そこにあった幸せ

おーるぼん

そこにあった幸せ

これは私がまだ歩み続ける人生の中に、夢も希望も持ち合わせていた頃に就いた仕事のお話です。


当時、私は勢いのまま上京したは良いものの、何をするわけでもなく、ただただフリーターとして生計を立てていました。


そんな折、やっと出来た知り合いに紹介されて入ったのは、所謂『隙間産業』をしている会社でした。


そこに私は派遣社員のような形で入社しました。

それがどんなものであるのかも知らぬまま。


なんと、その会社はクリーニング業者を謳っていながら、実際は建築現場での作業を主とする企業だったのです。(後で知りましたが、建築現場でのクリーニング業だったので嘘ではないそうです。お恥ずかしい。)


ただ、それ自体は時が流れるにつれて気にならなくなっていたのですが、同時に建築現場について少し、詳しくなった私はある違和感を覚えました。


どうも私達の所属する会社の建築現場での立場は、とても低いものであるようなのです。


そう思った理由は沢山あります。

その中で最も印象に残ったものと言えばやはり、『先輩方はどんなにベテランでも他職種の方に対して敬語を使いますが、逆に他職種の方の殆どは私達の会社の人間がどんな者であろうとも友達口調を使っていた』というものが挙げられるでしょう。


気になった私はそれとなく同僚に質問してみました。

すると分かったのです。私のしている仕事は『その中の最下層』であるという事が。


確かにあまり良い表現ではありませんが、私が聞いた単語も、皆が口を揃えて私に告げる言葉も、全てが〝それ〟でありましたので、そのまま使わせていただこうかと思います。


話を戻しましょう。

言われてみれば確かに私達の給料は低く(『そうでない方々』は大体日給にして一万〜一万三、四千円くらいらしいですが、私達は八千円、貰っている方で八千五百円程度でした。)、作業内容の殆どが雑用ばかりでしたので、私はそれを聞き、割にすんなりとその事実を受け入れる事が出来ました。


それに、実を言うとその事は会社の同僚達の雰囲気で、なんとなくですがある程度察してはいました。


少しオブラートに包んだ言い方をしますと、『大変強烈な方々』でしたから。


ある方は所謂『ギャンブル狂』で月に得た給料の大半をそれに使ってしまったり、(実際、この方は常に家賃すらも払えない状態でしたので会社がこの方の家賃を給料から天引きし、負担していました。ちなみに何故そうするのかと言うと、直接家賃をこの方に手渡すと全て使ってしまうからだそうです。)またある方は『本人的には冗談のつもりのただの嘘』が仕事に支障をきたす程のもので、それのせいで今までやってきた仕事を全てクビになっているなんて方もいました。


またそこまでとはいかずとも、少し奇妙なこだわり、癖を持つ方は沢山いました。


仕事中に抜け出し、草藪に隠れて時間を潰そうとする。新聞を何故か必ず逆さまにして持ち、ひたすらに読み続ける。恐ろしい程に仕事が遅い。(一部屋の掃除に、丸一日掛かっていました。通常なら長くても一、二時間程で終えられる程度の部屋でです。)「あの現場には行きたくない」とほぼ全ての場所に対してそう言い、結局常に休んでいる。その逆のような感じで仕事はしないし事務でもない私と同じ派遣社員なのに、何故か常に事務所にいる。等々、数え上げたらきりがありません。


しかし、その中には勿論、『通常の社会人なら有り得ない事』が含まれているのはお分かりになると思います。これもあって私は〝あの事実〟をすぐに受け入れられたのです。


そのような者ばかりで構成されている我が社でしたが、どうやら会社は潤っていたようです。


何せ建築業は慢性的な人手不足に悩まされている所が多いのですから、それがどんな人材だったとしても割に簡単に人を現場へと入れる事が出来たのです。


それに、ただでさえ雑用などやりたがる人は少ないらしく、客先としては自らの手足として動かせる人間をむしろ望んで欲しがっていたのです。もう一度言いますが、どれがどんな人材だったとしてもです。(『隙間産業』といったのはこれが理由ですね。)


ですので仕事も途切れる事はなく、私達はそれなりに忙しくしていました……毎日といっても過言ではないペースでクレームが来る中、どうやって皆が常に現場へと入れる程のセールスをしていたのかだけが疑問ですが。


そんな所にいてはすぐ辞めたくなったのではないか?

