそうつぶやくも船の姿は小さな点になってしまいその形すらわからなくなってゆく。
宇宙服に残された空気も少なくなっているのだろう、息苦しさが更に強くなってゆく。
「くう……き…… 欲しい……」
だんだんと朦朧とする意識の中、アールゲイツはヒューヒューと言う呼吸音でそう言う。
「く……うき…… 一滴で……いいから……くうき……くれ……」
もう宇宙服の空気は切れかかっているのだろう、小さなシューッという音を聞きながらアールゲイツは意識が薄れかかるのを感じた。
が、その時だった。
ふいに体を何かが掴む。
そしてどこかに放り込まれる感覚があったと思ったら体を揺さぶられる。
だが意識が消えかかりそうになるアールゲイツには何が起こっているのか理解できない。
そう、感じた瞬間だった。
いきなりヘルメットが外され新鮮な空気が肺に入る。
「アールゲイツさんっ!!」
聞こえていたのはミシャオナのその声だった。
胸いっぱいに空気を吸い込んで消えかかっていた意識が戻って来る。
「かはっ! はー、はー、はー」
空気を取り込んだ胸は何度も上下してさらに新しい空気を取り込もうとする。
「アールゲイツさん、大丈夫ですか?」
『ミシャオナ、軌道修正して。今ならそのボトムの能力で十分に船に戻れるわ』
ミシャオナの声以外にもレーメルの声も聞こえて来た。
アールゲイツはまだふらつくその頭で周りを見るとそこはボトムの中だった。
人が二人入るにはかなり窮屈ではあったが、身動きしなければ何とか入れる。
アールゲイツはミシャオナにお姫様抱っこされたような格好でいた。
「た、助かったのか……?」
『ミシャオナに感謝しないさよ? 軍用のボトムなんてものに無理して乗り込んであなたを助けるって言い出すから大変だったのよ?』
レーメルはモニターの端に自分を表示しながらそう言う。
実際異変に気付いたのミシャオナだった。
なかなか接着剤を取りに来ないのでレーメルに言って確認してもらうとハッチの開いた無人のボトムだけが監視カメラに映った。
何か問題があってアールゲイツ本人がボトムから降り、何かの理由で船から離れて行ってしまったのであれば大問題だった。
慌てて何度もアールゲイツを通信で呼んでみるも全く応答がない。
すぐにレーメルは監視システムを最大限にして船の周りを探すと離れていく質量を見つける。
十中八九それがアールゲイツだろうと監視カメラを最大限の望遠にすると間違いなく彼だった。
しかしここで問題があった。
航行中の船を止める事も彼を助け出す手段も無い。
唯一あるのがミシャオナにボトムに乗って彼を回収するという手段。
しかし宇宙空間に出でた事のないミシャオナにトリッキーな動きをする軍用のボトムが扱えるか心配だった。
なのでレーメルのコピーを作ってすぐにこのボトムのシステムをハッキングしてミシャオナに救出に向かってもらった。
「良かったぁ~、アールゲイツさんを見つけられて!」
そう言うミシャオナにアールゲイツはお暇様抱っこされたまま泣き出すのだった。
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