桜吹雪は随想を呼ぶ
翌朝、僕は普通に満員電車に乗って、普通に登校した。いきなり膝の上に誰かが座ってくるなどという非日常なことはなかった。やはり、僕に似つかわしいのは平凡な日常だ。日常万歳!
そうして、僕は1年A組の教室に入り、自らの席に着く。
既に来ている人数とまだ来ていない人数は半々くらいといったところか。つまるところ、任意の生徒の席を観察するまでは、その生徒が既に出席している状態と出席していない状態とが半分ずつ存在するということになる。ちなみに、佳菜と須藤の2人は未だ出席していないという事象に確率が収束していった。
……それにしても、シュレディンガーはどうして猫を箱に入れたのだろう? 別に犬でもネズミでもマウンテンゴリラでもアノマロカリスでもハルキゲニアでも何でもよかったのに、どうしてあえて猫を入れたのだろうか? 猫虐待、ダメゼッタイ。
「おはようございます。島原瑛人さん……で、合ってますよね?」
という風にシュレディンガーに対する不満をぶちまけていると、穏やかな女の人の声が鼓膜を震わせた。
「ああ、おはよう」
と、僕もその声がした方、前方に目を向ける。
そこには、黒い艶やかな髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、ハーフアップに束ねた女子生徒の姿が見えた。その髪型からは大人っぽさが感じられる一方で、その表情には未だあどけなさが残っているというような、子供から大人への過渡期にある女の子といった感想を抱かせる外見である。
「申し遅れました。私は
成る程ね……。彼女の名字は笹野であって、僕の名字は島原だ。出席番号的にも前後であり、それゆえに僕の前の席の住人ということになるのか。
「ところで島原さん。あなたを聡明なお方とお見受けして、1つ話を聞いていただけないでしょうか?」
と、唐突に何かのストーリーが進展しそうな文句を呈してくる。
「話を聞くのは構わないが、僕は単なる凡人だから期待外れになってしまうかもしれないぞ?」
今年度何度目かの凡人アピールである。
「本当にそうでしょうか?」
しかし、目の前の笹野陽乃とやらは引き下がる気配を一切見せることなく、真剣な眼差しでもって応対するのである。
「入学式で新入生代表挨拶を任され、しかも何の原稿を見ることなくあの長文を読み上げた島原さんが聡明でないという方が無理があるように思うのですが……」
…………!
「原稿取り出すの忘れてた……」
笹野に言われて気が付いた。僕は渡された原稿を懐から取り出すことなく、それを読み上げていたのだった。
「ということは、既に原稿を覚えていたということでしょうか? あるいは、アドリブでそれらしいことを口にしたということでしょうか?」
「前者の方だ」
何度か練習もかねて読み込んでいたのだが、その時に覚えてしまい、そして本番で原稿を取り出すという手間をつい省いてしまったのだ。うっかりしてた。
「……それで、話って何だ?」
僕は話を元に戻す。ちなみに、僕が聡明であるということは認めるつもりはない。
すると、笹野は落ち着いた口調で丁寧に、それでもってこちらに口をはさむ隙を与えないかのように語りだした。
(※以下、読み飛ばしOK)
「今朝、正門前の坂を歩いていると、桜の花びらが舞い散るのが目に映ったのです。それを見た私は、桜の花が持つ何とも言えない儚さに胸を打たれました。おそらく、多くの日本人が同じような感想を抱いた経験があることでしょう。
そこでふと思ったのです。この感情というのは、日本人に限ったものなのでしょうか? 今では桜の木が日本以外の国に植えられているということも珍しくはないと思いますし、そもそも桜以外にも儚く散っていくような花というのもあるかもしれません。それにも関わらず、この感性が日本人特有のものであるとみなされているのが不思議に思われました。
また、『花は盛りに、月は隈無きをのみ見るものかは』とは、賀茂真淵の『方丈記』に記された一節でありますが、『方丈記』の成立は鎌倉時代前期ですよね? そして、『ゆく川の流れは……』という冒頭にも代表されるように、この随筆の根底には仏教的無常観があると言われています。言うまでもなく、仏教というのは大陸から伝来した文化とされています。しかし、この仏教的無常観に基づいて桜の儚さを賛美するという慣習は、仏教の伝来先である日本の専売特許のように語られているのです。その大本である中国や朝鮮半島、さらには釈迦の生まれ故郷であるインドではそのような文化というものは存在しないのでしょうか? それに、日本独自の文化とはいいますが、仏教的無常観に起因するこの感情は本当に日本独自と言うべきものなのでしょうか? 元来、日本には八百万の神様がいらっしゃって、むしろそちらの方が日本的と言えるようにも思えます。実際、本居宣長も仏教的無常観については『漢心』であると言い切っています。
あと、これは少し話がずれるのですが、桜の花びらが舞い落ちるのを眺めていると、不思議な挙動をしているのが見て取れるかと思います。これはきっと、空気抵抗などの影響によるものかと思いますが、もしも科学が進歩して花びらの挙動が完全に予測できるような未来が来たとしたら、桜の花を愛でるときの感動というのはきっと薄れてしまうとは思いませんか? さらに話を進めて、もし世界上のあらゆる事象が科学によって予測可能なものになってしまったとしたら、それこそ我々人類が生きている意味がないといった状況にまでなってしまうようにも思えてきます。
……すみません、話しすぎてしまいました。とにかく、島原さんの見解をお聞かせ願いたいのですが、いかがお考えでしょうか?」
…………僕はこの話を聞いて確信した。笹野陽乃は変人である。
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