五章 銀翼の記憶 第七話 


 サバスト・シュロ―が息子ナフシスに辺境伯位を譲ったのは、齢四十五の年だった。既に肉体の盛りは過ぎ、自ら前線に出るという事は無くなっていたが、別に軍の指揮を執る事が苦となったというわけではない。年とともに息があがるのが早くなってきてはいたが、代わりに技は鋭く、判断は正確になった。それに自ら前線で戦わずとも、彼が長年育てた軍は、高い練度と風紀を備え、腹心の部下たちが前線でそれを率いる。


いかに辺境伯には武の素養が求められると言っても、それは自ら前線で戦えということではない。配下に侮られぬためである。将の仕事の本質は、自ら戦う事ではなく、軍をいかに采配するか、という事であり、年を取ればその分、円熟味が増す。

よって、五体満足にも関わらず、四十半ばで代を譲る者はまずいない。戦場に出られぬような病や怪我もないのに、引退をするというのは、ともすれば、批判の的になる。


実際、早すぎるという声があった。四十五で隠居するのはあまりに早い、ナフシスもまだ二十二であり、経験に乏しい、せめて軍事のみを譲り、政務に集中されてはどうか――。悪意あっての批判ではない。そういう声があるのはむしろ有難い――そうは思ったが、サバストが息子に家督を譲ろうとしたのは老いが理由ではなく、ただ国を思っての事であった。




灼竜国前王ブラスカは革新を望んだ王であった。灼竜国はその寒冷な気候からか、頑固な人間が多いと言われる。忍耐強く、頑固で、保守的――特に、温暖な国から来た人間などは決まってそう言う。人間がそうなのだから、国風も全体的に保守的になる。伝統を重んじ、革新を嫌う。どちらがいい悪いではない。残しておくべき伝統もあれば、改めた方がいい悪習もあるのが国というものである。そして、国民性とは反対にブラスカは革める事に力を入れる王であったのだ。


灼竜国は他の大半の国々と同様に王と貴族が支配する国である。数百年の昔、帝国が分裂した時、遺された皇帝の遺児たちが各地で国を興し、王となった。

皇帝の血筋には力がある。竜の血脈を繋ぐ力である。竜はつがいを作らない。正統な王の祈りによってのみ、その卵に命が宿る。竜は魔素から国土を守り、魔族から民を守り、逆賊から玉座を守る。竜は国の基である。竜の血脈を繋ぐために王が玉座に座り、王を守って戦った者達が初めの貴族となった。


貴族の持つ力は国によって違いがあるが、灼竜国は特に貴族主義が強い国である。国の大半を占めるのは農奴であり、それらを貴族が支配する。自由民もいる事はいるが、他国に比して数が少ない。自然、国の収入の大半は農業から得るものとなり、他の産業による収入は少ない。


ブラスカが革めようとしたのは、ここであった。灼竜国は元々、農業に不向きな土地である。寒冷地帯にあり、さらに国内には山が多く、他国に比べて耕作地が狭い。寒冷地だからこそ穫れる作物もあるが、それほど量が取れるわけでもない。そういった事情から、ブラスカは他の産業を伸ばす事が国益に繋がると考え、産業政策を推進していた。


このブラスカの治世後期、ある戦で灼竜国は竜を失う事となる。前竜の主は運よく生き延びたが、再び戦場には出られぬ体となり、彼を守ろうとした竜が代わりに命を落とした。竜は死の間際に一卵を遺す。前の灼竜も卵のみを遺し、塵となった。竜卵は王宮に運ばれ、卵が次の主を見つけるまで安置される。


次の竜は今か今かと国中が待っていたが、なかなか次竜が生まれてこない。大抵は、数年で次の竜が生まれてくるが、三年たっても、四年たっても生まれてこない。そうしているうちに、竜を失ってしばらくは持ち堪えていた国も、影に覆われつつあった。


そんな中、彼のひとり息子であるナフシスは一人前の騎士として成長していた。備えていた天賦の才は今や大輪の花を咲かせ、二十歳を過ぎる頃には一軍を率いて戦に出るまでになっていた。竜がいないと見て攻めてくる敵軍を追い返し、戦に出るたびに新たな勲章が増えてゆく。若年の騎士達の中でも目覚ましい功績を挙げており、「次の竜の主はナフシスなのでは?」という噂が流れ始めていた。


サバストにとっては自分の息子である。そういった声などまるで聞こえていないかのように振る舞ってはいたが、内心では彼もそのように思う時があった。シュロ―家は武官の筆頭として、代々この国に仕えてきた家系である。当然、多くの将や騎士を配下に抱え、サバストも数々の戦を経験した。そのサバストをもってしても、ナフシスの才能には舌をまくほどであった。


もちろん、それは息子を愛する親心が混じっていたのだと言われれば、否定はできないかもしれない。しかし、サバストは次第に、次竜が選ぶのはナフシスになるだろう、と真剣に考えるようになっていた。


ナフシスが次竜の主として選ばれるのならば、光栄な事である。文官ならば、戦を嫌う者もあろうが、シュロー家は国を守る事を使命としてきた武門。誇らしく思えど、嫌がるわけもない。


しかし、問題は時期である。この時、既に前竜を失って八年が経とうとしていた。国は魔素に覆われ、竜の不在を好機と魔族共が攻めてくる。貧しさゆえに犯罪は増え、ひもじさに耐えかねて我が子を殺す者もいた。


竜の必要は切迫していたのだ。税で食っている貴族達の中には、見て見ぬふりをする者も、まるで気づいていない間抜けもいたが、サバストは違った。戦の生き帰りの山道で時折見かけるものがある。首を吊った死体である。山中の木で首を吊って死んでいる死体を見かけるたびに、国が弱っている事をひしひしと感じた。その死体が年々増えている事に気づかないではいられなかった。


 竜は資格ある者を主と定め、生まれてくるという。誰を選ぶのか、いかなる基準かなど、竜にしか分からない。しかし、ナフシスが真にその座に相応しいのなら、少しでも早く選ばれなければならない。サバストは決断した。ナフシスに代を譲り、自らはそれを助ける。竜の誕生がそれで一日でも早まるのなら、その分、死ぬ者も少なくなる――サバストはそう考えたのだ。




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