と、思った方もいるかもしれませんが、実はそうでもありませんでした。むしろ大変居心地が良く、あの中にいた当時の私はそれをとても素晴らしいものだと感じていました。


何を壊しても、何に失敗しても先輩方に習って無能を装い、そうなるのが当然だと周囲に見せつければ叱責される事すらもなく、地下、草藪、時には現場の外の居酒屋等に隠れ、皆と駄弁りながらそうするはずではない時間をそれによって浪費する毎日はまるで夢のようでした。


どの道、昇進、昇給などありませんし、例え現場を追い出されようと別の現場に行けば良いだけな話であったため、何をしようと、どうなろうと私達は自由を貫けたのです。


それに、会社はシフト制のようなものを採用しており、自身で好きに出勤する日にちを選ぶ事が出来ました。そのお陰で一月生きていけるだけの金額を懐に入れた後、ニ、三週間何もせずに過ごしたりした事もあります。


しかし、そんな楽しい日々にも終わりがやって来ました。


ある日、私はまだ顔を合わせた事がなかった〝とある方〟と共に仕事をする事になったのですが、その方が曲者だったのです。


その方こそが『本人的には冗談のつもりのただの嘘』を吐く方だったのですが、それに加えて自分よりも年下の者を猫可愛がりし、自分の派閥に入れるのがとても好きな方でもありました。


無論、私も彼の対象となる者であったため、私は彼からの猛烈なアプローチを受け、気が付けばその派閥へと入ってしまっていました。(直接的に言われたわけではありませんが、毎週飲みに誘われるようになり、同僚達から「お前もアイツの所に入ったんだな」と言われて気付いたのです。)


そして彼は会社の中での重鎮だったらしく、仕事まで彼と同じ現場になる事が殆どとなり、だんだんと私はそれが窮屈に感じてきました。


常に顔を合わせていて、その後必ず飲みに誘われるのですから流石に疲れてしまいます。その上全てが割前勘定であったためにどんどんと金銭の余裕がなくなってしまい、精神的な面で当時の私はかなり疲弊していました。


そんな折に、私はこの会社を紹介してくれた知り合いに呼び出され、叱責されました。


彼は私にいい加減他の仕事を探せと言うのです。聞けば、知り合いは私がここまで長くこの仕事を続けるとは思っていなかったようでした。


それもそのはず、彼はあくまでも他の仕事を見つけるまでの繋ぎとして、この場所を提供したつもりだったらしいのですから。


恐らく、そうしなかった私には、残念ながらあの場所への適性があったのでしょう。


まあそれはさておいて。

確かに、給料の面でもフリーター時代よりかはましな程度で、今現在面倒な事に巻き込まれていた私は彼の言う通り、そこを離れて新たな就職先を探す事にしました。


その後しばらくして就職先が見つかり、会社に別れの挨拶をした私でしたが、それでも尚会社に残れ、飲みにはちゃんと来いというあの人に嫌気がさし、一言もなしには失礼かなあと思いつつも着信拒否、会話アプリをブロックする等し、自らの手によって彼との関係を終わらせました。


ですが、その後彼は家までやって来た形跡があったり、何度も非通知、公衆電話等から電話をかけて来たりして少し、私は恐怖を覚えました。彼は人生で初めての私のストーカーとなったのです。


しかし、それのお陰で私は死に物狂いでお金を貯めて引っ越し、本当の意味で全てを終わらせる事が出来……また失礼だとは思いますが『あそこにはもう行くまい。〝あれ〟のようにはなるまい』と今も〝当たり前の日常〟を噛み締めて生きていられるので、今となってはあの時の経験に感謝しています。


あのまま歳を重ねて私もベテランと呼ばれる程になっていればもう……


『〝底〟にあった幸せ』

それから私は、抜け出す事は出来なかったのでしょうから。

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