115 レヴィとお姉さま

「伊勢崎さん!?」


 鼻血を吹き出し、床に倒れ込んだ伊勢崎さん。だが俺が駆け寄るよりも早く、ホリーがすぐさま抱きかかえて素早くベッドに横たわらせると、タオルで彼女の鼻血を拭い去った。


 この間わずか三秒。さすがは有能メイド、判断も行動も早い。


 有能メイドはタオルを『収納ストレージ』にしまい込みながら、なぜか幸せそうに口元を緩めている伊勢崎さんの顔に眉をひそめる。


「突然出血されておりましたが、イセザキ様はなにか持病をお持ちなのですか?」


「いえ、彼女は少し恥ずかしがり屋なところがありまして」


「恥ずかしがり屋……。そういう問題なのでしょうか……?」


 ホリーが首を傾げるけれど、そういう問題なのだから仕方ない。伊勢崎さんは俺のようなおっさん相手であっても、手を繋ぐだけで照れてしまうのだ。


 そんな初々しい伊勢崎さんなら、喜んだ勢いでうっかり抱きついてしまえば鼻血くらい出したって不思議じゃない。なにより前にも一度あったことだし、すぐに意識を取り戻すことだろう。


「んっ……」


 などと思った直後、伊勢崎さんはかすれた声を漏らしながら目を開いた。彼女はぼんやりとした目で俺を見上げる。


「あ、あれ……おじさま……?」


「伊勢崎さん、大丈夫かな?」


「はい……。なにか素敵な夢を見ていたような……そんな気がします……」


 伊勢崎さんは気絶したほんの一瞬に、いい夢を見ることができたらしい。その顔色は悪くもなく、口調もはっきりとしている。体調は問題なさそうだ。


 そうして安堵の息を吐いていると、俺と伊勢崎さんの間にホリーがヌッと顔を差し込んできた。


「イセザキ様、申し訳ございません。お体に問題がないようでしたら、お話を続けさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「…………はっ! ――そっ、そうでしたわっ! レヴィが!!」


 ホリーの言葉で気絶する前の状況を思い出した伊勢崎さんは、慌ててベッドから飛び起きた。ホリーはその様子を見つめながらさらにひと言物申す。


「イセザキ様はレヴィーリア様を愛称で呼ばれるのですね」


「……! ご、ご無礼いたしました。寝起きでしたので、どうかご容赦いただけないでしょうか……」


 うっかり口から出た愛称呼びレヴィに、ぎこちなく弁明する伊勢崎さん。


 やはり庶民がお貴族様を愛称呼びはマズいのだろう、そこでチクリと忠告をしたのかと思ったのだが――ホリーは首を軽く横に振った。


「いえ、まったく問題ございません」


「……えっ?」


 ホリーの言葉に伊勢崎さんがいぶかしげな声を上げ、ホリーはそのままなんてことのないように答える。


「お二人がそれほど親交を深めているのでしたら、使用人風情が口を出す問題ではありませんので」


「そ、そうですか。ご容赦くださりありがとうございます」


「ではこちらの席に」


 胸をなでおろす伊勢崎さんに、ホリーはテーブルから椅子を引いて着席をうながした。


 伊勢崎さんが俺の隣に着席すると、ホリーは『収納ストレージ』からティーセットを取り出し、俺たちの前に湯気の立った紅茶を置いていく。


「頂戴いたします」


 鼻血を出して水分を欲したのだろうか、伊勢崎さんはすぐに紅茶に口をつける。それを眺めながらホリーも椅子に腰をおろした。


「イセザキ様がレヴィーリア様を愛称で呼ばれるように、私はレヴィーリア様がイセザキ様を『お姉さま』と親しく呼んでおられているのを何度か耳にしております」


「レヴィーリア様にそこまで親しみをもって呼んでいただき、大変光栄なことだと思いますわ」


 にこりと微笑む伊勢崎さん。そんな伊勢崎さんに視線を合わせながらも、ホリーはどこか遠い目をしながら口を開いた。


「……私の知る限り、レヴィーリア様がお姉さまと呼ばれていた方が、かつてお一人だけおられました」


 その言葉に伊勢崎さんがピクリと眉を動かす。だがホリーはそれを気にすること無く言葉を続ける。


「その方とは、レヴィーリア様が幼少の頃に教育の一環として預けられた教会で出会われました。木登りや虫取りが大変得意な活発な方で、レヴィーリア様はいつもその方の後ろについてまわっていたそうです」


