199 龍のねぐら

 歩を進めるつれ滝が水面を叩く音がどんどん大きくなっていくのを感じながら、俺たちは滝壺へと向かった。


 幸いなことにアースドラゴンは本当にいなかったらしく、あっさり滝壺に到着。


 滝壺周辺はひんやりと涼しく、登山で汗だくになり溶けかけていた伊勢崎さんも気持ちよさそうに目を細めている。


 そんな中、マリステルは近くの大岩にひょいっと飛び乗るとそこから滝壺を覗き込んだ。


「うーん……前はアースドラゴンがここで昼寝しててえ、それで見つからないうちにさっさと逃げたんだけど――いないわねえ。やっぱりマツナガが倒したのがここのヤツだったのよう」


「だとしたら運が良かったですね。俺もまたあんなのと戦うのは御免ですし」


「むふふっ、きっと私の日頃の行いが良かったからよん♪」


「日頃の行い……ねぇ?」


 じっとりした目を向ける伊勢崎さんを気にすることなく、マリステルがクンクンと鼻を鳴らす。そして滝から少し離れたところに生えている、この辺りで一番太くて高い木を指差した。


「クンクン……。あそこが一番魔力の匂いが濃ゆいわねえ。たぶんあの大木の木陰には、質のいい薬草がたんまりと生えてるはずよん」


「へえー、そうなんですか。それではさっそく――」


「……? 待ってください旦那様。なにか様子がおかしいです」


 一歩踏み出そうとした俺の袖を伊勢崎さんがきゅっと掴み、マリステルはそれをバカにするように肩をすくめた。


「なにようイセザキ、あんた私の鼻にイチャモンを付ける気かしらん? 有能な私を認められないのは可哀想だとは思うけど、そういう狭量きょうりょうは良くないわよう? 狭くてもイイのはオンナの――」


「伊勢崎さん! なにがおかしいのかな!?」


 変なことを口走りそうなマリステルの話をさえぎり尋ねると、伊勢崎さん大木から目を離さないまま口を開く。


「旦那様、あの木の周辺をよく見てください」


「うん、わかった――ん?」


 言われるがままに眺めてみると、大木の少し手前の地面に小さな木のふだのようなものがいくつも打ち込まれていることに気づいた。


「……なんだろアレ? どうみても人の手が加えられてるみたいだけど」


 目を凝らしたところ、木札にはなにか文字のようなものがびっしりと書き込まれているようだ。小さな卒塔婆そとばのようにも見えてなんとも不気味な雰囲気だよ。


「あら、本当ねえ。んー……、どっかでみたことがある気がするんだけど、アレってなんだったかしらん。えーとえーと……」


 マリステルが木札を眺めながら、記憶を探るようにぶつぶつとつぶやく。


 するとその時、木札周辺の地面がゆっくりと持ち上がり、人型を形取りながらムクリと起き上がった――と同時にマリステルも声を上げる。


「あーそうそう! アレはゴーレムの魔符だわあ! アレを刺しておくと周囲の土がサンドゴーレムになるのよん!」


「ゴーレム!?」


 思わず声を上げる俺。ゴーレムといえばファンタジーに付きものの、土や石で作られた魔法生物である。


 主人の命令を忠実に聞くロボットのような存在だったりするけれど、どうやらそれはこの異世界でも同じようで――


「どうやらアースドラゴン以外にも使役する魔物を作っていたみたいねえ。ほら、なんだかうじゃうじゃと湧いてきたわよん」


 最初のゴーレムが起き上がったのが合図だったのか、周辺の土も盛り上がり、どんどんゴーレムが形作られていく。


 ゴーレムは掘り起こした土をぎゅっと固めているせいか、真っ黒な上に細身なので見た目は黒いマネキン、もしくは名探偵コ◯ンの犯人のシルエットのようだ。


 俺の知ってるゴーレムというと分厚くて重そうなイメージなのだけど、それよりも妙な迫力があって怖い。


「どうやら近づく者を自動的に排除する命令を受けているみたいねえ。薬草は金になるし、勝手に採られたくなかったのかしらん。……ねえ、マツナガ。死んだ魔物使いってかなり性格悪くなかった?」


「ええ、まあかなり嫌な人物ではありましたね」


「やっぱりそうなのねえ。でもまあマツナガならあんなの簡単に倒せるでしょう? ほら、パパッってやっちゃってよ~」


「マリステル、旦那様に指図をするのは止めなさい――って、旦那様、上! 上をご覧になってください!」


 鋭い声を上げた伊勢崎さん。


 慌てて頭上を見上げると、目に飛び込んできたのは真っ赤な羽を持つ巨大な鳥がぐるぐると旋回している姿だった。怪鳥の視線は明らかに俺たちの方を向いており、いつ襲いかかってきてもおかしくはない。


