187 異世界観光へ

 俺たちは『エミーの宿』、長期貸し切り中の部屋へと転移した。どうやら時刻は昼頃のようで、窓からは眩しい日の光が差し込んでいる。


 俺はまだ手をぎゅっと握って腰を曲げたままの姿勢でいる相原の手をぺいっと引き剥がした。


「相原、着いたぞ」


「ふぁっ? もう着いたんすか? ここが…………異世界!?」


 がばりと顔を上げ、辺りを見渡す相原。


 ここはベッドとテーブルがあるだけの質素な部屋だ。けれど相原はそんな部屋を物珍しそうにウロウロと歩き回り吸い込まれるように窓に近づくと、外の景色を覗き込んだ。


 窓の外には今が稼ぎ時とばかりに声を張り上げる屋台の店員や、棒を持って走り回る子供たち。腰に剣を携えた冒険者らしき連中が練り歩く姿などが見える。その様子に相原が目を輝かせた。


「ウワーすっごっ! ガチで異世界じゃん! ウチもドイツのロマンティック街道を観光したことならあるんすけど、やっぱそういうのとはレベチっすねー! なんていうか……こう、質感がハンパないっすよ!」


「質感は知らないけど、ここはヨーロッパじゃなくて異世界だしな。違って見えるのも当然だろ」


「ですねっ!! うはー! テンションアガりすぎてヤッバッッ! ほらセンパイ、聖奈ちゃん! さっそく外に出てみましょーよ! 早く早く!」


 わくわくを隠しきれずに騒ぐ相原。とっくに二十歳ハタチも過ぎてるんだから、もう少し大人らしく振る舞って欲しいものだよ――


 ――と思ったその時。突然、部屋の扉がバンッと開いた。


 するとそこには眉を吊り上げ、ほうきを両手で構えるエミールの姿が。


「コラッ、そこのあんた! この部屋は貸し切りだよ! さっさと出ていかないとこのあたしがボコボコに――って、セイナとマツナガさんじゃないか!? ……ああ、あんたらのお客さんってことかい。驚かせるんじゃないよー、まったく」


 構えた箒を下ろしながら、安心したように息を吐くエミール。どうやら相原のはしゃいだ声や物音を不審に思い、駆けつけたようだ。


 そんなエミールを見て、伊勢崎さんが申し訳無さそうに口を開く。


「ごめんね、エミールおばさん。こちらの方が初めて来たこの世界を見て、少し舞い上がっちゃったみたい」


「はー、なるほどねえ。まっ、何もなかったんならもういいさ。この娘はセイナの知り合いなのかい?」


「うん。最近、神の国で知り合ったお友達なの」


「セイナの友達だって!? そうかい、セイナも向こうで楽しくやってるんだねえ、あたしゃ嬉しいよ! なあ、そこのあんた! あたしはエミール、この宿の主人だよ。あんたは?」


 エミールがにこやかな笑みを浮かべて相原に話しかけた――のだが、肝心の相原はきょとんとしている。


「おい、どうしたんだ相原。挨拶だけは一人前のお前がやけに静かじゃないか」


「うおっと、挨拶か。ええと……お騒がせしたみたいでごめんなさい! ウチの名前は相原莉緒です! Hi! I'm Rio Aihara! Nice to meet you!」


 妙に流暢な英語で自己紹介を始める相原。ということは――


「ああ、やっぱり言葉が通じてないのか」


「そうっすよ! てか逆にセンパイか聖奈ちゃんが通じてるのがワケわからんすぎなんですけど!? 聖奈ちゃんがエミールさんに話してた言葉はフツーに日本語でしたし!」


「俺にもよくわからないんだが、なぜか俺と伊勢崎さんは言葉が通じるし、理解もできるんだよ。しかも文字まで読める」


「マジすか。まさしくチートってヤツじゃないっすか!」


「うふふ……二人だけの特別……ふふ……」


 伊勢崎さんがにんまりとした笑みを浮かべているけれど、本当にどうして俺と伊勢崎さんだけなんだろうね。まあ考えたところで答えは出ないんだけど。


 実のところ、異世界に転移さえすれば相原も同じようになるのでは? と若干期待していたのだが、どうやらそんなウマイ話はなかったようだ。仕方がないので俺が通訳をする。


「エミールさん、言葉が通じないようなので代わりに俺が。彼女はアイハラという者です。ご覧の通り騒がしいヤツなんですけど、それほど害はないと思うので大目に見てやってくださると助かります」


