184 大家さんと相原莉緒

 女将がふすまを開き、俺たちは部屋の中へと入っていく。


 入った途端、かぐわしい畳の匂いが鼻腔をくすぐる広々としたお座敷。


 壁際には高そうな掛け軸や壺やらが飾られており、座敷の中央に置かれた座卓の前には小柄な大家さんがちんまりと座っていた。大家さんのその姿に俺は少し首をかしげる。


 というのも、大家さんはお見舞いの際は着物に着替えていたし、てっきりフォーマルな場ではそういう切り替えをしているのだと思っていたのだけれど……今夜の大家さんは普段のロックな出で立ちなのだ。


 そんな違和感を覚えつつ、俺たちは座卓の前に座る。そして女将さんが退室したのを見計らい、大家さんが口を開いた。


「やあ、みんな。よく来たね」


「すいません、お待たせしました」


「何言ってんだい、時間通りじゃあないか。年寄りはヒマだからね、やることがなくて先に来ただけさ」


 俺の挨拶に大家さんがゆるゆると首を振り、そして俺の隣――相原に目をやった。


 相原は座敷に入る時からガチガチで、今も正座したままずっとうつむいている。おそらくまだ大家さんの姿も目に入ってはいない。


「この子が重蔵の孫なんだろ? 一体どうしたんだい?」


「ハ、ハハー! ゴキゲンウルワシューゴジャイマス! ハルナサマー!」


 大家さんに水を向けられた相原は、さらに頭を下げて平伏し謎の口上を唱えた。なんだコレ。


「はあ……。どうやらコイツ、大家さんに緊張しているみたいなんです」


「……へえ、やっぱり今でも城之内にはアタシの悪名が響いちまってるんだねえ。まあ殊勝な心がけだと言えなくもないが……このままじゃあ話にならないね」


 そう言って軽く息を吐いた大家さんは、机を挟んで向こうにある相原の顔を覗き込んだ。


「ヘイ、重蔵の孫……莉緒と呼ばせてもらうよ。莉緒、顔を上げてよおく見るんだ。ほら、アタシなんてタダのババアだろ?」


 その呼びかけに相原はそろそろと顔を上げ、そして口をあんぐりと開いた。


「……え、マジ? マジでこのバーチャンが榛名サマなん? マ?」


「ザッツライト。どうだい莉緒、アタシとは仲良くできそうかい?」


「できるできる! 超仲良くなりたい! てかこんなん逆にタダのババアなワケないじゃん! マジかっこいいし、ウチ榛名サマ超リスペクトなんだけど! これとかヴィンテージっしょ? てか色落ちエグ! ヤバイてコレ!」


 大家さんの穿いていたジーンズを見て興奮気味に声を上げる相原。ちなみに俺にはボロいジーンズにしか見えない。


 ともかく大家さんのロックな姿に、相原の緊張も吹っ飛んでしまったようだ。


 もしかしてそれを見越して大家さんの服装だったのだろうか。それはわからないけれど、大家さんは満足そうに口の端を吊り上げる。


「どうやら仲良くしてもらえそうで嬉しいよ。これだけ若いのが集まっての食事会だ。今夜は楽しくやろうじゃあないか。……そうだね、せっかくだから莉緒、あんたから今日の話を聞かせてくれないかい。三人で楽しんできたんだろう?」


「え、ウチ?」


「ああ、ヘイユー。どうだい、聖奈とは仲良くやれそうかい?」


「うん、聖奈ちゃんとはなんやかんやあったんだけど、ソレ込みで仲良くできそ――って……あああああああああーーーーーー! 思い出した!」


 突然声を上げる相原。


「キンチョーのあまりすっかり忘れてたけど……センパイセンパイ! 話の続き! どうなったんすか!」


「ああ、アレか。アレは……そうだな、料理が来てからだな」


「うぎぎ~! ここでもまたお預けされるんか~い!!」


 頭を抱える相原。それを見て大家さんはわけもわからず肩をすくめた。


 ◇◇◇


 それからしばらくして、女将さんが料理を運びに来てくれた。いただくのはコース料理だったのだが、込み入った話をするからと、ある程度まとめて持ってきてもらうことになった。


 そして――口の中でとろけるような刺し身に舌鼓を打ちつつ、俺はまず大家さんにここまでの事情を説明する。


「――ふうん、莉緒に松永君の力を知られちまったのかい」


「はい。いろいろ説明するにしても時間がないですし、とりあえずそのまま連れてきた次第です。よければ大家さんにも相談に乗っていただければと……」


「なるほど、もちろんアタシは構いやしないよ。それで……莉緒は松永君に何か聞きたいことはあるのかい」


「そりゃもうアレっすよ。ねえセンパイ、センパイってマジで魔法使いなん?」


「えっ? そこからなのか? 違うって言って信じてくれるなら、俺としてはそっちの方が面倒がなくて助かるんだけど」


「あー、ちがくて! だから……ええと、そのうー……」


 またしても頭を抱える相原を見て、伊勢崎さんが助け舟を出す。


「おじさま、莉緒さんはもっと魔法を見てみたいんだと思います」


「そう、ソレ! さすがは聖奈ちゃん! ……ってのもですね、もちろんセンパイの言うことは信じてるしウチも理解したつもりなんすよ? でもいきなり魔法って言われても非常識すぎて、なんか頭の中で拒否反応が出ちゃってるんすよマジで。ウチとしてもそんなモヤモヤは気持ち悪いんで、センパイにもっと魔法を見せてもらって、そんでウチをわからせてほしいんですけど……ダメ?」


