91 DOGEZA

「――松永君には本当に失礼なことを言ってしまった。誠に申し訳ない!」


「いやいや、いいですって。城之内さんの心配は当然だと思います。だからもう頭を上げてください!」


「いや、ワシに弁解の余地なぞない! そんなワシが心からの反省を示すには最早この方法しかないのだ。松永君、それに聖奈ちゃん。本当に済まなかった! このとおりだ!」


 重蔵氏が頭を振りかぶる。そしてゴンッ! と何度目かになる床に頭を叩きつける音が部屋に響いたのだった――



 ◇◇◇



 ――重蔵氏が『収納ストレージ』を見て茫然自失におちいってから、しばらく時間が過ぎた。


 未だ重蔵氏はベッドで天井を見つめながらぶつぶつとつぶやき続け、どう見ても正気には見えない。


 大家さんは放っておけと言うのだけれど、これは看護師さんを呼んだほうがいいんじゃないか? などと思った矢先、重蔵氏は突然むくりとベッドから身体を起こした。


 彼はそのまま俺たちに顔を向けると、どこか晴れ晴れとした表情で魔法の存在を認めると表明し、自らの腕の点滴を引き抜いたのだった。


 そうして重蔵氏は立ち上がると、俺たちを応接室へと案内した。彼の案内に従って応接室へと入る俺たち。すると彼は突然振り返り、俺の足元で土下座をして頭を床に叩きつけたわけである。



 それからずいぶんと長い間、土下座状態が続いている。


 伊勢崎さんはまだ不満げにそっぽを向きながら腕を組み、大家さんはキッチンで勝手に沸かしたお茶を飲みながら落ち着いた様子。


 俺はといえば、こんなお偉方に土下座されるだなんてただただ心臓に悪いだけなので、オロオロしているだけである。


 しかし何度頭を上げるように言っても、重蔵氏はかたくなに頭を上げようとしない。


 そんな中、お茶を飲み終わった大家さんが、湯呑みをテーブルに静かに置いて重蔵氏に声をかけた。


「重蔵、もう気は済んだかい? あんたがそんな有様だとあたしらもまともに話ができないんだよ。本当に反省したというなら、そろそろこっちの都合に合わせるんだね」


「ほ、ほら、大家さんもそう言ってますし、俺はなんとも思ってませんけれど、許せというなら許します。ですから……ね?」


「重蔵お爺様。おじさまがお許しになるのなら私は許しますわ」


「そ、そういうことなら……。このたびは本当に済まなかった……このとおりだ」


 大家さんに続いて俺と伊勢崎さんも言葉を重ねると、重蔵氏は立ち上がってもう一度頭を下げた。そしてようやくソファーに腰掛けたのだった。


 その顔色は『治癒ヒール』のお陰もあって、ずいぶんとよくなっていた。おでこだけは床に叩きつけたりこすりつけたりしていたせいで真っ赤になってたけれど。



 それから俺たちは改めて伊勢崎さんが異世界に転移してからのいきさつを重蔵氏に話した。


 一度信じてしまったせいか、今度は俺が拍子抜けするほどあっさりと重蔵氏は異世界での話を信じてくれたのだった。


「しかし異世界か……。世界というのはまだまだ広がっておったのだな……」


 重蔵氏が顎をこすりながら感慨深げにつぶやく。


「そういうことさね。だけど絶対に口外なんかするんじゃないよ。オーケイ?」


「義姉さん、そのくらいは言われずともわかっているとも。しかし松永君はこれからどうするつもりなのだ?」


「え? どうすると言いますと……?」


「君ほどの力があれば富も名声も思うがままだろう? 君が今後どのように生きていくのか、ワシとしては興味が尽きんよ」


 じっと俺の目を見つめる重蔵氏。まるで心の奥底まで覗き込まれているようで、俺は思わず顔を引いた。


「いえいえ、とんでもない! 俺は日々を平凡に暮らしていければそれで十分でして。もちろんせっかくですからある程度の贅沢はしたいなあとは思いますけど」


「ふむ、欲のないことだ。……しかし、それが賢明なのかもしれんな。大いなる力には、大いなる責任が伴う。最初のうちは力を振るうことに心地よさを感じるだろうが、いつの間にか責任の方が重くのしかかり、わずらわしくなってくるものよ」


 重蔵氏は俺から視線を外し、遠くを見ながら語る。重蔵氏ほどの人なら、色々な苦労も経験してきたことだろう。


「だが松永君、なにかやりたいことができたなら、いつでもワシを頼ってほしい。君と聖奈ちゃんはワシの命の恩人でもあるのだからな。……しかし、ええと、それとは別にだな……」


 言いにくそうに口をもごもごとさせる重蔵氏。


「あの、どうかしましたか?」


「その……ワイルドボアの肉が大変美味かった。また食いたいのだが、融通ゆうずうはしてはもらえないだろうか……? もちろん君の言い値を支払わせてもらおう。体調が戻ったせいか、とにかく美味いものを腹いっぱい食いたくてな……」


「あっ、そういうことなら是非」


 渡りに船とはこのことだ。元々こういったコネが欲しくて重蔵氏と接触したのだからね。


 それを向こうから言い出してくれるのは、ありがたいことだよ。どのくらいの値段で売ればいいかは後で大家さんと相談しよう。


「しかし重蔵、あんたは死にかけだったんだ。いきなり食い道楽を再開すると医者に変に思われるんじゃないかい?」


 からかうように口を歪めながら大家さんが言うと、重蔵氏は苦笑を浮かべた。


「まあその辺りはうまくやるとも。そもそもこの病室は病気でもないような連中が身を隠すのにも使う場所だ。重病人のはずなのに、専属シェフをつけたり毎日のように愛人を呼びつけたりする連中だって――いや、なんでもない」


 ゴホンと咳払いした重蔵氏はさらに言葉を続ける。


「とにかく、金さえ払っておけば後はどうとでもなる。担当医には相当驚かれることになるだろうが……そうだな、神の奇跡が起きたとでも言い張ってやるか」


 口の端を吊り上げた重蔵氏は、貫禄十分にソファーに腰を沈めるのだった。



 ◇◇◇



 重蔵氏の見舞いから数日が経った。


 そろそろレヴィーリア様も領都からグランダに戻っただろうし、異世界に家具や魔道具を買いに行ってもいい頃合いである。


 楽しい楽しい異世界ショッピングへと繰り出したいところだけれど、俺としては面倒なことは先に済ませておきたかった。


 面倒とはもちろん例の相原のお爺さんとの面会の件だ。とにかくコレを終わらせないことには俺の気が休まらないからね。


 そういうことで俺はついにこの日、相原のお爺さんとの面会のため、駅で相原と待ち合わせをしたのである。


 そこはしくも、重蔵氏の入院している病院の最寄りの駅だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る