♦新人メイド・マナちゃんの耽溺


『ふふふ……。

 今回は見逃してあげる。

 でも、また迎えにくるから、待っていてね?』


テンにつかまり、路地裏での談合後、結局あの後彼女はマナに手を出すことなくその場を退散した。

その後は、救援にために訪れた同僚メイドが到着し、無事メイドサンカンパニーへと帰還。

いくつかの検査の後、本当に問題がなかったのか、あの時何が起きたのか。

そもそも本当にあれは事実なのかを、何度も尋問あるいは記憶チェックすることになった。

結果だけで言えば、あれらはおおむねすべて事実であり、自分の記憶も問題ない。

つまり、テンはほんとうに新機教の使いであり、同時にあそこで起こった戦闘はすべて事実だということだ。


「……これはほんとうに起こったことなのだろうな?

 確信が欲しいから、もう一度電脳記憶を再生させてもらうぞ、いいな」


「うう、はい……」


しかし、それた確かに直接的な障害こそ受けなかったが、それはあくまで表面的な話だ。

元最愛の人が、新機教という邪悪に落ちていた事実や、それがゲス染みた卑劣漢とよからぬ取引をしていたこと。

もちろん、命や組の仲間を人質に取られているというある種仕方ない状態ながら、サイボーグの爆発を指示できるほどの残虐性。

更には自分の無力さや最後に見せた彼女の狂気じみた視線。

どれもがどれも、マナがかつて知っていたテンではなく、同時にマナ自身が自分がここまで弱い存在であったかというのを自覚させて来る。


「……偽証判定のために、過去の記憶もチェックするぞ。

 少し記憶がフラッシュバックするが、問題ない程度のはずだ、耐えろ」


「いくつか君に質問をする。

 もちろん、君には黙秘権はない。いや黙秘はできないはずだ。

 きっちり答えてもらうぞ」


そんな自分の記憶や状態をその尋問係のメイドは、容赦なく掘り起こしてきた。

自分とかつての彼女の愛すべきであったはずの記憶を。

自分のかつての勇姿と思っていたその姿を。


「お前はこれほど彼女と親しかったのに、彼女が新機教だと気づかなかったのか?」


「お前は、かつての自分を本当にかっこいいと思っているのか?」


「彼女と君の婚約関係……つまりその時点で策略であったのはほぼ確実だ。

 君のかつての行動は、どこまでが彼女の操作されたものだと思う?」


「そもそも、彼女の婚約、いや、愛そのものが偽り、植え付けられたものではないか?」


その尋問メイドがしてくる、自分の根幹へ至る無数の質問は、弱った自分にはあまりにも辛過ぎた。

本来なら口を閉ざしたかった。

無視をしてもいいし、殴り返して相手の口を黙らせたかった。


「……わかりません」


「ほんとうにわからないのか?」


「……はい。

 でも、今思い出すと、確かに彼女はよくボクの行動それとなく誘導してくることが多かった気がします。

 それが、策略かどうかまでは、ボクにはわかりませんでした」


しかし、それでも口を閉ざすことは許されず。


「……ふむ、そうか。

 まぁ、偽りの愛で騙される男女はいつだってそうだからな」


彼女と自分の愛が侮辱されても反論すら、する力もなく。


「つらいだろうが、こちらも仕事でな。

 尋問を続けさせてもらうぞ」


その地獄は続いていく。

そうして続いていく自分と彼女や組の過去の掘り返しと反省会。

かつては、栄光や愛の記憶に思えたそれも、彼女が新機教の手先であったというフィルターを通すと途端に新機教の策略の延長に思えてしまう。

愛のための信頼はただの盲目に、彼女のための勇気はただの愚かさに。

自分の組や彼女を救うために今なお稼いでいた資金は、ただただ新機教への上納金に。

今まで行っていたすべての大事なものが、途端にごみのように思わせられる、地獄のような時間が続く。


『……なぁ、マナブ。

 おまえは、阿弗利加組を……いや、阿弗利加商会を堅気に。

 普通の商会にするつもりはないか?』


『馬鹿を言うオヤジ!