 と、上目遣いで俺を見る相原。わからせてほしいと言いながら上目遣いをするのは狙ってやってそうでちょっとイラッとする。


 それはともかく、そういえば重蔵氏も実際に魔法を見たときはかなり混乱していた。


 普通の人にとって魔法とは、そうそう簡単に受け入れられないモノなのかもしれない。大家さんだけはあっさりと信じたけれど。


 俺は上目遣いをし続ける相原の額を指でピンと弾き、涙目で額を押さえる相原の要望に応えてやることにした。


「そういうことなら別にいいぞ。それじゃあ……これが【収納ストレージ】だ」


 俺は【収納ストレージ】を呼び出し、異空間の中から今日ショッピングモールで買った、報酬として後日マリステルに渡す予定の『ちっかわ』の人形を取り出した。


「えっ、今どっから出したん!? てかセンパイも『ちっかわ』持ってんだ。そっちのが意外かも! よかったら今度グッズの見せ合いっこしません?」


「そこは今はどうでもいいだろ……。とにかく、こうやってなんでも出したり入れたりできるんだよ。他にも――」


 ◇◇◇


「――これが【加速ヘイスト】。これでナンパ連中を撃退したってわけだ」


「おおー、センパイってばマジで魔法使いじゃん! え、ヤバ! めちゃスゴくないすか!? スゲーーーーってマジ! ウェーーーーイ!」


 いくつか魔法を見せてやり、どうやら相原も納得したようだ。


 そうして大喜びではしゃいでいた相原だったが、突然何かに気づいたようにポンと手を叩いた。


「ってことはセンパイ。センパイて別に就職とかしなくても、簡単にお金が稼げるんじゃないすか? なんでまだ無職やってんです?」


「うん? どういうことだ?」


「たとえばホラ、あんなに強いんだからなんかの格闘技大会とか出ればすぐチャンピオンっしょ? それかミーチューバーとか。魔法の実演したら百万再生ラクショーじゃん」


「はあ……。どっちもやるわけないだろ? 俺はこんなインチキでマジメに頑張ってる人様の邪魔をしたいとは思わないよ。なにより魔法がバレると普通に困る」


 という至極真っ当な俺の答えに、相原は首を傾げながら眉をハの字にする。


「えー? なんでバレると困るんです? めちゃかっこいいしカリスマになれるじゃないすか」


「あのなあ……【収納ストレージ】があったらなんでも盗めるし、【次元転移テレポート】があればどこへだって逃げられる。やろうと思えば人だって簡単に殺せるんだ。世の中の未解決事件がすべて俺の仕業にされかねないだろ」


「は? センパイがそんな悪いコトやるわけないじゃないっすか。そんなバカなこと言うヤツがいたらウチが全員ぶっ飛ばして――って、ああ、そっか……。センパイがどんな人かなんて、知らん人にはわかんないっすもんねー」


「そういうことだ。だから俺は今、重蔵さんに肉をコツコツ売ってお金を稼いでるんだよ。週一回、十万円の仕事だ」


「うわ地味。ってかジーチャンに肉ってなんの話っすか?」


「お前にも食べさせたって重蔵さんから聞いているぞ。最近、重蔵さんにすごくうまい肉をごちそうされなかったか?」


「えっ!? ……もしかして、あのバチクソウマいステーキ、センパイが仕入れてたんすか!? えっ、どこ? センパイどこの国で買ってきたんですアレ!? ジーチャンに聞いてもなんか適当にはぐらかされて教えてくれなかったんすよ!」


 ぐっと顔を近づけて目を血走らせる相原。どうやらコイツはいつの間にやら魔物肉のとりこになってしまっていたようだ。俺はどうどうと相原をなだめつつ答える。


「あれはだな……俺が異世界で仕入れたものだ」


「へ? 異世界……?」


「うん。地球とは異なる世界、異世界だ。【次元転移テレポート】で異世界にも跳べるんだよ、俺。……ああ、そういえばこないだお前、ショッピングモールで俺と伊勢崎さんの他に金髪の女性と会っただろう?」


「会いましたね。外国人のめちゃキレーな人。なんか縦巻きロールでお姫様みたいだったっす」


「お姫様というか、あの人は異世界の伯爵令嬢なんだ」


「……は?」


 ぽかんと口を開ける相原。するとそこで俺と相原の間に伊勢崎さんが割って入ってきた。


「ついでなので莉緒さん。私からもひとつ、いいですか?」


「う、うん。ナニカナ……」


 どこか虚ろな目をしながら返事をする相原に、伊勢崎さんは自分の胸に手をあてて、


「実は私……異世界で大聖女やってました」


 にこっと清々しい笑顔で告白したのだった。


 これはちょっと伊勢崎さんは面白がってるな。たしかに俺も面白くなってきているけど。


「そ、そっかー。……あ、あ、アカン。さすがにウチもう、マジでキャパいかも……」


 そうして相原はその場に突っ伏してしばらく動かなくなり、俺と伊勢崎さんは顔を見合わせ思わず笑いあったのだった。

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