SEQ1――琥珀との邂逅――1/5

SEQシークエンス1――琥珀との邂逅アンバー・チャンス――


 窓から差し込む、柔らかな朝の日差し……ん? 俺、寝室のカーテン開けてたか?

 寝ぼけたままに目も開けずにいると、誰かに体を揺すられた。


「けーちゃん、もう朝だよ……もう! けーちゃんってば!」


 俺――花村景介はなむらけいすけの事をそんな風に呼ぶのは、3人しかいない。

 1人は、ばあちゃん。もう1人は、俺が中学に上がる前に死んでしまった母さん。

 残る最後の1人は――


「おはよう、陽子ようこ

「うん! おはよう、けーちゃん」


 睫毛まつげの長い目を細め、にっこりと笑みを浮かべた黒髪の女の子。俺の幼なじみの稲田陽子いなだようこだ。

 黒いブレザーに、黒いスカートという制服姿。それも一切着崩してない。今時珍しい、一目でわかる優等生だ。


春眠しゅんみんあかつきを覚えず。もう少し寝かせてくれ」


 時計は6時30分を指している。いつもより早い起床だ。


「早起きは三文さんもんの徳、だよ」


 陽子が膝を曲げて、こちらをのぞき込んだ。彼女の髪は、ツヤツヤとしていて腰まで届く。その毛先が、頬をくすぐってくる。


「じゃあ、その分払うから……」

「朝ごはん作っちゃってるの! 冷めちゃうから、おーきーてー」


 陽子がたまりりかねた様子で、俺を布団から引きずり出そうとする。仕方ないので、自ら布団をめくってベッドから降りる。


「やっと起きた」

「……朝は弱いんだ」

「知ってるよー」

「……昨日の仕事で疲れてる」

「お仕事、おつかれ様です」


 なんだか、ふわふわと思考がまとまらない。まだ寝ぼけているようだ。


「わっ……ひどい寝汗。シャワー浴びる?」


 陽子はわざわざ身をかがめ、上目遣いで不安そうに覗いてくる。


「先に朝飯をもらうよ。待たせたみたいだし」

「わたしはもう済ませたから、気にしなくていいよ?」


 そうは言いつつ、料理を冷ましたくなかったらしい。その顔がぱっと明るくなった。

 というか、女子が部屋にいる状態でシャワー浴びるとか……できないだろ。





 リビングのテーブルには、トースト、スクランブルエッグとサラダ、そして牛乳が置いてあった。


「けーちゃん、朝はあんまり食べてくれないから……少なめにしたの」

「ありがとう。ちょうどいい量だよ」


 これは本音だ。朝はどうしても、食事がめんどくさく感じてしまう。


「食べて、食べて」


 そう急かされたので、トーストにバターを塗ってかじる。サクッと香ばしいが、焼きすぎてない。まあ、よっぽどヘマをしなければ、トーストを作るのに失敗はしないだろう。

 本命は、スクランブルエッグだ。

 陽子の作るスクランブルエッグは絶品。一流ホテルのシェフも顔負けの、ふわとろ食感である。これをシンプルにケチャップで食べる。トーストに乗せても美味い。


「どう? 上手にできてる?」


 対面に座る陽子が、若干身を乗り出してく。


「相変わらず、美味しいよ」

「ホント? 良かったー」


 ホッと胸を撫で下ろした様子だが、そんなに心配しなくていいだろうに。


「けーちゃん」

「ん?」


 もそもそと朝飯を堪能していると、申し訳なさそうに陽子が切り出した。


「学校、一緒に行けないの」

「いつもの事だろ」

「だって、今日は始業式でしょ? せっかく、けーちゃんも第一学舎なのに……」


 俺と陽子は同じ高校――私立研宮とみや学園――に通っているが、その校舎の場所が違う。だから普段、学校で会う事は無い。通学路も別だ。俺は自転車チャリだが、陽子は車で送り迎えしてもらっている。

 しかし年に数回、例えば始業式などでは、同じ学校に通う全員が第一学舎に集まる。


「生徒会の仕事があって……みんなより早く行かなきゃならないの」

「じゃあ、もう行った方がいいんじゃないか?」

「うん。そろそろ行かなきゃ」


 モジモジ……

 何を迷っているのか、決心つかないってカンジだな。


「どうかしたか?」

「その……久しぶりに、ハグ……したいな」


 ハグ……か……


「そ、それは子供の時にしてたやつだろっ」


 俺はもう、朝食を食べ終わっていた。食事を理由に逃げられない。陽子め、タイミングを計ってたな?


「ハグしてくれなきゃ、学校行かない!」


 これは、陽子の数少ない困ったとこだ。まさに玉にきずそのもの。


「しょうがねーな……」


 陽子は昔から、たまにこうなる。


(絶対、俺の両親のせいだよな……)


 出かけるたび、父さんにハグをせがんでいた母さんを思い出す。陽子もその様子をよく目にしていた。

 のっそりと立ち上がって、期待の色を浮かべた陽子に近づく。彼女はすでに準備万端だ。

 ――とその時、名案が浮かんだ。


「そうだ、陽子。俺、汗かいてるから。ほら、制服が汚れるからさ――」

「えいっ!」


 有無を言わさぬ抱きつきである。同時に、サボン石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。陽子の身長はおよそ160㎝ちょっと。170㎝の俺と抱き合うと、彼女の横髪に鼻が埋まる。

 問題は香りだけじゃない。ブレザーのせいで分かりにくいが、陽子の胸は――大きい。具体的な数値は不明。知ってしまったら、後戻りできないような気がする。

 人肌の柔らかさの前にある制服と下着の硬さが、妙に現実リアル感を増大させている――って、そんな冷静に分析してる場合か! こちとら、健康な高校生男子。いくら幼なじみとはいえ、可愛い女子と抱き合っていたら……


