SEQ1――琥珀との邂逅――5/5

「今日はありがとうございました」


 稲田インダストリー本社地下の車庫にシビックを駐車し、陽子を社長室まで送る道すがら、彼女が頭を深々と下げて感謝を伝えてきた。

 育ちのよさが出ているこの所作だが、やられる方は居心地が悪い。


「そ、そんなにかしこまるなよ」

「う、うん」


 顔を上げた陽子とエレベーターを待っていると、陽子の携帯が鳴った。


「うん……うん……」

「どうした?」

「お父さん、急用が出来たんだって」

「車も貸してもらったし、一言挨拶しておきたかったな」

「気にしなくていいって言ってたよ」

「陽子はこの後、どうするんだ?」

「運転手さんが、正面玄関の方に車を回してくれてるって」

「それなら、大丈夫そうだな」


 エレベーターで地下から地上階に上がる。社員の人と擦れ違いながら、自動ドアの方へ向かう。

 ガラス張りの自動ドア、その向こうのロータリーには黒いセンチュリーが停車していた。


「陽子」


 車に乗り込んだ陽子に声を掛ける。


「ごめんな。ロケーションのいいコースを巡れたワケでもなくてさ」

「ううん。すごく楽しかった」

「そう言ってくれると、助かるよ」


 後部座席から顔を覗かせる陽子は、その頬を赤く染めていた。

 それに気付いた俺も――釣られて赤くなっている事だろう。


 顔を逸らして横目で彼女を窺うと、満足げに目を細めていた。


「けーちゃん、またね」


 運転手が急かしたようで、陽子は名残惜しそうに言った。


「ああ、またな」


 あまり気の利いたセリフも言えないまま、センチュリーはロータリーを出ていった。


(さてと……)


 俺は気を引き締めるように目つきを鋭くした。ショルダーホルスターのストームを服の上から確認する。





 生徒寮のマンションに帰ってきた。わざと大回りをして。


 部屋の鍵を開けようとすると、鍵穴に新しい傷が付いていた。

 普段なら見逃したかもしれないが、散々警戒させられたんだ。見つけてしまうさ。


 ドアを開けて、靴も脱がずに廊下を進む。その時、玄関に増えていた靴を確認済みだ。


「遅かったわね」


 リビングへ繋がるドアのノブを握った時、内側から声がした。

 幼さを感じさせる甘い声。予感は当たったな。


「随分なご挨拶だね? 泥棒ちゃん」


 リビングのソファーに、どっかりと腰を深く下ろしていたのはライラだった。足まで組んで、くつろいでやがる。


「泥棒じゃないわよ」

「じゃあ、不法侵入者」

「靴、脱いだら? 日本じゃそうするんでしょ?」

「君が出ていったらな」

「あたし、出ていかないわよ。いろいろと言いたい事があるもの」

「……それで、ヘタな尾行やってたワケか」


 俺が陽子を待っていた時から、ずっと誰かに見張られていた。

 車に乗ってからは、赤いマツダ・ロードスターが追っかけてきていたしな。


「あんな目立つ色の車に乗っといて、気付くなって方がムリだぞ」

「しょうがないでしょ。だって、情報を買う先も無かったし……」


 ライラは、ふんっ! という具合にそっぽを向いた。


「それよりも、その見下した態度は何のつもり?」

「それはこっちのセリフだ。侵入者にデカい顔をされる筋合いは無い。それに……」

「それに、何よ?」

「君は中学生だろ?」


 そっぽを向いたままのライラの雰囲気が変わった。

 ……ああ、なるほど。年齢は関係ないっていうタイプか。たまにいるんだよな。いや、俺も年齢で能力が変わるとは思わないが、一応の礼儀としてだな……


「今、何て言ったの?」

「分かった、悪かった。年下だからってあなどった事は謝るよ。確かに、君は強かった――」


 物理的にも精神的にも、女子を傷つけるのは趣味じゃない。なので、先に謝ろうとしたんだが――


「あんた、何歳?」

「歳? 16だが……」

「そう。あたしは何歳だと思う?」

「は……?」

「あたしはね! もう17歳なのよ!」


 破裂はれつ音にすら似た音を立てて、ライラがソファーの上に立った。

 対する俺は、どすんと尻もちをついしまう。


 と、年上……⁉︎ 予想外だ……っ!

 小柄な女性を見た事ないワケじゃない。先輩にも、身長150㎝に届いてない人がいた。だが、ライラの顔はそれにしちゃ童顔すぎる。それに――


「いや、だって――」


 ガゥンッ――ドスッ!


 尻もちをついた俺の、その足下に穴が空いた。ライラがソーコムで撃ったのだ。


「なに? 何が言いたいの?」


 ゾッとするほど冷たい目で、ソファーの上から俺を見下ろすライラ。光を失い、据わった瞳は、彼女の童顔と合わさる事で言いようもない不気味さがある。怖っ!