 伊勢崎さんはどこか恥ずかしそうにテーブルの一点に視線を向けながら話を聞いている。これは間違いなく幼少期の伊勢崎さんの話だろう。


 以前にも聞いたことがあるけれど、伊勢崎さんは異世界の下町で宿屋の女将エミールに育てられた結果、かなりわんぱくだった時期があるようだ。


「……ですがその方は、残念ながら命を落とされました。それからというもの、悲しみに暮れるレヴィーリア様に追い打ちをかけるかのように、デリクシルからの嫌がらせが相次ぐようになります。レヴィーリア様は気丈に振る舞ってはおいででしたが明らかにご無理をされている様子で、私たち使用人一同は胸が張り裂けんばかりでした」


 そこでホリーは語るのを止めて、じっと伊勢崎さんを見つめる。


「ですが、イセザキ様とお会いになってからというもの、かつてのとの思い出話を語っているときと同じように、明るい表情をされることが多くなってこられたのです」


「そ、そうですか。それはとても喜ばしいことですわね」


「はい、主人の笑顔は私ども使用人にとっても望外の喜びでございます。――生きておられたのですね、


「ぶふうーーーーーっ!!!!」


 突然の衝撃発言に、紅茶を吐き出す伊勢崎さんとそれを素早い身のこなしで避けるホリー。


「なっ、ななななにをおっしゃっているのか、さっぱりわかりませんわっ! ホリーさんったら、ご冗談がお上手ですのね! ホホホッホホ、ホホー!」


 大変うろたえた様子で伊勢崎さんが高笑いをするけれど、こんなに動揺していたら、もう自白したも同然じゃないかな。


 異世界に来てから何度か見たけれど、伊勢崎さんは意外とピンチに弱い。そういうところも可愛らしいと思う。


 俺は汗をダラダラ流しながら笑い続ける伊勢崎さんの肩をポンと叩き、首を横に振った。


「伊勢崎さん、大丈夫。無理に隠し通す必要はないよ」


 俺の言葉にホリーがコクリと頷いて答える。


「やはりそうだったのですね……。素性を隠されたままでは今後の協力体制は取りづらいと思っておりましたので、失礼ながらカマをかけさせていただきました。大変申し訳ございません」


 ビチャビチャになったテーブルを拭き終わり、頭を下げるホリー。彼女の意見に俺も異論はなかった。そもそも俺の方からいつ切り出そうかと思っていたくらいだ。


 それに伊勢崎さんは部屋に入る際には俺のことを何度も『おじさま』と呼んでいたし、偽装夫婦だということもとっくにバレていることだろう。色々と疑念を持たれて当然の二人組である。


 だが俺がそのことを伝えると、ホリーは珍しく目を見開いて驚きの表情。


「……いえ、それには考えが及びませんでした。私はてっきりイセザキ様にそう呼ばせる遊びプレイをされておられるのかと……。お二人は夫婦でもないのですか!?」


「まあっ、おじさま! やはり私たちはお似合いの夫婦のように見えるみたいですね。うふふっ!」


 偽装夫婦がバレていなかったことに、伊勢崎さんは先程までうろたえていたのがウソのように上機嫌。


 そして俺は新妻におじさまと呼ばせてグヘヘヘとよろこぶ特殊性癖者として見られていたことに酷いショックを受けたのであった。



 こうして身元を明らかにした俺たちは、ようやく本題――レヴィーリア様の窮地を救う相談へと移行したのである。

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