78 高級レストラン

 居丈高に大声を上げる兵士が『カリウス伯爵家のご令嬢のデリクシル様』と言ったのが聞こえた。


 俺の記憶がたしかなら、それはレヴィーリア様の姉のはずだ。ハッとテーブル越しの伊勢崎さんに顔を向けると、彼女もコクリと頷いてみせる。どうやら間違いなさそう。


 そして店内からは客たちがひそひそと話す声が耳に届く。


「ひっ、デリクシル様ですって……!」「私の知人の店も無理難題を押し付けられたことが」「機嫌を損ねるとどうなることやら」「は、早く出ましょう」「そうだな」


 レヴィーリア様の態度で薄々わかってはいたが、やはり評判の悪いご令嬢のようだ。


 そして今思えば、ドルネシア商会で俺がカリウス伯爵家の封蝋を見せたときの従業員やカーラント氏の慌てっぷりは、デリクシルの手の者と勘違いしたせいなのだろう。


 こんな風に身分を笠に着た行いが平然と行われるあたりはさすが貴族社会だよ。地球ならハラスメントと言われかねない。


「早くしろっ! さっさと追い出せ!」


「はっ、はい!」


 兵士の一喝に直立不動で答えた従業員は、青ざめた顔でこちらに走ってくると、フロアの中央で頭を下げる。


「み、みなさま、大変申し訳ございませんが、今からデリクシル様がいらっしゃいます。このたびの料金の方は結構ですので、今すぐ店内から退出を……!」


 客に今すぐ出ていけとは随分な言葉であるけれど、従業員に文句を言う者は誰一人としなかった。むしろお客さんたちは我先にと言わんばかりに席を立ち、足早に店から出ていく。


 その様子をポカンと眺めていて、俺たちが出遅れていることに気づいた。


「おっと、俺たちも行こうか」


「はい、おじさま」


 一番最後に席を立つ俺たち。


 客に富裕層が多いというのは確かなようで、帰り際に従業員とすれ違いざま金貨を押し付けて帰る人もいた。俺もそれを見習い、素早く数枚の金貨を従業員に手渡す。


「ごちそうさま、また来るよ」


 無言で頭を下げる従業員に見送られ、俺たちは店の外に出たのだった。



 外に出ると、小さな庭園が広がる様子が目に入る。本来なら食後にのんびりと庭園を眺めながら帰ろうと思っていたのだけれど、今回ばかりは仕方ない。


 庭園の小路を足早に進んでいると、向こう側から小路の中央を歩いてくる一人の女性の姿が見えた。


 年頃は二十代半ばといったところだろうか。美しく長い金髪と整った顔立ちの美人ではあるのだけれど、鋭い目つきとやや濃い化粧のせいかなんとも近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。


 なにより現在進行形でイライラしているらしく、眉間にシワを寄せながらぶつぶつと何かをつぶやいている。


 この女性がデリクシルなのだろう。その様子を眺めていると、クイッと伊勢崎さんに袖を引かれた。


 いつの間にか伊勢崎さんは小路の端に寄り、頭を下げている。俺も慌てて伊勢崎さんの横に立ち頭を下げ続けた。


 やがてこちらに近づいてくるデリクシル。


 濃い香水の匂いが鼻をかすめ、思わず咳き込みたくなるのをグッとこらえる。


 そしてデリクシルはまるで路傍の石のように俺たちの存在を気にすることなく、カツカツとハイヒールの音を響かせながら前を通り過ぎていった。


 そんなハイヒールの音に混ざりながら、つぶやく声が耳に届く。


「まったくどうして生きているのかしら、忌々しい……! あの下賤な妾腹めが……」


 どうやらレヴィーリア様との面会を済ませた後らしい。デリクシルが苛立っている原因が一発でわかった気がする。


 そしてデリクシルは、付き従うように背後に控えていた使用人らしきイケメンと一緒に店内へと入っていった。


「はあああぁー……」


 大きく息を吐きながら頭を上げる俺。いつの間には額には汗が浮かんでいる。貴族ハラスメントというヤツは、なかなかのストレスになっていたらしい。


「あれが、レヴィーリア様の姉君なんだね?」


 小声で尋ねる俺に伊勢崎さんが頷く。


「はい。自分を中心にこの世界が回っていると思われている、愚かな方ですわ」


 珍しく冷たい表情で伊勢崎さんが答える。彼女によるデリクシル評は初めて聞いたかもしれないけれど、彼女もまたレヴィーリア様と同じくデリクシルを良くは思っていないようだ。


 まあ俺もレヴィーリア様ならともかく、デリクシルと仲良くしたいとは思わないけどね。


 とにかくこの場をさっさと離れよう。俺たちはそのまま小さな庭園を抜け、店の敷地から外に出ることにしたのだった。



 そうして敷地を出ると、その近くにはデリクシルが乗ってきたと思われる馬車が停まっていた。その前には二人の兵士が立っている。


 そのうちの一人はついさっきレストランの従業員に貴族ハラをしていた兵士だ。その兵士が俺たちに声をかけてきた。


「おい」


「え? はい、なんでしょう」


 答えたのは俺なのだが、兵士の視線は俺の背後にいる伊勢崎さんを捉えている。


「これからしばらくデリクシル様がお食事をとられる」


「ええ、そうでしょうね。このお店は美味しかったですし、きっとお気に召すんじゃないでしょうか」


「だが、デリクシル様を護衛するという栄誉を与えられているこの俺が、この場所でただ立ち尽くして待っていることをお前はどう思う?」


「はあ、お仕事頑張ってくださいとしか……」


 だがそれは兵士の欲しい言葉ではなかったようだ。兵士は舌打ちをして俺を睨む。


「チッ、こんなこともわからないのか……。つまりだ、デリクシル様を護るという大任を任されているこの俺に、お前らは尽くす義務があるということだ。そしてそれこそがデリクシル様への敬愛を示す証となる。……おい、そこの娘。わかったのなら今すぐ俺に付き合え」


 そう言って兵士は俺の背後に立つ伊勢崎さんに、ニタリと好色な笑みを浮かべたのだった。

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