114 突然のアポなし訪問

「おじっ……旦那様っ! ……と、ホリーさん!???」


 口に手をあて、驚愕の表情を浮かべる伊勢崎さん。その彼女の目前に立っているのは――


 しれっとおすまし顔で、メイド服もバッチリと着こなしているホリーであった。


 俺が時空糸を解除した瞬間、ホリーは脱いだ時と変わらない超スピードでメイド服を着込んでくれたのだ。


 早着替えもすごかったけれど、言葉にするまでもなく俺の意をんでくれるあたり、やはり彼女は優秀なメイドなのだろう。


 とはいえ、伊勢崎さんなら俺が誠心誠意を込めて事情を説明すれば、ホリーが亀甲縛りされていようが、アヘ顔ダブルピースしていようが、俺を信じてくれた気がしないでもない。


 なぜなら伊勢崎さんはただの無職のおっさんである俺にいつも『おじさまはすごい』と過分なほどの信頼と期待を寄せてくれているからね。そんな彼女に応えるためにも、なるべく格好悪いところは見せたくないものだよ。


 ――そんなわけで、とにかく危機は去った。


 ほっと息を吐き出した俺の隣では、ホリーが伊勢崎さんに丁寧にお辞儀をし、次に伊勢崎さんのかたわらに立つコリンに顔を向けた。


「……コリン、イセザキ様のご命令とは言え、マツナガ様のお返事を聞く前に扉を開けてはいけません」


「あっ! ごめんなさいお姉ちゃん!」


「メイド長です。それに謝る相手は私ではありませんよ」


「す、すみませんでしたマツナガ様!」


 俺に向き直り、ものすごい勢いで頭を下げるコリン。その隣で伊勢崎さんも同じく頭を下げた。


「あっ、あの、旦那様ごめんなさい! 私、なんだか旦那様の身になにか良からぬことが起こりそうな、そんな胸騒ぎがして……」


 たしかに良からぬことが起きそうではあったんだけどね。伊勢崎さんはたまにすごく勘が鋭いけど、元大聖女だっただけあって天啓が降りてくるみたいなことがあるのだろうか。


「それで私がコリンちゃんに無理なお願いをしてしまったのです。ですから叱るのでしたら、どうか、わわ、わ、私を叱ってくださいませ……!」


「いやいや、別に謝らなくてもいいよ。気にしないで」


「……えっ、あの……叱ってくださらないんですか?」


 ちらっと上目遣いで俺を見ながら伊勢崎さんが言う。


「うん。俺を心配してやったことだし、叱ったりはしないよ」


「そ、そうですか……はぁぁ……」


 なぜかガクリと肩を落とした伊勢崎さんだが、すぐに思い出したように顔を上げる。


「そ、それでっ、旦那様がたはお部屋に鍵をかけてまで、一体何をしていらしたのですか?」


 その問いかけに俺がちらりとホリーを見ると、彼女はちらりとコリンを見た。なるほど、コリンには聞かせられないということか。


「少し内密な話があってね。コリンちゃん、悪いけど席を外してもらえるかな?」


「はっ、はいっ! わかりました! あのっ、本当に申し訳ありませんでしたー!」


 再び勢いよくお辞儀をしたコリンはクルッと回れ右をして、この部屋から走り去った。ちなみに扉は開けっ放しである。


 ホリーの眉間に深い深いシワを刻みながら扉を閉め、もう何度目になるかわからない謝罪をする。


「……妹が大変失礼をいたしました。それでは、私の方からイセザキ様にもご説明させていただきます――」



 ◇◇◇



 ――ホリーの説明が終わり、彼女は俺に言ったように前線都市グランダ、そしてレヴィーリア様の窮状を伊勢崎さんに訴えた。


 それを聞いた伊勢崎さんは、端正な顔立ちのままぎゅっと唇を噛み締める。


「レヴィ……リア様が、そんなことになっていただなんて……」


 苦しそうにつぶやく伊勢崎さんに、ひとまず俺の考えを伝える。


「それでホリーさんから助けを求められてね。俺としてはやれるだけのことはやらせてもらおうかと思っているんだ」


「おじさまっ……! よろしいのですか!?」


 伊勢崎さんが驚いたように目を見開いて俺を見つめた。


 伊勢崎さんが驚くのも無理はない。彼女はサラリーマンを辞めた俺が悠々自適の生活を送りたいのを知っている。貴族のゴタゴタに自ら巻き込まれにいくなんてのはその真逆の事案だもんな。


 けれども伊勢崎さんの妹分が危機に陥っているというのに、それを見捨てて俺が楽しい生活を送れるわけがないのだ。俺は根っからの小市民だからね。


 ……そしてなにより、少しは頼りになる大人ってところを伊勢崎さんに見せてあげたい気持ちがあった。


 俺は肩をすくめながら伊勢崎さんに話しかける。


「もちろんタダでやるんじゃないよ、俺はそこまで立派な人間じゃないからね。無事に事を収めたら、レヴィーリア様からはそれなりの見返りをもらおうかな――おっとっと」


「おじさまっ! おじさまっ! ありがとうございます!!」


 瞳に涙を浮かべた伊勢崎さんは突然駆け出し、俺に抱きついてきた。


 受け止めた勢いで彼女の銀髪がふわりと舞い、目の前で美しいグラデーションを作る。俺はそれに見とれながら胸にしがみつく彼女の頭を軽く撫でた。


 見た目の美しさどおりの繊細でつややかな感触を手のひらで感じつつ、俺は言葉を続ける。


「喜ぶのはまだ早いよ。とりあえずホリーさんになにやら作戦があるらしいから、それを一緒に聞いてみようか。もしかしたら伊勢崎さんにもなにかお願いするかもしれないけど、その時は――って、伊勢崎さん!?」


 気がつけば、俺の胸に顔をうずめたままの伊勢崎さんが、なにやら肩を震わせながらぶつぶつと呟いていた。


「お、おじさまがなでなで、なで? おじさまがなでなでなでなで……なでなでなでなでなでなでなでなで……」


「……なで? 伊勢崎さん、どうしたの大丈夫!?」


「なでなでなで……こんなの夢に違いないわ、なで、なでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなで……だってこれはおじさまにやってほしいことランキング第3位ですもの、こうもたやすく手に入るものではないのだからなでなでなでなでなでこれは夢……」


「えっ、なんだって!? 伊勢崎さん?」


 何を言っているのか聞き取れない。俺が再び問いかけると伊勢崎さんはゆらりと顔を上げ、短く声を発した。


「――ぴゃっぷ」


 顔を上げた伊勢崎さんはまるでトマトのように真っ赤に茹で上がっていた。そして彼女は鼻からつうーっと鼻血を出すと、そのままバターンと真後ろに倒れ込んだのだった。

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