曖昧は恋心を呼ぶ

「でも、夢の内容が飛び飛びだったりするから分からないこともあるの」


 僕の思考をよそに、佳菜はさらに話を続ける。


「エミリアたちが済んでいた国の名前は何だったのか。エミリアは何歳だったのか……」


 夢はリアルに引きずられることはあれど、リアルそのものではない。だからこそ、論理的に不可解なことも起こりうる。そして、目が覚めるまでその不可解さに対して盲目であることこそが最も恐れるべきことであるというのも、1つのあるあるだ。目が覚めてから今までのツッコミどころを全て回収するなんてことはよくあることだ。


「後、エミリアはライデルハイトをどう思ってたのか……」


 などと考えていると、佳菜の言葉がやけに鼓膜を震わせた。あたかも、その音声以外のすべてのノイズがキャンセルされたかの如き振動である。


「……というのは?」


 その不気味な感触に揉まれながらも、僕は己が心に沸々と湧きあがった好奇心たるものに支配されていく。


「前世の夢を見てるとき、エミリアの胸が締め付けられる感じがすることがよくあるの……」


 夢というのは痛覚に対して鈍感にできているものだが、佳菜が見る前世の夢というものは、そこが妙にリアルなのだろう。


「あと、ライデルハイトのことは従者として信頼しているのに従者をやめてほしいって思うこともあって……」


 と佳菜は現世においても胸を抑える。これも現世と前世との間の写像によるものなのか?

 さて、その所以となる感情について考察を深めてみよう。


 ①胸が締め付けられる件について

 まず、先ほども言った通り、夢の中にいざなわれた人間は痛覚を失うということが経験則として定式化されている。

 しかし、この痛覚というのは、あくまでも物理的なそれであることに留意しなくてはならない。つまり、精神的な痛みというのは夢の中でも例外的に働きうるということだ。

 よって、夢の中で胸が締め付けられたというのは、精神に起因するものではないかという推測には、ある程度の蓋然性が認められるだろう。


 ②ライデルハイトに対する自家撞着について

 ライデルハイトのことを従者として信頼しているという感情と、ライデルハイトに従者をやめてほしいという感情は、共に両立し得ないものであるように見受けられる。

 しかしながら、このような正負のジレンマというのは別段珍しいものではない。ただ、そうであるとは言っても、やはりその根源は多様であろう。ゆえに、この情報だけでは結論にはたどり着けそうにないのだ。


 ここで、①②の情報を総合して考えるとすれば……。


「瑛人、話聞いてる?」

「……失礼、考え事をしててな」


 佳菜の声に導かれ、僕の思考は現実世界へと引き戻された。


「何を考えてたの?」

「エミリアの心情理解ってとこだ」

「それで、何かわかった?」

「…………流石に情報不足だ」


 僕はここで、いささかの逡巡を経てからでなくては解答できなかった。



「次は、緯川、緯川……」


 その車内アナウンスが聞こえるや否や、佳菜がもぞもぞと支度を始めるのが見える。


「次で降りるのか?」

「うん……」


 成る程……。ということは、佳菜の家もそれなりに学園から離れているということか。


 などと考えていると、佳菜が僕の顔を覗き込むように、尋ねてきた。


「瑛人は一緒じゃないの?」


 上目遣いで甘えてくるような声色。……僕の心の中の何かに触れたようだ。


「あぁ……。このまま終点までだ」


 僕の家はさらに遠い。朝は始点から電車に乗れるのでほぼ確実に座れるのだが、流石に遠すぎる。

 でもここ以外に自分の学力に見合った学校もなかったし、仕方あるまい。自由意思に基づいた選択である以上、そこには責任を持たなくてはならないのだ。


「残念だなぁ……」


 佳菜は、そうポツリとつぶやいた。


「え、今なんて……」


 僕は自らの空耳を疑い問い直すも、無情にもそこで電車のドアが開いた。


 プシューというドアが開く音がして、佳菜は席から立ちあがる。そして、カバンを手に持ち、柔和な笑みを浮かべるのだった。


「また明日」

「……だな」


 それから、佳菜は電車を降りた。その小さな背中を、僕は電車の中から見送った。



 それから、僕は終点まで電車に揺られ、そして考える。


 ……実を言えば、既にエミリアの考えていたことについて、ある1つの可能性を見出していたりしたのだ。

 ただ、僕は苦渋に苦渋を重ねた結果、何も分からないとあえて嘘をついてしまった。理由は2つある。

 まず、その可能性に至るまでのプロセスには、何ら論理性が無かったからだ。その結論は単なる思い付きであり、一足飛ばしに示された解答に過ぎないのだ。つまり、その答えには正当性がないのである。それを自らの解として口にするのは、実に無責任極まりないことであるのだ。自由市民たるもの、言論の自由は認められど、自らの言論には責任を持たねばならぬ。

 次に、僕がその解答を口にすることで、そのことが現実世界でも成立してしまうのではないかという危惧があったからだ。佳菜は、前世と現世との間にある写像たるものに影響を受けやすいようである。だからこそ、僕の答えに佳菜が左右されかねないと思ってしまったのだ。僕的にはそれで困ることは全くない。しかし、自由市民たるもの、他人の思想を強制的に捻じ曲げるような真似をしてはいけないのだ。


 ……ま、僕はそもそも前世のことなど信じるにたるとは思わないけどね。

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