 そんなことしたら、他の組とのつながりも切れるってことだろ?

 つまりは、テンとの婚約もパーになっちゃうってことじゃん!

 そんなの嫌に決まってるだろ』


『……そうか、まぁ、そういうよな』


かつての先代組長との記憶が再生させられると途端に気づいてしまう無数の状況。

なぜ、あのとき父が、自分に組にあるはずの無数の情報網をそこまでこちらに残してくれなかったのか。

なぜそれとなく、組の解体を示唆してきたのか。

それは情報屋である父が、テンが新機教からの手先だと気が付いてしまったからではなかろうか?

組の弱体化やそれとなく部下の数を限定したり、無数の不可思議な行動の数々も、新機教からの影からの侵略を防ぐためと考えれば、何の違和感も……。


「……あっ」


「今止められてしまっても困りますからね。

 様に調節させてもらっています」


そんな厳しい真実に気が付いてしまっても、発狂すらさせてもらえない。

苦い現実に、強制的に正面から正気で受け止めさせられる尋問。

心はあっという間に疲労し、黒歴史が精神を侵食。

曇るはずの眼がむりやり開かされ続ける地獄がそこにはあった。


「……だからこそ改めて貴様に聞こう。

 マナ、貴様と婚約者に合ったその感情はほんとうに愛であった。

 そう断言できるか?ただただ愛という名の欺瞞に騙されただけではないのか?」


だからこそ、そのような状態でその最悪の質問が投げられたときは、全力で泣き出したかった。

騒ぎ暴れ、全てをうやむやにしたかった。

しかしそれでもこのメイドの体ではそれが許されず、その過酷な現実に向き合わなければならなかった。


(ああ……)


しかし、それは言ってはいけない事であった。

認めてしまえば自分は壊れてしまう。

何のために自分はここまで頑張ってきた。

自分のアイデンティティすべてが崩壊の危機なのに、それから逃げることは許されず。

電脳から体に強制的に動かし、意思に反して口が開こうとする。


「そうだ、彼女は僕を……」


舌先が動き、自分の意思に反して喉が声を発しようとするのが分かってしまう。

それとともに、今までの記憶が、走馬燈のように流れる。

誇るべきとまではいかないが、それでも大事であるはず記憶が、ゆっくりと地面に向かって落ちていき、粉々になる様を見せつけられる。

そうして、出ないはずの涙が、自分のほほを伝るその瞬間……。



「すまん、その尋問はそこまでだ」



くるはずのない、救いの手が差し伸べられた。


「あああぁぁぁぁあ!!!!」


「……泣け泣け、存分に泣け。

 それをすることぐらい、お前には許される」


かくして私はその救いの手を取ってしまい、彼に抱き着きついてしまう。

そして赤子のように泣きわめき、存分に慰められてしまったのであった。


◆◇◆◇


「……ごめんなさい。

 大ご主人様、見苦しいところをお見せしました」


時間が少し進み、マナの全力のなきじゃくり後。

元尋問室で、マナはその人物と2人きりになってしまっていた。


「ん、全然気にしてないよ」


目の前にいる人物は、このメイドカンパニーの社長にして大ボス、大ご主人様。

つまりは、マナ自身をこの姿に改造し、組のみんなをこのメイド地獄に落としたにっくき元凶なのだ。


(……うう!そうだ、こいつは敵だ!

 そもそも、俺がこんな状況になっているのは、こいつが俺をメイドにしたせいで!!

