いつかキミが消えたとしても

西羽咲 花月

第1話

梅雨に入ってすぐの教室内はジメジメと肌に張り付く湿気がうっとおしく、雨に濡れたコンクリートの匂いがムッとして鼻腔を刺激する。



登校してきた橋本舞(ハシモト マイ)は2年C組のクラスに入った途端周囲のクラスメートたちが無言になるのを感じて視線を向けた。



舞から視線をそらす生徒がほとんどだったが、3人組の女子たちは舞と視線を合わせ、そして口角をあげて笑った。



その笑いには人を見下す色が含まれていて、舞は慌てて顔を伏せた。



3人組の笑みを見ていると胸の奥から気分が悪くなってくる。



極力3人組へ顔を向けないよう、教室中央にある自分の席へと足をすすめる。



その間に教室内の雰囲気は登校前まで戻り、あちこちで談笑が聞こえていた。



その雑音にホッと安堵しながら自分の席の前まで来た舞は思わず足を止めていた。



そのまま動けずに、数秒間呆然と立ち尽くす。



その後ハッと我に帰ってカバンを机の横のフックにかけた。



「なにボーッとしてるの?」



声をかけてきたのはあの3人組だ。



一番背の高い佐野恵美(サノ エミ)が笑みを貼り付けて舞に質問した。



舞は答えられない上、3人と至近距離で目を見交わすことすらできない。



「あれ、これどうしたのぉ?」



わざとらしい声でそう言ったのは3人の中では一番背の低い星野淳子(ホシノ ジュンコ)だった。



淳子はゆるく巻いた髪の毛をツインテールにしていて、まるでアニメの中から出てきたような雰囲気だ。



「本当だ。大丈夫?」



くすくすと笑いながら淳子の言葉に反応したのは大下愛(オオシタ アイ)。



愛はショートカットでボーイッシュなイメージの生徒だ。



この3人はいつでも一緒にいる。



「ねぇ、聞いてる?」



恵美が高い背を曲げて舞に質問する。



舞は恵美の視線から逃れるように視線を外して、自分の机を見つめた。



茶色い木目の上に黒いマジックでラクガキがされている。



バカとかアホとか、小学生レベルのイタズラだ。



「大丈夫だよ……」



舞は恵美の視線に耐えきれずに震える声でそう返事をした。



これを書いた犯人が恵美たちであると、見た瞬間からわかっていた。



自分たちでラクガキをしておいてわざと声をかけて来ているのだ。



舞はうつむいて下唇を噛み締めた。



わかっているのに何も言えない自分が情けない。



高校2年生にもなってこんな風に黙り込むことしかできないなんて。



「でもこれって本当のことしか書かれてないし、仕方ないよねぇ?」



淳子が楽しげな声で言うと、愛が同意するように大きな声で笑う。



恵美はジッと舞の反応を伺って、その顔には笑みが張り付いていた。



舞は苦笑いを浮かべて自分の足で雑巾を取りに行った。



犯人は目の前にいるのになにもできない。



笑われていることしかできない。



情けなさや悲しさ、悔しさが一つになって心の奥から襲いかかってくる。



廊下の水道で雑巾を濡らしていると隣に男子生徒が立った。



少し顔を斜めにして確認してみると、同じクラスの堀英介(ホリ エイスケ)だとわかった。



英介はクラスで一番背の小さな男子で、ちょこちょこと動き回ることでみんなからマウスと呼ばれている。



正直、一緒にいたくないタイプだった。



自分がイジメられていなければいいのだけれど、標的にされているから英介と一緒にいるとなにかと目立ってしまう。



舞は手早く雑巾を絞って英介に背を向ける。



そのとき「大丈夫?」と、蚊の鳴くような声をかけられて一瞬動きを止める。



見ると英介が心配そうな表情をこちらへ向けていた。



英介は舞よりも先に教室へ来ていたようだから、3人組が舞の机にラクガキしているところも目撃しているのかもしれない。



そんなことを考えながらも、舞は軽く左右に首を振って見せてそのまま教室へ戻ったのだった。


☆☆☆


1人で机を拭いている間も3人組の話し声が聞こえてきていた。



「誰も助けてくれないじゃん」



「仕方ないよ、あいつ友達いないし」



「それって悲惨」



誰のことと名指しをするわけじゃない。



だけど教室中に、特に舞に聞こえるように噂をする。



そして舞が視線を3人組へ向けると3人は何事もなかったかのように会話を止める。



または、3人同時に舞を睨みつけるのだ。



まるで舞が悪者だとでも言うように。



それがわかっているから、舞はなにも言わずにただ自分の机だけを見つめてラクガキを消していたのだった。



舞が3人組に目を付けられたのは2年生に上がってからだった。



舞はいままでと同じように変わらず毎日学校へ来ていただけだった。



だけどどこかで3人組の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろう。



気がつけばあの3人の標的になっていたのだ。



最初は陰口から始まり、それが机のラクガキになり、そして今は堂々と悪口を言われるようになった。



不幸だったのは3人組がC組内では中心的な人物だったことだ。



3人に目をつけられた舞を見て、友人たちはすぐに去っていってしまった。



いじめられっ子と仲良くすれば、自分の立場を危うくなる。



昔から言われているそれを信じていなくなった。



舞がひとりぼっちになってからはあの3人組はまさに無法地帯だった。



陰口は過激になり、あることないこと噂を流されるようになった。



時々上靴を隠されたり、教科書を破かれることもある。



そういうときは決まって3人のうち誰かの機嫌が悪くして、舞に八つ当たりをしているときだ。



今日はラクガキでとどまっているから、きっと3人組の機嫌は悪くないんだろう。



そんなこと理解できたって、なんの特にもならないけれど。



舞は1人自嘲気味に笑ったのだった。

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