「そういえば……あんた、蜂の巣が楽しみだって言ってたわよねぇ?」

「ま、待ってくれ! 先輩! だって、バッジを付けてないじゃないですか!」


 特武コース生バッジ。それは俺の左襟にもある金色のアレ。

 研宮学園は中高一貫校のため、中学生と高校生を区別できるように、高校生は左襟の穴フラワーホールにバッジを付ける校則がある。また、そのバッジはコースごとに違っており、特武コースであれば拳銃が描かれている。

 そのバッジが、ライラの制服には付いていない。俺はそこから、彼女が仮免を持った中学生だと判断したのだが……


「そ、それは……人は誰でもミスするものよ!」


 さては忘れてたな? という俺のジト目が気に入らなかったらしく――


 ガゥンッ!


 また発砲しやがった。今度は、壁のちょうどカレンダーを掛けてある所が撃たれた。

 ていうか、人がミスするっつうんなら、俺の勘違いミステイクも許してくれませんかね?


「いいわ! あんたの間違いを、半分は自業自得じごうじとくとして許してあげる」


 抗議の意思が伝わったようだ。


「それと、もう1つ訂正よ」

「……?」

「あたしは高2。あんたとは、同級生になるわ」


 ライラが銃口で指したのは、さっき撃たれたカレンダー。

 それを見てみると、4月6日の欄が綺麗に撃ち抜かれていた。


「……!」


 逡巡しゅんじゅんして、気付く。


「今日、誕生日だったのか」


 スゴイ芸当なんだけど、今年はカレンダーに穴が開いた状態で過ごさないといけなくなったな。


「そういうこと。あたし、さとい子は好きよ」


 にこりと微笑んだライラはソーコムを回しガンスピンして、レッグホルスターに戻した。その時、抜銃しやすくするために短くしている彼女のスカートが、少しめくれて……それに目を奪われかけた。


 ……イヤになるぜ。高校に上がってから、こういうのが増えた。

 前は、別に興味なんてかなかったのに。最近じゃ、女子のちょっとした動作を目で追ってしまう。

 イケナイ事なんだが……実は観察眼が鍛えられたりとメリットもあって……


「あら? 子供扱いしてくれた・・・・・割には……」


 イヤミっぽい言い方をしながら、ライラはスカートの端を正した。若干、顔を赤く染めて。

 ああ、もう。やめてくれよ。

 思わず――カワイイと思ってしまったじゃねーか。


「それで、何の用だ?」


 いつまでも床に座っているワケにもいかないので、立ち上がってそう訊く。


「提案があるの。でも、その前に……靴、脱いできたら? 掃除も必要でしょ?」


 こ、コイツ……ッ。

 誰のせいで、土足で自分の部屋に上がったと思ってるんだッ。


 廊下の掃除ぐらいさせようかと思ったが、ライラに銃を向けられて泣く泣く雑巾を手に取った。

 で、廊下に付いた自分の足跡を綺麗に拭き取って、リビングに戻ると――ライラが冷蔵庫を物色していた。


「何してるんだ?」

「この家にコーヒーはないの?」

「嫌いなんだよ、コーヒー」

「だからミルクしかないのね」

「てか、話があるんだろ?」


 俺がテーブルにつくと、ライラも渋々といった表情で対面に座った。


(朝はそこに陽子が座ってたなぁ)


 そんな事を考えていると、ライラは居住まいを正した。釣られて俺も背筋を伸ばす。


「改めて、ライラ・メアリー・サカキバラよ」

「花村景介だ。……日系人だったんだな」


 通りで日本語が上手いハズだぜ。


「違うわ。あたしは純ヨーロピアンよ。養父と養母が日本人なの」

「わ、悪い」


 今の話題は、話したくない事だっただろう。

 学生のうちから特武になるヤツには、複雑な家庭環境を抱えているのが少なくない。育児放棄ネグレクト虐待DVから逃れて、自立するために武力と職を得ようとするのだ。

 だから、特武同士は過去の詮索をあまりしない。


「気にしなくていいわ。フランスの両親とは、本当の親子以上に仲がいいんだから!」


 ちょっと、というか、かなり嬉しそうに里親の事を話すライラ。在仏日系人に引き取られて、今は日本に留学って……ややこしいな。


「話が逸れたわね。ケイスケ。あんたに提案したいのは――」


 すっと立ち上がったライラが――琥珀色のツーサイドアップを窓から入る夕日に輝かせて――俺に告げたのは、おそらく俺が最も聞きたくなかった言葉だった。


「――あたしの相棒バディになりなさい」


 聖母かと見紛みまがうほどの、神々しささえ感じさせる微笑み。

 とても、美しい……そう思った。


 しかしな、ライラ。


 どんなにいい笑顔でも――その言葉は俺に取って禁句タブーなんだ……ッ!

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