 だから、こいつは、敵で、憎むべき相手で、いやな奴で……)


故にマナは、目の前にいるその男をきちんと憎もうとした。

メイドの体ゆえに、彼には逆らえず、攻撃こそできないが、それでも心は抵抗しようと努力をした。


「……あ、ごめんなさいご主人様。

 僕の涙のせいで、ご主人様の服に汚れが……」


「これぐらい、なんてことない。

 むしろこの程度で、君の悲しみを止められたのなら幸いだ」


「あ、好き……って、ちがああああああああああううぅぅ!」


しかし、それはおおむね失敗していた。

マナが彼を憎もうとすればするほど、むしろ彼の細かい気遣いに気が付き、心惹かれてしまう。

粗を探そうと話しかければ、話しかけられるその言葉に、思わずときめいてしまう。


「ほれ、綺麗な顔が台無しだ。

 拭いてあげるから」


「ひゃ、ひゃい♥

 ……あう、あう……」


次第にマナの心が、彼に好きになっていくのが分かってしまう。

傷ついた心に染み渡るかのように、彼の気遣いがマナの電脳内に響く。

先ほどとは別に意味で危ない沼に、自分が沈んでいくのがマナにはありありとわかってしまった。

自分は男、OK?いやでも今の自分は女だし、ご主人様に綺麗でカワイイって言われたし、そういうことなのでは??


(いや、チガウから!何を勘違いしてるんだ俺は!?

 どう考えても、リップサービスとかそういうだろ!

 それに、ボクにはテンが……)


その瞬間マナの脳裏に走る、狂気に満ちたテン。

裸のオヤジの中心に佇み、金をむしり洗脳するテン。

更には、ある意味では味方のはずのそいつらを盾にして、最後に爆発させたときのテン。


「よし、綺麗になったね。

 はい、サイボーグ用のリラクゼーションオイル。

 暖かいから、ゆっくり飲んでね」


「でも、こっちのほうがよくない?

 ……あ、ごめんなさい、なんでもないです」


このままだと手遅れになりかねん!

そのような危機感を抱いたマナは、強制的に、話題を変えることにした。


「ねぇご主人様、

 結局は私は、騙されていたんですよね?」


「……」


そう、それはマナ自身の過去の話題。

自分の傷口に塩を塗り、過去の泥を塗るかのような話題であった。


「私はかつて、真剣にテンを愛していました。

 それこそ、かつてはそのためだけに、組の後継者になりました。

 父の反対を押し切り、父の死後も横暴を繰り返し。

 そして、無謀にもあのワーグさんに喧嘩を売る程度には」


「でも、テンと僕との出会いは、運命や愛ではなく、新機教の策略でした。

 今の今まで、テンと僕の愛のためにやっていたと思ったことは、全部新機教の策略の延長でした。

 だから、今までの僕の人生は、いやメイドのなってからの全部無意味で……」


マナは、ふり絞るように声に出す。

自分の中に詰まった毒を、あるいは傷口を。

愛する女のために生きると思ってえいたのに、それは偽りであったと。

自分の後悔を悲しみをすべてを、さらけ出し……。


「……それ以上自分を傷つけるな」


「あ……」


そして、それは受け止められてしまった。


「それにお前の今までの人生は、全然無意味ではない。

 自分で自分を傷つけるな」


「で、でも、テンは、あの婚約はそもそも策略で」


「そもそも戦略結婚自体が、多少の策略ありきだろ?

 それに、仕組まれていたとしても、お互いが本当に愛していれば、策略かどうかなんて些細なことだ。

 ちがうか?」


「あ……」


その憎き敵であるはずの、ご主人様はマナの手を優しく握りながら、彼女に言葉をかけていく。

彼女の自傷する言葉の間違いを正し、その記憶や人生を肯定する言葉をかけてくれる。

自分の心が癒され、生まれ変わるかのような気持ちよささえ感じる。


「で、でも、ボクが彼女を好きであっても、テンが僕のことを好きかどうかわからないし……」


「彼女がその娘を好きかどうかは関係ない。

 お前が、彼女のために本気で、尽くしていた。

 そうだろう?」


「……でも、それってとっても醜くない?

