第2話
☆☆☆
どうにか今日1日の授業を終えて、舞は1人で教室を出た。
あの3人組は帰り道にクレープ屋によるとかで、大声ではしゃぎながらすでに教室を出ていってしまっていた。
あの3人の顔を今日はもう見なくてすむと思うと心が軽くなる。
舞はこの時間になってようやく笑顔を見せることがでくるのだ。
かといって談笑しながら帰るような友人はいない。
舞はいつも1人で家までの2キロを歩いて帰る。
途中で友人たちの楽しそうに談笑しながら帰る生徒を見ると胸の奥がチクリと痛くなる。
けれど学校までの通学時間はまだマシだった。
舞のように1人で帰る生徒は珍しくないから。
舞にとって一番の苦痛の時間は休憩時間だ。
15分休憩ならトイレにこもっていればどうにかしのげる。
だけど昼休憩ともなるとそうも言っていられない。
30分も40分もトイレにこもっていることはさすがにできないし、それこそいい悪口の的にされてしまうだろう。
だから舞は毎日今日の昼休憩をどう過ごそうかと考えることで頭を悩ませるのだ。
梅雨時期でなければ中庭に出て読書ができるけれど、今の時期はそういうわけにも行かない。
自然と保健室や図書室などにいりびたることになってしまう。
だけどそういうことも長く続けらるわけではない。
保健室は先生がいなければ鍵がかけられているし、図書室も本の整理のために閉まっていることがある。
そうなると舞は完全に行き場をなくし、C組に戻ってこざるを得なくなる。
教室の真ん中の机に座って誰とも会話せずに、必死で文庫本を読み続ける。
その時間は拷問のようだ。
だからこの帰宅時間は舞にとって幸福とも呼べる時間だった。
自分のペースで自分の好きなように帰宅することができる。
もちろん帰ってからも自分の時間が続いていく。
次の朝がくるまで、舞が最も舞らしくいられる時間だ。
学校から2キロの距離にある集合住宅の前で舞はカバンから鍵を取り出した。
小学校1年生頃から鍵につけられているマスコット人形は、白い兎。
ただその色はすでに黒くなっていて耳は半分取れかけている。
また縫い付けておかないと。
そう思いながら玄関の鍵を開けて中に入る。
「ただいま」
と声をかけるが中から返事はない。
広めに取られている玄関を上がり、向かって右手がリビングダイニングになっている。
そこへ入って電気をつけると、熱いのに冷え冷えとした空気が漂っていた。
室内干しされている洗濯物を取り込んで、冷蔵庫の中身を確認する。
この前買い物にでかけたばかりだけれど、もう食材が少なくなってきている。
ザッと確認して今晩はカレーを作ろうと決めて冷蔵庫を閉めた。
舞の家は母子家庭なので、夕飯の準備は毎日舞が行う。
洗濯物も、乾いていれば舞が取り込んでたたむ。
小学生の頃は不得意だった掃除も、何年もやっていればさすがに慣れてきた。
周囲の人たちは舞のことを見て勝手に可哀想とか、大変だねとか声をかけてくるけれど、父親がいないことを不自由に感じたことはなかった。
父親は舞が生まれる前に病死してしまっているし、父親がいる生活というもののほうが正直ピンとこない。
母親が再婚でもすれば、話は別だけれど。
家事を済ませて脱衣所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。
梅雨が開ければ冷房を付けれるけれど、今はもう少し我慢だ。
そんな中でガスを使うからすっかり汗が流れてきてしまった。
顔を洗ったついでにお風呂に入ろうと湯船にお湯を貯めていく。
どんどんたまっていくお湯を見つめていると、自分の顔がぐにゃりと歪んで写っていた。
今自分はどんな顔をしているだろう?
うまく笑えているだろうか?
わざとらしく満面の笑みを浮かべてみたけれど、お湯にうつった顔はぐにゃぐにゃゆがむばかりで、よくわからなかったのだった。
☆☆☆
翌日も、舞は暗い気分で学校へと向かっていた。
カバンの中には母親が作ってくれたお弁当が入っている。
このお弁当もきっと、友人たちと食べればもっと美味しいんだろう。
そんなの、今の枚にとっては夢のまた夢だけれど。
今日はどんなラクガキをされているだろう。
教室の前までくると自然と足がすくんでしまう。
ここのところ机のラクガキは毎日だから、教室の前までくると動悸が激しくなってくる。
緊張して手のひらに汗が滲んでくる。
それでも入らないわけにはいかなくて、舞は勢いをつけて教室の戸を開いた。
ガラッと音がしても、誰も舞には注目しない。
舞は安堵しつつ自分の席へと向かう。
あれ?
ここ最近されていたラクガキがなくて、一瞬驚き、足を止める。
他になにかされたことがあるんじゃないかと軽快して、机の中も覗き込んだ。
しかしやはりなにもされていないようだ。
なにもされていなことを喜ぶべきなのに、素直に喜べない。
どうして今日はなにもされていないんだろう。
まさか、もっと他のことを企んでいるんじゃないんだろうか?
すっかり3人組への信用を失っている舞は次から次へと不安が浮かんでくるばかりだ。
恐る恐る席に座ってカバンの中身を出していると、あの3人組の笑い声が聞こえてきてビクリと体を震わせた。
視線を向けると、3人はなにかの話で盛り上がっているようで、舞には目もくれていない。
一体なにがあったんだろう?
その疑問を解消するように英介が近づいてきた。
「今日、転校生が来るらしいよ」
女子のように高い声でそう言われ、舞はまばたきをした。
「転校生?」
「そう。なんでも男子らしくて、それで朝から盛り上がってる」
そういうことか。
高校で転校してくるなんて珍しい上に男子ということで、あの3人組は注目しているようだ。
「それで、今日はラクガキなしってこと?」
舞はできるだけ小さな声で聞いた。
英介には悪いけれど、あまり会話をしているとそれをネタにされかねないのだ。
「そうみたいだ」
英介は舞と会話ができて嬉しいのか、頬が赤くなっている。
「そう」
舞は頷いてすぐに英介から視線を外した。
これ以上会話を続けていて英介に勘違いされても困る。
すぐに会話を打ち切った舞に名残惜しそうな視線を向けつつ、英介は自分の席へと戻ったのだった。
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