9 異世界二日目

 ――ピピピピピピピピピピ


 スマホのアラームが鳴り、俺は目覚めた。部屋の反対側のベッドでは伊勢崎さんが布団に包まりながら軽く身じろぐ姿が見える。


 俺はスマホのアラームを止め、鞄の中にしまった。窓からはすでに朝の光が差し込んでいる。きっちり八時間眠れたようだ。


 スマホはアラームくらいにしか役に立たないので普段は電源をオフにすることにしたのだけれど、後何日持つことやら。


「伊勢崎さん、おはよう。俺は外に出ておくから、準備ができたら呼んでくれるかな」


「ふぉーい……」


 伊勢崎さんは謎のお返事と共にむくりと起き上がると、ひときわ大きなあくびをして、こしこしと目をこすった。


 いつもお嬢様然とした伊勢崎さんからは想像できないほど、髪の毛もボサボサで目の焦点も定まっていない。そういう子供っぽい姿もとても可愛らしいと思う。


 俺はなんともほっこりした気分を感じながら、自分の衣服を持って部屋の外に出た。



 部屋の外でエミールが用意してくれたこの世界の衣服に袖を通す。


 少しざらついて肌触りはあまり良くない古着だけれど、もちろん文句をいうつもりはない。ありがたく着替えさせてもらう。


 二階には個室がいくつか並んでいるが、誰かが出てくる前にさっさと着替えることができた。



 着替えが終わりしばらく待っていると扉がゆっくり開き、そこにはこの世界の町娘の服装に着替えた伊勢崎さんが立っていた。伊勢崎さんはもじもじとしながら、


「あ、あの。私、実は朝が弱くて……とても恥ずかしいところを見せてしまい……その、忘れていただけると……」


「なにかあったっけ? それよりエミールさんが朝食を用意してくれるらしいし、一階に行こうか」


「はっ、はいっ!」


 さっきの可愛らしい伊勢崎さんの姿を忘れるのはもったいないけれど、本人の意向なら従おう。


 俺はすっかり記憶喪失になった後、伊勢崎さんを伴って一階のエミールの部屋へと向かった。



 ◇◇◇



 エミールからはコーン味のスープと白いパンをいただいた。味はまあ、うん……薄味かな。もちろん服といっしょでいただけるだけでもありがたい。


 特に伊勢崎さんは、なんとも懐かしそうな表情を浮かべて楽しそうに食べていた。


 そういえば伊勢崎さんは近所のスーパーの半額肉とかでも平気で食べるし、お嬢様っぽくないなと思ったことがあるけれど、この異世界で長く暮らした結果としてつちかわれたものなのかもしれない。


 食事を頂いた後、俺と伊勢崎さんは二人揃って外出することにした。


 昨日、市街地に入った時にはなるべく人目をはばかるように歩いていたのだが、今日は堂々と町中を歩く。


 美しい銀髪をなびかせる美少女である伊勢崎さんはいかにも目立ちそうなのだけど――


「堂々としているけど、本当に大丈夫なの? ……聖女ってバレたりとか……」


 後半は耳元でささやくように尋ねると、伊勢崎さんは自信ありげに胸を張って答える。


「ええ。あの頃はずいぶん背も低かったですし、髪の色も違いました。私だとわかるのはエミールおばさんくらいだと思いますよ」


「それならいいんだけど。ところで、今はどこに向かっているのかな」


「エミールおばさんのお世話になるとはいえ、食費くらいはなんとかしないといけません。そこでまずは持っている物で売れそうなのをお金に変えようかと思います。おじさまにも協力していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」



 ◇◇◇



 そういうことで、俺たちは屋台の立ち並ぶ通りへとやってきた。その通りの中で、いくつもの服を軒先に吊り下げて並べている屋台の店主に伊勢崎さんが声をかけた。


「ちょっといいですか? 買い取ってほしいものがあるのですけど」


「なんだい、出してみな」


 よく日焼けした男がにゅっと手を伸ばす。手はずどおり俺と伊勢崎さんは、それぞれ昨日着ていたワイシャツとブラウスを手渡す。もちろん『清浄クリーン』で血糊や泥は除去済みだ。


「へえ……。ずいぶん質の良い生地じゃないか。お貴族さまの着ていた物か?」


「出どころは秘密です。それよりいくらで買ってくれますか?」


「そうだな……二枚で4000ゴールでどうだ?」


「……少し安すぎませんか?」


「こんな高級品、ここじゃまともに扱えねえよ。まともに買い取ってもらいたいなら、こんなショボくれた出店じゃなくて商会にでも持っていくこった」


「むむむ……。仕方ありません、それで――」


 伊勢崎さんが了承しようとして、男の口がニヤリと吊り上がる。そこで俺が口を挟んだ。


「ちょっと待ってください。商会の話がでましたけど、この辺りで一番大きい商会はどこにあるんですか?」


「一番大きいといえば、三番街の大通りにあるレイマール商会だが……。もしかしてあそこに売りに行くつもりなのか? 商会に行けとは言ったがな、あの手の商人がコネもなしに会ってくれるわけねえだろ? おとなしくここで売っておけって。なあ?」


「おじ……旦那様?」


 不安そうに俺を見る伊勢崎さんに俺はこくりと頷いてみせ、再び男に顔を向ける。


「いえ、せっかくなので商会の方に行ってきます。別に商談に失敗してからここに持ってきてもいいでしょう? やらないで諦めるのはもったいないですから」


 そう言って男の手から衣服を取り上げ、俺は男に別れの挨拶を告げたのだった。

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