202 怪鳥のこんがり焼き

 鳴り響く轟音と視界を覆う閃光に身体を強張らせた俺は、いつの間にか閉じていた目をおそるおそる開いた。


 まだチカチカとする目を凝らし、さっきまでマリステルが走っていた場所を見てみると――そこには地べたにぺたんと座り込んで放心状態のマリステル、その後ろには真っ黒に焼け焦げた物体が横たわっていた。


「旦那様……立てますか?」


 ひとまずマリステルの元へ向かおうとした俺に、伊勢崎さんが心配そうに眉を寄せる。彼女は握ったままだった手にもう片方の手を被せ、俺を立ち上がらせようとしたのだが――


「ううっ、うーん! うーんううーん! うぎ……うぎぎぎぎぎぎぎい……!」


 顔を真っ赤にして引っ張ってくれている伊勢崎さんからは、力がまったく伝わらなってこない。やはり伊勢崎さんは運動神経だけでなく筋力も残念らしい。


「な、なんかごめんね。大丈夫だよ、自分で立つから……」


「すっ、すみません……」


 恥ずかしそうに目をそらす伊勢崎さんの手をやんわりと離し、俺は膝に手を当ててゆっくりと立ち上がった。ちょっとフラッとしたけれど歩けそう。どうやらある程度は回復したようだ。


 そうして俺と伊勢崎さんはマリステルの元へと向かった。すると放心していたマリステルが伊勢崎さんを見上げ、小刻みに震えながら目をひんむく。


「あっ、ああっ、あっ、あんたねえっ! 今の攻撃、私に当たったらどうするつもりだったのよおおおお!」


「……でも当たらなかったでしょう?」


「は!? はーー!? ちょこっと当たったんですけどお!? ホラ見て、ココ! ココ見てみなさいっ! 私の美しい髪の毛がチリッチリになってるでしょう!?」


 自分の髪の毛先をつまみ上げるマリステル。たしかに言われてみると、マリステルの髪がちょっぴり焦げてチリチリになっている。まあ本当に少しなんだけど。


「それくらいで済んだのだからよかったじゃない。それとも……なりたかったのかしら?」


 伊勢崎さんの視線の先にあるのは真っ黒に焼け焦げた物体――スカーレットバードの死骸だ。


 なかなか強そうな魔物だったのにそれを一撃で仕留めるのだから、本当にとんでもない威力である。


 伊勢崎さんの攻撃魔法は俺の時空魔法みたいに押しつぶしたり、直接触れて爆散させる必要もない。どうせなら俺もこういう魔法の使い手になりたかったよ。


 マリステルはそんな真っ黒のスカーレットバードを見つめつつ、それでも恨みがましそうに口を尖らせる。


「……というか、私が命がけで囮なんかしなくたって、最初っからあんたが相手すればよかったじゃない? なんだか納得いかないんですけどお?」


「【神雷ゴッドボルト】は狙いをつけるのが難しいの。以前はあなたにも避けられたじゃない。だからそういう意味じゃ、あなたが囮になってくれたお陰で当てられたとも言えるわね」


 どこか面白くなさそうに答える伊勢崎さんだが、これはそのとおりだと思う。まだ不満げなマリステルに俺からもお礼を言っておこう。


「いや、本当にマリステルさんがいなかったら、目的地を前にして逃げ帰ることになってたと思いますよ。ありがとうございました」


 俺はぺこりと頭を下げた。すると途端にマリステルは上機嫌に鼻をふくらませる。


「あら? あらあらあら? ふうん、そうなのお? 私のお陰なんだ? それならこれはマツナガにひとつ貸しってことかしらん?」


「そ、そうですね。なにか困ったことがあったら、やれる範囲で返させてもらいますよ」


「いいわねえソレ! だったら今すぐマツナガの身体で返してもらおうかしら――ってイセザキ!! わ、わかったから【神雷ゴッドボルト】の態勢に入るの止めてようっ!」


 隣を見れば、手を空へと掲げた伊勢崎さん無表情でマリステルを見つめていた。


 手は繋いでいないので【神雷ゴッドボルト】は使えないのだけれど、マリステルには効果はバツグンのようである。とはいえ、もう片方の手が今にも俺に触れそうになっているのがちょっと怖いんだけど。


「ま、まあ、貸しについては何か考えておくわ――ってマツナガ、あんたよく見たらすっごい汗かいてるじゃない。どうしたのん?」


「え? ああ、ゴーレムを倒すのにちょっと魔力を使いすぎたみたいで……」


「ふうん……。あんたでもそういう普通の人っぽいところが残っているのねえ。なんだか逆に安心するわあ」


「俺なんて元から普通ですよ」


「あはん、面白い冗談だわあ」


 などとのたまうマリステルを横目に、伊勢崎さんはハッと息を呑むと懐からハンカチを取り出した。


「旦那様、お身体を冷やすと大変です! あっ、あっ、汗をお拭きしますねっ!」


「いや、別に――」


 いいよと言うよりも早く、伊勢崎さんは俺の顔にハンカチをサッとあてた。


 一度拭き始めると今さら止めても仕方ない。俺はそのまま身じろぎせずに伊勢崎さんの手が止まるのを待つことにした。なんだかいい匂いのするハンカチで、すごく申し訳ないな……。


 そうして顔から首筋まで拭いてもらったところで伊勢崎さんの手が止まり、彼女はハンカチを懐に仕舞おうとしたのだが。


「あっ、待って伊勢崎さん。そのハンカチは【洗浄クリーン】をしたほうがいいんじゃないかな。ほら」


 魔力供給をしようと手を差し出した俺に、伊勢崎さんはハンカチを後ろ手に隠したまま首をブンブンと横に振った。


「いえっ! これはその、【洗浄クリーン】ではむずかしいので!」


「えっ、そうなの?」


 俺が刺されて血まみれになったシャツでも、キレイサッパリに消えたくらいだし、汗だったらもっと簡単に綺麗になると思うのだけれど。


「【洗浄クリーン】では見えない汚れがあるんです。ええ、ええ、実はそうなんです!」


「それなら俺が洗うよ」


 これでも一人暮らしは長いからね。俺だって洗濯は人並みにできるのだ。


「旦那様には洗わせられません! これは私のお宝に――じゃなくて、そう! これはとても高級なハンカチでして! 決められた手順で洗わないとですね、それはもう大変なことになるので……!」


 やっぱりお高いハンカチだと洗い方も難しいのだろうか。でもなあ、おっさんの汗のついたハンカチを伊勢崎さんに洗わせるのは恥ずかしいというか申し訳ないというか――


「――ねえあんたたち、ところでさあ」


 どこか呆れたような目をしたマリステルが、パンパンと尻の土を払いながら立ち上がる。


「とりあえずそろそろ薬草採りをしない? デカい音とか立てちゃったしい、また魔物がやってきたら面倒だわあ」


「そうね、早くしたほうがいいわ。ほら、旦那様、行きますよ!」


 伊勢崎さんは隙を見てササッとハンカチを仕舞い込むと、当初の目的地である大木を方を指差した。


 こうなれば仕方ない、ハンカチは諦めるとしよう。俺は足にしっかり力が入ることを確認すると、促されるがままに薬草の群生地へ向かうことにした。

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