第7話

「どうして? 俺、舞がいればそれでいい」



その言葉に舞は唇を引き結び、泣きそうな顔で青っちを見上げた。



青っちは昔の舞しか知らない。



だからここまで一緒にいたがるんだ。



でも昔の舞はもうどこにもいない。



自分の身の保身のために、英介や青っちを遠ざけることしかできない、卑怯な人間しか、ここにはいない。



「そんなこと言わないで。青っちだって世界を広げないと」



どの口がそんなことを言っているのだと、自分でおかしくなってしまう。



私は今手を差し伸べようとしてくれている人を、自分から突き放しているというのに。



「もしかして俺のこと迷惑?」



「迷惑なんかじゃないよ。でもさ……」



言葉を続けようとしたけれど、青っちが頬に触れてきたので続かなかった。



かすかな痛みを感じて顔をしかめる。



「どうしたのここ。少し赤いけど」



「き、気のせいじゃない?」



「そんなわけないよ。舞の頬が赤くなってる」



その声は大きくて、教室中に響いた。



瞬間、舞は自分の体温がスーッと下がっていくのを感じた。



あの3人組がこちらを睨みつけている。



他のクラスメートたちも青っちの声に反応してこちらのことに気にしている。



舞は勢いよく立ち上がると、青っちの手を握りしめて教室を出た。



とでも耐えられる空気じゃなかった。



とくにあの3人から感じる鋭い視線。



それは舞の体に突き刺さってくるように感じられた。



ひとの少ない廊下まで移動してきて、舞はようやく足を止めた。



全力で走ってきたせいで息が切れて額に汗が滲んでいる。



しかし青っちは涼しい顔で立っていた。



随分と体を鍛えているし、これくらいのことどうってことないんだろう。



けれどその目は心配そうに歪んで舞を見つめている。



「もう、私に構わないで」



舞は呼吸を整えて、そう言った。



「え? なに、聞こえなかった」



顔を寄せてくる青っち。



舞はとっさに視線をそらせた。



とても直視できそうにない。



「私に構わないでって言ったの!」



「なにそれ? どうして?」



青っちはまるで子供のように首を傾げ、せわしなくまばたきを繰り返す。



それは青っちが困ったときのクセだった。



小学校4年生の頃から変わっていないその仕草に、舞の胸が締め付けられる。



本当は昔みたいに戻れたらいいと思っている。



青っちを突き放すことなんてしたくない。



でも。



こうして一緒にいることで、青っち本人に危害が加わることもあるかもしれない。



いろいろなことを想定して考えれば、やっぱり舞と青っちは一緒にいない方がいいんだ。



胸が苦しくて言葉にできないでいると、青っちの唇が頬に近づいてきた。



なにするの!?



と、反発するより前に叩かれた頬にふぅと息を吹きかけられた。



青っちの温もりに言葉が消える。



「これでもう大丈夫だから」



そう言い、何度も息をふきかける。



その仕草に舞はまた小学校4年生の頃のことを思い出していた。



あれは学校から帰っている途中だった。



舞が友人たちと一緒に帰宅していると、前方でクラスメートが青っちを囲んでいたのだ。



嫌な予感がした舞はすぐに駆け寄った。



『あんたたち、なにしてんの!』



すると案の定、青っちはクラスメートたちの荷物をすべて1人で持たされていたのだ。



何度かころんだらしく、膝や手を擦りむいて血が滲んでいた。



それでも荷物を運ばせている男子たちに怒りが湧いてきた。



『あんたたち、自分の荷物も自分で持てないの!? それこそ男女だね! 青っちの方が断然男らしくて力持ちじゃん!』



舞がそう言うと、男子たちは当然反論した。



女が出てくるな。



ジャンケンで荷物持ちになったんだから仕方ないだろ。



出たな青っちの鬼嫁!



様々な罵倒を浴びせられても舞は引かなかった。



あまりにうるさい男子たちのランドセルをひとつひとつ川に投げ込んでやって、最後には泣きながら帰っていったのだ。



その後舞は怒られることになるのだけれど、その時ですら清々しい気分だった。



そして残された青っちを立ち上がらせると、傷のできた手のひらに向けて息をふきかけた。



『ふぅーふぅー。これでケガは治るからね』



『え、そうなの?』



青っちは涙をにじませた目で舞を見る。



『うん。おばあちゃんに教えてもらったおまじないだよ』



それを、今青っちが……。



舞は咄嗟に身を引いた。



息を吹きかけられた頬がやけい熱い。



心臓はドクドクと早鐘を打っていて、まともに青っちの顔を見ることができない。



「舞?」



心配そうに人の顔を覗き込んでくる青っち。



そういえば自分もあの頃、何度も青っちの顔を覗き込んでいたっけ。



「も、もう、小学生じゃないんだから」



舞は早口にそう言い、青っちを突き放したのだった。

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