31 ビフォーアフター

「ただいま帰りました」


 大家さんと応接間で過ごすこと数時間。


 YouTuneで大家さんと一緒にヘヴィなロックバンドのPVを延々と見せられ脳がおかしくなりかけていたところに、玄関先から伊勢崎さんのすくいの声が聞こえてきた。


 伊勢崎さんは障子を開けて応接間へと入ってくると、俺を見て顔をほころばせる。その手に下げているオシャレな柄の紙袋には、おそらくシャンプーが入っているのだろう。


「おじさま、いらしていたのですね」


「やあ、おじゃましてるよ」


 伊勢崎さんは髪を揺らしながらにこりと微笑み、


「先に着替えてきますわ。少々お待ちになってくださいませ」


 その場でくるりと半回転。きれいな銀髪がきらきらと輝いて宙に舞った。


 それからしばらくして応接間に戻ってきた伊勢崎さんは、流れるような所作で俺の前で正座をする。そのとき彼女の髪がふわりと持ち上がり、どこか甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「おじさま、これが例のシャンプーです」


 俺に紙袋を差し出し、髪の毛をファサッと後ろに払う伊勢崎さん。ああ、うん……。


「ありがと。と、ところで……髪切った?」


 俺の言葉に伊勢崎さんはパアアアアア……と顔を輝かせた。


「はい! たまたま予約のキャンセルがあったそうですので、お買い物のついでに少し髪を整えてもらいましたの! さすがおじさま、些細ささいな違いもわかってくださるのですね!」


 伊勢崎さんは、ぴたっと両手を合わせてニコニコと上機嫌だ。いやまあ、さすがの俺もそこまで露骨にアピールされたらわかるよ……。


「うん、とても似合ってるね……。ところでこのシャンプーの値段はいくらだったのかな? 忘れないうちに払っておくよ」


 正直なところ違いは何もわからん。ひとまず髪の話題を切り上げて財布を出そうとする俺の手を、伊勢崎さんがやんわりと押し止める。


「いえ、元を正せば私がレヴィに目を付けられたのが原因です。これは私が支払いますわ」


「いやいや、そういうわけにもいかないから」


「ですが――」


「聖奈。男には見栄ってヤツがあるんだ。ありがたくいただいておきな」


 大家さんの鶴の一声。まあそういうことなんだな。ここは払わせてほしい。


「……わかりました」


 申し訳なさそうに眉尻を下げる伊勢崎さんに、俺は財布を取り出しながら話しかける。


「ありがとね、それでいくらだったのかな?」


「ええと――」


 そうして伝えられた金額は、俺の想定を遥かに越えてきた。俺は顔がこわばりそうになるのを必死に抑えながら、財布からお金を取り出したのだった。



 ◇◇◇



「ところでおじさまはどうしてこちらに?」


「大家さんに魔物肉をお土産に持ってきたんだ。それでご相伴にあずかることになってね」


「そういうワケさね。それで何の料理にするかロックのPVを見ながらインスピレーションを働かせてたんだけどさ、やっぱ聖奈に聞くのが一番だよな。お前の意見を聞かせておくれよ」


 どうやらロックのPVは献立を考えるための行動だったらしい。まさかの事実である。


 そんな大家さんに水を向けられ、伊勢崎さんが考え込むように眉を寄せた。


「そうですわね……。私も土ネズミは串焼きくらいしか食べたことはないのですけれど……食感は鶏肉に近いですし、鶏鍋――いえ、ネズミ鍋なんかはいかがでしょう?」


 そこは別に鶏鍋でいいと思うよ。なんで言い直したのかな。


 だが大家さんはそれを聞いて、弾けたように立ち上がる。


「ヒャッハー! いいね、いいね、ネズミ鍋! それじゃあさっそく料理するかい! いくよっ、聖奈!」


「はいっ、お婆様!」


 腕まくりしてドカドカと応接間を飛び出る大家さんとそれに付き従う伊勢崎さん。二人は俺を残して台所へと駆けていった。仲がよさそうでなにより。


 ちなみに大家さんも、大家さんに仕込まれた伊勢崎さんも料理は大の得意である。


 一人残された俺はどんな鍋になるのかと思いを馳せながら、テレビの大画面で再生されっぱなしだったイカレたロックPVを見て時間を潰すことにしたのだった。


 スマホを家に忘れてきたことを、こんなに後悔したのは初めてだよ。

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