「ちょいちょいちょーーいセンパーイ! もう少しマシな紹介してくれてもいいんじゃないすか!? もっとウチのいいところをアピってくださいよー!」


「いいところ……? なにかあるのか?」


「なんでそんな真顔で言うんすか!」


 などとギャーギャー騒ぐ相原を、エミールが微笑ましそうに見つめる。


「へえ、言葉はわかんないけど、元気ないい娘じゃないか。あたしゃ気に入ったよ。それにマツナガさんとも仲がよさそうだけど……もしかしてこの娘もあんたの嫁や妾だったりするのかい?」


 気安く尋ねるには重めの質問のように思ったのだが、そういえばこの世界ではその辺はとても寛容なのだった。


 例えばレイマール商会で俺担当のイケメン、ライアスにも嫁が二人いて、俺との商売でさらに稼ぎを増やしたので三人目もできそう――なんて話も商談の合間に聞いたりしている。


 要は当事者同士が自分の立場に納得し、養える経済力があるなら好きにしろということのようだ。


「センパイ、エミールさんはなんて言ってるんです?」


「お前が馴れ馴れしいから、嫁か妾と勘違いされたんだよ。まあすぐに誤解は解くから」


「あー、はいはい。そういうヤツですか」


 納得したらしく、ポンと手を叩く相原。異世界では俺と伊勢崎さんが夫婦の設定ということは、すでに話しているからね。


 しかしそこで相原は、


「したらウチは二号さんって設定でいいですよ! エミールさんにそう言っちゃってください! まあせっかくの異世界だし? そういうロールプレイも面白そーじゃないすか! ここは一発、その設定でいきましょー!」


 早口でとんでもないことを言い放った。自分で言っておきながら照れているのか顔も赤い。うん、そうか。


 俺はエミールに向き直り、彼女の質問に答えてやった。


「エミールさん、コイツは俺の仕事の従業員です、手下なんです。それ以上でもそれ以下でもないですよ。仲良さそうに見えるのはコイツが俺をナメてるだけなんです」


「ええーーー! なんすかソレー! 二号さんでいいじゃないすか! センパイのケチ!」


「ふふっ、ダメですよアイハラさん。旦那様がお決めになったことなのですから、そこは納得していただかないと。ねっ、旦那様♪」


「まあそういうことだ」


 妙に上機嫌に声を弾ませる伊勢崎さん。その様子を見て相原は一度はがっくりと肩を落としたのだが、


「くう~、わかりました! 今はセンパイの従業員を頑張ることにします! そして業績を上げ、キャリアアップを目指し、誰からも認められる立派な二号さんにウチはなる!」


 そう宣言し、拳をグッと握った。


 出世した先のゴールみたいな感じでニ号を目指さないでほしいのだが、なぜか伊勢崎さんも「それでこそ莉緒さんです」とニコニコしている。よくわからない。


「ま、まあ、とにかく……変なヤツですけど、アイハラのこともよろしくお願いします」


「うん。結局よくわかんなかったんだけど、あんたらがいいならそれでいいさ。ところで、これからどこかに出かけるのかい?」


 これ以上話を広げないエミールの器の大きさに感謝しつつ、俺は当初の目的を伝える。


「はい、レヴィーリア様のお城に行く予定です」


「そういや、マツナガさんはお姫様とも商売してるんだったね。それにしても、あのお姫様は大したもんだ。あんたらも知ってるかい?」


「なにかあったんですか?」


「最近、魔石鉱山にデッカい砦を作ったそうでね。それから何度かディグラムの連中が攻めてきたらしいんだけど、全部返り討ちにしたそうだよ」


 なるほど、どうやらあの砦は無事に役目を果たしているらしい。そのうちマリステルの様子も見に行かないといけないな。


「それで状況も落ち着いたらしくて、ついに鉱山の採掘を進めるって話なのさ。この宿も今は食い扶持を探して町にやってくる連中で大忙しでね。あんまり構ってられなくてごめんよ! またいつでも寄っておくれね!」


 本当に忙しいらしく、エミールはすぐさま箒を片手にドカドカと階段を降りていった。


 それにしても、ついに採掘事業が始まるのか。俺にも取り分があるのでとても楽しみだよ。


 さてと、話が終わったなら長居は邪魔になりそうだ。俺たちはエミールに別れを告げ、レヴィーリア様の居城へ向かうことにした。

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