8 大聖女のその後
俺がすでに聞いている話によると、この領地――カリウス伯爵領の前線都市グランダに、当時五歳の伊勢崎さんが転移した。
そしてエミールに保護され、紛争で怪我をした人々を癒やしていくうちに聖女として
「えっ? 私は癒やしの巡業中に野盗に襲われて殺されたことになっているの?」
「そうだよ。護衛の兵士もなにもかも殺されたって聞いた。それを聞いたときにはあたしゃもう……」
思い出したのか、涙ぐんだエミールの肩を伊勢崎さんがそっと抱く。
「大丈夫だよ。私はこのとおり生きてるんだから」
「ぐすっ……そうだね、よく生きていてくれたもんだよ。いったい何があったんだい?」
「……私にもよくわからないんだ。気がつけば神の国に戻っていて、そこで旦那様と知り合ったの。そしてまたこっちに来ちゃったみたいで」
どうやら暗殺されたことは伏せておくようだ。
ちなみに伊勢崎さんは五歳で転移当時、別の国から来たとエミールに言っていたらしい。これは二人だけの秘密だったのだが、聖女となったことも相まって神の国と名付けていたそうだ。
「はあ……本当に神の国なんてあったんだねえ」
「もうっ、おばさん信じてなかったの?」
「だってセイナも何年かすると『神の国は夢だったのかも』とか言い出したじゃないか」
「人生の半分もこっちで過ごしてたら、そういう風にもなるって……」
むすっとした顔をする伊勢崎さん。いつもお嬢様っぽい話し方や仕草をする伊勢崎さんだけど、エミールに対してはまるで親子みたいだ。見ていてとても微笑ましい。
それからしばらく会話を続け、どうやら大聖女が殺された他は、近辺の状況に特に変わりがないらしいことがわかった。
具体的にいうならば、大聖女が殺されたものの国王は寛大なるお心で領主を許し、領主は今もこの都市を前線として隣の領土との紛争に明け暮れているということだ。あくまで庶民の噂話レベルではあるけれど。
ひと通り話を聞いたところで、エミールが伊勢崎さんにぐっと顔を寄せた。
「それで……これからどうするつもりなんだね? 領主様か教会に保護してもらうのかい?」
「ううん。どちらも信用できないのでやめとく。だからおばさんも私たちのことは黙ってほしいの」
「ははっ、お偉方なんてのはうさんくさいもんだからね。あんたも聖女になってから大変だったのは知っているし、そういうことならこの件はあたしの胸にしまっておくよ」
「ありがとエミールおばさん。それでね……しばらくこの部屋を使わせてもらっていいかな。旦那様と一緒に町を見て周りたいの」
「もちろんいいともさ! なんならずっとこの部屋に住んだって構わないんだからね。……ただ、壁は薄いから夫婦の営みはほどほどにするんだよ!」
そう言い残すとエミールはガハハと笑いながら部屋を出ていった。
「もうっ、おばさんったら……」
「明るくてやさしいおばさんだね」
「……はい。こちらに転移して右も左もわからない私を保護して、教会に引き取られるまで育ててくださったのです。エミールおばさんはずっといてもいいと言ってくださったのですけど、聖女なんて言われるようになってからは、この宿にも人が押しかけてくるようになって……」
そのときのことを思い出したのか、伊勢崎さんは形のいい眉をひそめた。やはり聖女なんて言われるようになると、周りの人が放っておかないのだろう。
そして教会や領主、やがて国王にお近づきになる予定だったところで暗殺されたわけだ。そうなるとひとつ疑問がある。
「領主の屋敷で襲われたはずが巡業中に襲われたことになっていたみたいだけど、真実を隠したってことは、やっぱりその……暗殺は領主の指図なのかな?」
「それについてはわかりかねますわ。領主の面子もあるでしょうし、隠し通す方向で事を進めたのかもしれません。それに教会の中にも私の存在を
そこで伊勢崎さんは一度軽く息を吐くと、
「誰だっていいし、どうでもいいというのが本音ですわ」
曇りのないさっぱりとした顔で言い放った。そして俺もその言葉に頷いてみせる。
「そうだね。せっかくこうして助かったわけだし、どうせなら人生は楽しんだほうがいいと思うよ」
復讐しても死んだ人は喜ばないという言葉があるが、殺された人がどうでもいいと言っているのだから、外野がとやかく言うこともないだろう。
「そのとおりですわ! さすがはおじさまです!」
伊勢崎さんは両手を合わせながらにこやかに笑う。
「まずは明日、おじさまと外出するのがとても楽しみですっ! ……あっ、もちろん日本に戻るきっかけを探すというのも忘れてはいませんけれど……」
「外出は俺も楽しみだよ。それじゃあ今日はもう遅いし、明日に備えて寝ようか」
いつの間にやら日は沈み、魔道ランプが部屋を明るく照らしている。アラサーの体力はもう限界だ。
「はい、おじさま。ええと、やはりここは同じベッドで……」
などと言ってきた伊勢崎さんだが、ベッドが二つあるのに一緒に寝る理由はない。相変わらず夫婦のリアリティにこだわるけれど、そこまでやらなくていいんだからね。
やんわりと断って、それぞれのベッドに横になり魔道ランプの明かりを消す。
するとすぐに伊勢崎さんの寝息が聞こえてきた。異世界に不慣れな俺をこれまで引っ張ってくれていたが、やはり相当気を張っていたのだと思う。
俺としても伊勢崎さんを頼ってばかりではなく、少しは大人として頼りになるところを見せたいものだ――
そんなことを思いながら、俺もいつしか眠りについたのだった。
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