77 領都観光

 ……ざわ。ざわざわ……。ざわ……。


 サラティナの噴水周辺では、人々のどよめく声が漂っていた。


「えいっ!」

「とうっ!」

「やあー!」


 というのも、伊勢崎さんが噴水に背中を向けて少銀貨(百円相当)を延々と投げ続けているからである。


 俺は『商売繁盛』を願い、一発で少銀貨の投げ入れに成功したものの、彼女の少銀貨は一度も噴水の中には入っておらず――またひとつ、噴水の外に硬貨がコロコロと転がった。


 そしてそれを拾う管理人らしき男。噴水に投げたコインは噴水の管理費にあてがわれるのだそうで、拾ってのリトライは不可能だ。もったいないけど仕方ないね。


「くうっ、今度こそ……!」


 財布から新しい少銀貨を取り出す伊勢崎さん。ちなみに伊勢崎さんの所持金は、彼女のホワイト◯リータを売った物を俺がお小遣いとしてそのまま渡したものだ。


 それにしても薄々は気づいていたんだけど、彼女はすこぶる運動神経が悪い。まったく噴水に少銀貨が入る気配がないので、さすがに止めたほうがいい気がしてきた。


「ね、ねえ、伊勢崎さん? お金がもったいないし、そろそろ止めたほうが……」

 

 しかし伊勢崎さんは新たな少銀貨を握りしめ、静かに語りだす。


「おじさま、私の学園の先輩がおっしゃってました。『課金は決して裏切らない。課金の果てには天井があるのだから』と。つまり今はまだ課金が足りていないということですわ。もうしばらくお待ち下さいませ」


「あのね伊勢崎さん、まずコイン投げは課金じゃないし、天井のないソシャゲもあるよ。そしてその先輩にはソシャゲはほどほどにと忠告してあげて……」


「今度こそっ! ……ていっ!」


 熱くなっているらしく俺の言葉が聞こえていない伊勢崎さんが、再び少銀貨を背後に向かって投げた。


「おじさま、おじさまの……」


 投げた瞬間に目をつむり手を組んだ伊勢崎さんのつぶやく声が耳に届いた。


 もしかして俺の健康でも祈ってくれてるのかな? だとすれば余計に申し訳ない。


 そうして彼女の投げたコインの放物線は、初めてまともに噴水の方へと向かい――仲睦まじい男女を模した石像に当たって跳ね返り、キンと音を鳴らして噴水の外へと飛んでいったのだった。


「くううっ! つっ、次こそ!」


 涙目になりながら伊勢崎さんが財布から少銀貨を取り出す。しかしさすがにこれ以上、俺の健康のためにお金を浪費させるわけにはいかない。


「えいっ!」


 伊勢崎さんの声とともに手から離れた少銀貨は、またしても明後日の方向へと飛んでいき――


 ――俺はその場に小さな異空壁を展開させて少銀貨に当て、そのまま噴水の中へと叩き落とした。


 見守っていたギャラリーがあからさまな軌道の変化に首を傾げているが、何かの虫に当たったんだと思ってほしい。


 ポチャンという水音に伊勢崎さんが勢いよく噴水を振り返り、喜色満面の笑みを浮かべる。


「おじさま! 入りました! 入りましたわ!」


「うん、そうだね。よかったね」


「はいっ! うふふっ、やっぱり前野先輩のおっしゃってたとおり、重課金とは愛なのですね!」


 小躍りしながらなにやら変なことを口走る伊勢崎さん。彼女が喜んでいるのはなによりだけど、ソシャゲにハマらないように俺も気を配ろう。そう思った噴水での出来事だった。



 ◇◇◇



 あちらこちらと観光し、いよいよ日が傾きかけた頃、俺たちは食事に向かうことにした。


 臨時収入もあったことだし、せっかくだから高いお店に入ろうと俺たちが訪れたのは、お城のある高台の近くに居を構える高級レストラン。


「ここは富裕層も訪れる有名なレストランだったと記憶しておりますわ」


「たしかに高そうだねえ……」


 レストラン自体は重厚な石造りの建物なのだが、それを囲うように小さな庭があり、花壇には派手ではない程度に色とりどりの花が咲き乱れている。なんともオシャレなレストランである。


 この世界に合わせた質の良い服を着ているつもりだけれど、ドレスコードで弾かれたりとかしないか心配になってきたよ。


 しかしここまで来て引き返すのもなんだし、ダメなら別のところにいくだけだ。俺は意を決してレストランの中へと足を踏み入れた。


 店内ではやはり上品そうな方々が飲食を楽しんでおり、すぐに従業員らしきシックな装いの制服に身を包んだ女性がやってきた。


「いらっしゃいませ。レストラン:シュプレインへようこそ。ご予約の方はされておられるでしょうか?」


「あっ……。いえ、していないんですけど」


 俺の返事に従業員はピクリと眉を動かす。


 ああ、もしかすると、こういう高級そうなお店って完全予約制だったりするのかもしれない。


「ダメ……ですかね?」


 おそるおそる尋ねる俺に、従業員はにっこりと柔らかな笑顔を見せる。


「いえ、お席は空いておりますよ。どうぞお入りください。足元、お気をつけくださいませ」


 どうやら思ったよりも柔軟な対応がしてもらえるお店のようだ。俺はホッと胸を撫で下ろしながら、伊勢崎さんと共にテーブルへと案内されたのだった。



 ――そうして俺たちは高級レストランの食事を存分に楽しんだ。コース料理だったのだが、その中で特に美味いと思ったのはチキンソテー。


 ウェイターの説明によると、ロックバードという魔物のものらしく、今日入荷したばかりなのだそうだ。


 鶏肉らしいあっさりとした風味と濃厚なソースが絡み合い絶妙な味を作り上げ、噛めば噛むほど幸せな気分になる料理だった。


 以前、土ネズミを食べた大家さんは地球にはもっと美味い食べ物があるとほのめかしていた。


 しかしこのソテーのように、肉質が最高でさらに料理人の腕まで良いともなれば、これはもう地球でも食べられないような味になっているんじゃないかと思う。伊勢崎さんもソテーを口に入れた瞬間、珍しく目を丸くしていたからね。



 しかし、そんな楽しい食事がそろそろ終わろうとしていた頃――


「あの、さすがにお客様方を追い出すというわけには……」


「なんだと? 貴様はカリウス伯爵家のご令嬢であらせられるデリクシル様に庶民と共に食事をせよと言うのか?」


「いっ、いえっ。決してそのようなことは……!」


 ざわつき始めた店内。店の入り口の方を見ると、なにやら従業員と鎧を着込んだ兵士がモメている姿が目に入ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る