後編
午後の講義をうとうと聞いていると、ユキちゃんが腕を引いてきた。その方向には、廊下を通り過ぎる長い髪の事務員さんの姿。
おかしいな、そっちに教室はないのに。
嫌な予感がして後をつけてみると、案の定、彼女は屋上の鍵を開けた。
「すみません」
フェンスに手と足をかけたタイミングで話しかけた。空気に当たりたいだけか、飛び降りる気なのか。
どうしても確かめる必要があったからだ。
「悩みがあるなら聞きますよ、僕、こう見えても探偵なんです」
「探偵……ですって!」
彼女は勢いよく柵から降りて、長い髪をふり乱して走ってきたと思うと僕の胸ぐらを掴んだ。ギラギラした目に殺気が宿っている。
「お前らみたいな仕事があるから! あたしは婚約破棄されたんだよ!」
「過去に、やっちゃいけない事を……?」
「ただの風俗だよ!」
黒髪ロングの清楚系には裏がある、という高校時代からの僕の偏見はなかなか払拭されず、今日また更新された。
「ちくしょう……親の借金のせいで……くそう……やっと、幸せになれると思ったのに」
手が伸びてきて、首を絞められた。
勢いよく地面に引き倒されて、乗っかられる。すごい力だ、振り払えない。
ぽたぽたと、涙が降ってくる。
「探偵、なんて、ひとのプライバシーに、ズカズカ乗り込んできて、金もらいやがって、最低、なんだよ! しねよ!」
目に見えるほどの憎悪と酸欠で、意識を飛ばしかけた瞬間、ふっと、体が楽になった。
そしてガシャアンという激しい金属音を響かせて、今の今まで上にいたはずの事務員さんは、フェンスに激突していた。
フェンスの金具がキュルキュルと回り外れていく。
「だ、ダメだ! ユキちゃん、やめて!」
<やだ>
金具が一つ飛んで、彼女の体が揺れる。もう一つも回る。
<ゆるさない>
すべての金具が飛び、衝撃で気絶したままの彼女の体が宙に投げ出されようとした時、自分でも信じられない程のスピードで体が動いた。
間一髪、手を掴むことが出来た。
細身でも大人の女性を持ち上げるのは困難だ。このままだと一緒に落ちてしまう。
「ユキ、ちゃん……手を貸して……」
<なんでその人を助けなきゃならないの>
冷たい声。
つないだ手を引き離すように、ギリギリと見えない圧力がかけられる。
「もうイヤだからだよ! 人が死ぬのは! 目の前でなんて絶対にごめんだ!」
まぶたに浮かんで消えない光景。決して忘れられない真夏の惨劇。
十人近く死んだ、高校三年の時の事件。
「一人でも苦しんでいる人を救いたい。それが生き残った僕の償いだと思うから、だから探偵になったんだ!」
力が抜けていく。
もう限界だ。
「お願い、助けて……」
彼女の体がグンと持ち上がり、屋上にベチャッと落とされた。ぎゃ! とうめき声がしたから、死んではいないようだ。
「……ありがとう……」
ユキちゃんが、じっと僕を見ている。
<死なないで>
「うん」
<どこにも行かないで>
「うん」
<誰のものにもならないで>
「それは無理かな」
冷たい手が首にかかる。
「だって僕は、ユキちゃんのものだから」
手が離れた。
透けるような白い肌をわずかに桃色にして、ユキちゃんは笑った。
できたらもう少し大きくなってくれたら嬉しいんだけどな。今のままだとロリコンになっちゃうし。
そう頭の中だけで思った。
翌日、鏡に映った自分の頭に白髪が十本ほど見つかった。
動揺して辺りを見回すと──
<こんなかんじ?>
ユキちゃんが、高校生ぐらいに育っていた。
美人になるとは思っていたけど、やっぱり綺麗だな。色白で小顔で形のいい唇をしていて、長いまつ毛に彩られた大きな目に、ツヤのある長い黒髪。
もしや裏が、あるかな。
僕は霊に取り憑かれているから。
毎晩悪夢を見て、料理は味がしない。いつも体温が三十四度台で、温泉でも温まれない。
きっと緩やかに、死に向かっているのだろう。
それも仕方がない。
本来なら数年前に死んでいる身なのだから。
殺人犯から身を守るために、ユキちゃんに願った。どうか助けてほしいと。だからこの命は僕のであって、僕のじゃない。
葉月ちゃんのお母さんの泣き顔が浮かぶ。
置いて行くうちの母さんには申し訳ないけど、避けられない運命なんだ。生きている内はできる限り親孝行するからね。
探偵なんて怪しい仕事を選んだ息子だから。
少しだけ覚悟をしていて欲しい。
死ぬのが怖くない訳では無いけれど。
寂しくはない。
だって、とびきり可愛いパートナーがそばに居てくれるのだから。
終わりの、その先まで、ずっと一緒。
心霊探偵は大学生〜少女の霊といっしょ〜 秋雨千尋 @akisamechihiro
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