 一方的で、気持ち悪い、策略を本気にした勘違いなんて、かっこ悪いでしょ?」


「かっこ悪くないし、むしろ素晴らしい。

 私がお前の人生を、いや記憶を保証する。

 それじゃだめか?」


「……ひゃい」


愚かだと思っていた自分が肯定される。

自分自身ですら見捨てたわが身を、唯一目の前にいる人が、肯定してくれる。

今までの人生で感じたことがない、高揚感がその身に包まれる。


(ああ……これが、ボクが使えるべき主……♥)


そして、自分の魂すら、目の前の存在に捧げそうになったその瞬間……


(あ……)


かつての、愛した女性。

記憶にいたやさアしい顔をした点の顔がマナの脳裏に横切った。


「……ごめんなさいご主人様」


それゆえに、マナの口から出た言葉は、純粋な謝罪であった。


「ごめんなさい、ご主人様。

 本当は僕、ご主人様の本当のメイドになりたいけど、でも僕には無理なんだ。

 だって、ボクにはテンが、愛すべき女性がいるから」


マイの心の中に、土砂降りの雨が降り始める。

口にするたびに膨大な寂しさと、後悔があふれ出す。

今からでも訂正しろと、土下座してでも彼に平伏しろとメイドとしての本能が暴れ始める。


「そうです。

 確かにボクは、今はご主人様のメイドだけど……

 でも、ボクには愛すべき、添い遂げなきゃいけない彼女がいるから。

 ご主人様にはほかにもいっぱいメイドがいるけど、テンには僕しかいないから。

 僕だけが、いや、ボクが彼女を救わなきゃいけないんだ」


しかし、それでもマナははっきりとそれを口にできた。

なぜなら、それは心の支えがあるから。

かつてのテンとの温かい記憶、彼女に対する愛。


「それに、ご主人様が肯定してくれたから、ね」


何よりもそれすら肯定してくれた。

ご主人様の愛が、マナの心を再び奮い立たせてくれた。

嵐吹き荒れる海原に立つ灯台のように、ご主人様の言葉が導いてくれた。

もちろん、不安がないわけでもない。

自分の口にしていることはメイドとして、主人への忠誠に反することだ。

だがしかし……。


「そうか、どうやら迷いは晴れたみたいだね。

 それはよかった」


それでもご主人様は肯定してくれた。

これほどうれしいことはあるか?いやない。

それゆえに、マナは考え始める。

おそらく状況はかなり困難だ。

マナの愛すべき女性は新機教の手先になっている。

非道な行為を行い、しかもある程度自分の意思で行っている。

それでも、マナはそんなテンを本気で救いたい、そんな風に思っていた。


「……ねぇ、ご主人様。

 非常に、非常に、言い難いんだけど、いいか?

 お願いしたいことがあるんだけど、いい?」


マナは恐る恐る、ご主人様に尋ねる。

それはある意味では、はじめての挑戦であった。

打算や策略ではない。

か弱い子供が親に尋ねるように、無垢な信徒が神に祈るように放つその無責任だが、本音の思い。

叶ってもいい叶わなくてもいい。

どこかそんな風にはなったその一言ではあるが、それでも目の前のご主人様は笑顔を浮かべながら、こちらにこう言ってくれ。


「もちろん。

 かわいい私のメイドのお願いだからね。

 何でも言ってくれ」


マナはその時、心が完全に堕ちるのを感じたのであった。



◇◆◇◆



なお、数時間後。


「ほ~い、失礼しま~す。

 お嬢様を回収しに決まし……あ」


「~~♪~~~~♪

 ……って、あ」


「お~、お疲れカナさん。

 ちょうど、こっちも犬耳ブラッシングが終わったところだよ」


「お楽しみ中でしたか!

 失礼しました!」


「こ、こ、ここれはちがうから!

 べ、べ、べ、別にこれはちょっとご主人様に甘えていただけだから!

 お、おれが、大ご主人様に堕ちたわけじゃないから!!

 まって、まって、まって~~!!!」


その後、メイドAグループ、通称杏組において、いろいろな波乱があったらしいが、それはまた別の話。

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