「陽子、もういいか?」

「ダメ……もうちょっとだけ――」

「いや、ここまでだ」


 俺はそっと陽子の肩を押して、体を離す。


「イヤだった?」

「そうじゃないよ」

「じゃあ、どうして?」

「時間が迫ってる」


 俺が壁時計を指さすと、陽子は左手につけた腕時計を確認した。タッチスクリーン式のそれは、陽子の親が社長をしている会社で作られたもの。いわゆるスマートウォッチだ。


 稲田インダストリー。稲田家の分家が建てた国産軍事会社。今は、陽子の父親が二代目の社長をしている。

 そう、陽子は社長令嬢なのだ。

 俺みたいな男が、なぜお嬢様の陽子と幼なじみなのか。その理由は簡単。親戚ぐるみで繋がりがあったからである。


「そろそろ行くね」


 陽子はさびしそうに、玄関の方へ向かう。その後を追って、見送りに行く。


「朝飯、ありがとな」

「うん」


 玄関のドアを開こうとする陽子。顔はうつむいていて、表情をうかがえない。


「……放課後、遊ぶか?」


 あんまり良くねーな……こういうのは。

 陽子は、俺みたいな出来損ないと一緒にいるべきじゃない。


「いいの?」

「お前が良ければな」


 それでも、曇った顔を晴れさせる方法は分かってしまう。分かってしまったら、実行せずにはいられない。


「うん! 勿論もちろんいいよ!」


 顔を上げた彼女は、にぱぁーと笑顔になっていた。


「じゃあ、気を付けて」

「けーちゃんもね。最近、この辺りも物騒ぶっそうだし……けーちゃんの不調スランプも治ってないし……」


 再び顔を伏せてしまった陽子を急かし、マンションのエレベータまで連れていく。

 陽子の不安そうな様子を見ていると、こっちまで不安になってきた。





 陽子が黒塗りのトヨタ・センチュリーに乗るのを、外廊下から見届けて中に戻った。


 このマンションは私立研宮とみや学園の学生寮。俺の部屋は1人用だから狭い。広い部屋は、ほとんどが相部屋だ。

 陽子の去った部屋は、どこか淋しい。静けさを消すように、テレビのリモコンを手に取る。

 電源ボタンを押すと、画面の向こうでは、女性アナウンサーがよく通る声で原稿を読み上げていた。


昨日さくじつ、刃物を持った男が東京駅前に現れた事件。現行犯逮捕した特武とくぶには、賞賛の声が上がっています』


 特武。正式名称を『特別認定武装私人とくべつにんていぶそうしじん』といい、特武や武装人ぶそうにんと略される。

 特武は民間人という扱いを受けながらも、武装を許可された人間だ。さらには、一定範囲の捜査権と逮捕権すら持っている。


(ホント、物騒になったもんだぜ)


 心の中で悪態あくたいをつく。海外と比べたらまだ治安がいいとはいえ、5年ぐらい前の日本はもっと安全だった。それこそ、特武に頼らなくてもいいほどに。


 テレビをけたままにして、シャワーを浴び、制服に着替える。


 シンプルな黒色のズボン、胸ポケットにワッペンの付いたブレザー。ワッペン自体は、陽子のものにも付いている。だが、その色が違う。

 第一学舎に通う者は深緑ふかみどり色、第二学舎に通う者は臙脂えんじ色だ。これはネクタイやリボンも同じ。うちの学校は、こうやって生徒を区別しているのだ。

 ボタンを留めた俺はさらに、金色のバッジをブレザーの左襟の穴フラワーホールに付ける。


 そして、またリビングへ行き、テレビラックに併設してある鍵付き棚の引き出しを開けた。

 そこには、リボルバー・オートマチックを問わずいくつかの拳銃がある。全部、姉さんが祝い事のたびに送ってきたモノだ。


 その中から俺が手に取ったのは、ベレッタ・Px4ストーム。ベレッタ社特有の上部を切り開いたデザインをはいした事で、強度が向上した自動拳銃だ。

 ポリマーフレームが採用されているから、軽くて丈夫で錆にも強い。グリップは使う人間の手に合わせたサイズに変更でき、銃弾も9㎜パラベラムルガー弾なら18発装填できる。

 俺は、コイツを『ストーム』って呼んでいる。ホントはシリーズ名だが、こっちの方が呼びやすいからな。


 そのマットブラックの銃を、ブレザーで隠したショルダーホルスターにしまう。

 ストームの横に置いてあった折り畳みジャックナイフも、右ポケットにしまった。これで、武装完了。

 最後に、特武免許証を入れたカードケースを胸ポケットに入れる。


 携帯で確認すれば、まだ8時にもなってない。最寄りの新木場駅から、第一学舎の最寄りである目黒駅まで大体40分。今から出れば、十分間に合う。


(特武は、帯銃たいじゅうだって許される。それゆえに、責任も重い)


 エレベーターに乗って、俺の部屋がある5階から1階のエントランスまで降りる。

 備え付けの鏡に映る俺は無気力で、少し長めの前髪からのぞく目つきには鋭さの欠片かけらも無い。


(どれもこれも、花村家が悪いんだ。戦ってばかりの花村家が)


 古くから続く武門の一家。花村家はその1つだ。代々、武力で物事を解決してきた……血にまみれた歴史がある。

 稲田家とは、その歴史のどこかで繋がりを持った。花村の人間が稲田の財を守り、稲田は花村を資金的に援助する。そうやって支え合ってきたのだ。


(結局、俺もその運命から逃れられなかった)


 そうだ。だから、あの人は――死んでしまったのだ。

 俺なんかが、係わってしまったから……

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