92 相原とお見舞い

「ちーっすセンパーイ。今日はよろしくー」


 俺が待ち合わせ場所で突っ立っていると、ひらひらと手を振りながら相原が小走りでやって来た。


 会社では毎日のように顔を合わせていた相原だが、私服姿を見るのはこれが初めてのような気がする。


 今日の相原はボーダーのシャツにクリーム色のジャケットを羽織り、黒のショートパンツといったよそおい。


 もっとギャルっぽい派手めの格好で来ると思っていたのだが、意外と落ち着いた服装だった。


 そんな相原は俺を上から下までゆっくりと見つめると、安心したように大きく息を吐く。


「あーよかった。ちゃんと普通のカッコで来たんすね。センパイからチャラ男になるとか聞いたときは、正直なに言ってんのか意味わかんなかったんすけど」


 そうなのだ。俺は今回の面会にあたり「チョリーッス」や「マジ卍」の似合う立派なチャラ男を演じるつもりだった。しかし俺にはたぐいまれな演技力があっても、チャラ男のファッションまではよくわからない。


 そこで俺よりは詳しいはずの相原に相談してみたのだが、相原から「いや普通のカッコでいいっすから……」となぜか若干引き気味で言われてしまったのだ。


 俺の役者魂に火がついていただけにちょっぴり残念ではあるのだけれど、クライアントの意向ならば仕方がない。そういうわけで今日の俺はありのままの俺である。


「まあセンパイのやる気は買うっすけど、キャラを作ったところで長く付き合えば絶対にボロが出ると思うんすよねー」


「長く付き合うもなにも、会うのは今日だけだろう?」


「そ、それは長い面会に付き合うかもって意味っす! と、とにかく打ち合わせどおり、ウソはなるべく少なめでいきましょ? ジーチャンにはフツーに無職のセンパイって紹介しますんで、そういうことでヨロー」


「……なあ、やっぱりさ、その無職ってところだけでも変えておかないか? 病床のお爺さんも、孫が無職の彼氏なんかを連れてきたら余計に心労がつのるだろ」


 彼氏が無職と紹介されて喜ぶ爺さんはいないと思う。だがそこで相原はなぜか嬉しそうに口元をほころばせた。


「ふふっ、いやーそれがセンパイ。こないだジーチャンに連絡をとってみたら、なんか知らんけどめちゃ体調がよくなったらしーんすよ。ジーチャンってば『ワシは百歳まで生きる!』とか息巻いてましたし、そのへんは気にしないでよさそーなんです」


「えっ、そうなんだ? それは本当によかったじゃないか、おめでとう。……あっ、でもそれなら俺がもう偽彼氏役をする必要もなくないか? お爺さんが百歳になるまでにお前が本当の彼氏を見つけたらいいだけなんだし」


 もともとお爺さんが生きてるうちに相原の彼氏を見せてやりたいという話だったからな。俺としても偽彼氏役なんて、やらないで済むならやりたくはない。


 しかし相原は呆れたようにジト目をすると、ひったくるように俺の手を握った。まるで子供のように体温の高い手のひらが、やや緊張気味の俺の手をじんわりと温める。


「センパイ、なーに往生際の悪いこと言ってるんすか。元気になったらなったで、ジーチャンをさらに喜ばせてあげたいっしょ? それがジーチャン孝行ってヤツっす。だから予定に変更はないですから! ほら、行きますよ!」


 そのまま俺の手を引っ張ってズンズンと歩いていく相原。……まあ、ここまで来ていまさら引き返すのも悪いか。あんまり気が進まないけれど。


「はあ……わかったわかった。面会には行くよ。だから手を離してくれ」


 すると相原が振り返り、ニチャアと意地の悪い笑みを浮かべた。


「アレアレアレー? センパイってば、ウチと手を繋いで照れちゃってんすか~? 意外とかわいいところあるんすね~」


「アホか、なんでお前と手を繋いで照れなきゃいけないんだ。いい歳こいた男が女の子と手を繋いでるのを周りに見られるのが恥ずかしいんだよ」


「えー。イチャイチャするのにトシなんか関係ないっしょ。ウチはカレシが出来たらイチャイチャベタベタするタイプっすから、ジーチャンの前でもこれくらいはやってもらわないと困りますよ? ……よし、そーいうことなら予行練習ってことで、このままいきましょー! おー!」


「ああ、もう……好きにしてくれ」


 そのままグイグイと俺の手を引っ張りながら歩く相原。俺をからかうのがそんなに楽しいのか、相原は妙に上機嫌になりながら病院へと向かうのだった。

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