「あら、スカーレットバードじゃない。鋭いくちばしで獲物を串刺しにするエグい魔物なのよん。もしかしてアレも使役テイムなのかしら? でもゴーレムと違って術者が死んだら開放されるだろうし……単純にこの辺りが縄張りなのかもしれないわねえ」


 どうやらスカーレットバードとやらは、俺たちが縄張りに侵入したのをよろしく思っていないようだ。怪鳥は旋回しながら少しずつ高度を下げ、俺たちに近づきながら隙を窺っているように見える。


 地上にはゴーレム、空にはスカーレットバード――


 そんな状況の最中さなか、マリステルは後ろ髪に手をかけて優雅な仕草でファサッと髪をなびかせると、


「まあどうだっていいわ。さあ、マツナガ、やっておしまいなさいっ!」


 声を張り上げてビシッと俺を指差した。もちろん俺は言ってやる。


「なに言ってるんですか。こんなのを一度に相手にするなんて、無理に決まってるでしょう!」


 ただですら魔物の討伐は想像以上に難しいと思い知ったばかりなのだ。未知の魔物が複数の上に、空からも襲いかかってくるだなんて素人のおっさんの手には余るに決まっている。


 そうして叫んだ俺を見て、今度はマリステルが顔を真っ青にさせた。


「えっ? いやいや何言ってんのよう! そんなの冗談よね!?」


 俺が首を横に振ると、マリステルは明らかに動揺して一歩二歩と後ろに下がった。


「そ、そう。そうなのねえ……。――あっ、私ちょっと用事を思い出したかも! 悪いけど先にお家に帰ってるわね! それじゃまた後で!」


 突然背中を向け、マリステルが走り出す。だが彼女はほんの数メートル走ったところでズダーンと派手に転び、足をばたつかせながら苦しそうな声を漏らした。


「ぐぐぐぐぐぐっ……首っ、ぐびがががががががっ……!!」


 マリステルが真っ青な顔のまま手で押さえつけているのは、首に巻かれた食玩ネックレスだ。ほのかな光を放つネックレスを見て伊勢崎さんが眉を吊り上げる。


「あっ、こらマリステル! あなた本当に逃げようとしたのね! もう【聖なる誓い】セイクリッド・エンゲージのことを忘れたのかしら!?」


「にっ、逃げない、逃げないがらはやぐ、はやぐなんどがじで――――っぷはあっ! はあはあはあ……! こ、こんなときに何してくれてんのよイセザキ!」


「それはこっちの台詞よ!」


 どうやらネックレスはすぐに緩んだようだ。マリステルが汗だくになりながら伊勢崎さんに抗議をするが、たしかこれって自動制御なんだよね。俺たちを見捨てて逃げようと思ったということだ。


 とはいえ逃げ出したマリステルの気持ちはわかる。俺も今すぐ逃げるべきか迷っているもの。これほどの危険を冒してまで薬草採りをする必要はないからね。


 そして伊勢崎さんはマリステルを一瞥いちべつした後、俺に駆け寄ってこそこそと耳打ちしてきた。


「おじさま、口ではあの程度の魔物で無理だとおっしゃっていますが……ふふっ、私にはわかっていますよ? 私もさっきからなんでもおじさまに押し付けようとするマリステルにはお仕置きが必要だと思っていますもの。そういうことでしたら私に考えがあります」


 いや別にそういうつもりはないけど? と思ったが、今はなんでもいいから策が欲しい。伊勢崎さんに考えがあるというなら、とりあえず聞いてみよう。逃げるのはその後でいい。


「考えを聞かせてもらえるかな」


「はい。ひとまず旦那様はゴーレムの相手をなさってください。そして――マリステル」


「へ? な、なによう……?」


 ようやく立ち上がったマリステルが訝しげに伊勢崎さんを見つめる。


「あなたは旦那様がゴーレムの相手をしている間、スカーレットバードの注意を引いておとりになっていなさい!」


 そう言ったのが聞こえたわけではないと思うが、その瞬間、スカーレットバードが獲物を定めて一直線に急降下してきた。その鋭いくちばしの先にいるのが――マリステルである。


「えええー!? 私が!? というかこっちに来てるしい! ウソでしょ! 無理無理無理無理絶対に無理いー!!」


 マリステルは空を仰ぎ、悲痛な叫びを草原に響かせたのだった。

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