前世の記憶は電波を呼ぶ
さて、我が悪友こと須藤は自転車通学とのことで、僕は1人で駅に向かった。
少なくともこの時は1人だったのだが、改札前でその人影を捉えてしまったのだ。
「……遅い」
拗ねたような表情をしているその少女は谷崎佳菜であった。
「遅いも何も、待ち合わせなんてしてなかったろ」
今回、僕らの間では何ら契約が履行されてなかったのだ。そのため、遅いだとか遅刻だとかという言葉は原義的に定義されえないはずである。
「そもそも、何で佳菜は僕のことを待ってたんだ?」
自由市民ならば早急に帰宅すればいいものを……。
「主として従者のことを待ってただけ」
……普通、逆じゃないのか?
「だから僕は従者になることを承諾していないからな」
この社会というのは契約の締結・更新・破棄によって成り立っているのだが、自由市民たるもの、契約には相互の了承が必要なのである。つまり、一方的な押し付けは契約にあらずというわけだ。
もし押し付けがましい契約が嫌ならば適切な手続きに基づいてその内容の変更や破棄を訴えればいい。例えば、消費税増税が嫌なら民主制に基づいて反対の意を示し、どうしても我慢ならんとなれば日本国籍を棄てて海外にでも移住するがよかろう。場合によっては倍以上の消費税を払うことになるぞ。
「……ライデルハイトはエミリアの従者だったから、瑛人も佳菜の従者ってことでいいよね?」
佳菜の脳内では、どうやら前世と現世との間に何らかの写像が存在するらしい。思わず「だめだこりゃ」とつぶやいてしまう。
とかく反論を呈そうと思ったが、話が長くなることが予想されたため、ひとまず電車に乗り込むことにした。
「いいか? 世の中というのは常に進歩しているんだ」
自由市民たるもの、この写像を受け入れてはならぬ。昼前のゆとりのある電車の座席に座りながら、僕は論理を紡いでいく。
「その前世の記憶って、16世紀のことだろ? つまりは中世から近世への過渡期……、封建制の時代ってわけだ」
「前世の記憶があるなら多少の世界史の知識はあるだろ?」という魂胆で話を進める。
「一方、今は21世紀。民主制の時代だ。日本に限って話すが、基本的人権は日本国憲法でも保証されているし、国民主権もあるから国家に対してさえ、ものを言うことも出来る世の中なんだ」
流石に「これから社会主義や共産主義の世の中になっていくだろう」とまでは言わない。蓋し、ユートピアというのは単なる理想であり、馬の鼻先に吊るされたニンジンのようなものであるのだ。
「世の中が変わってきてるからわたしとあなたとの関係も変えなくちゃならないってこと?」
「そういうことだ」
僕が結論を言う前に、佳菜は結論に辿り着いた。話が早くて助かる。
「それじゃあ、瑛人に選択肢を与えよう……」
僕の左隣に座る佳菜が、その体格に見合わず大きい態度を見せる。背伸びしているみたいでほほえましい。
何はともあれ、イエスオアノーの選択肢を与えられるのはありがたいことだが……。
「従者と下僕と奴隷、どれがいい?」
「そういう選択肢かよ」
選択肢とはいえ、"Do you~?"乃至"Are you~?"型の質問ではなく"Which"型の質問だった。中国語では「吗」が付くか付かないかの違いである。
というか、下僕と奴隷に関してはさらに扱いがひどくなってないか?
「じゃあ僕は選択を拒否する」
いずれにせよ不当な契約になりそうなので、僕は敷かれたレールを蹴り飛ばした。1人でも5人でも殺したくなければ、線路を爆発させればいいのだ。……それはそれで全員死ぬか。
一方、佳菜は不服そうな顔で頬をぷくぅとさせるのだったが。
……性癖に刺さるものがあったということは正直に打ち明けておこう。
「ところで、前世の記憶って確かなのか?」
人の少ない電車に揺られながら、僕はそもそもの疑問を聞いてみる。よく考えれば、いや、よく考えるまでもなく、前世の記憶があるという話はにわかには信じがたいものなのだ。事実、僕にはライデルハイトとしての記憶はないわけであり、佳菜が妄言を吐いている電波少女であるという可能性の方が高いように思えてくるのだ。
「……時々夢に出てくるの」
佳菜がポツリとつぶやく。
「夢の中で、国を追われて、みんながエミリアのことを見捨てる中で、1人ライデルハイトだけが付いてきてくれて、最期は一緒に殺される」
また叙事詩を吟じ始めている。
「後、時々ライデルハイトと散歩しているシーンとか、ライデルハイトに『デカメロン』を読み聞かせてもらうシーンとかも夢に出てくる」
ふむふむ……。成る程、成る程か?
「それで、夢の内容を断片的に組み合わせたら1本の軸になってるから、それを自身の前世だと主張するというわけか……」
えてして、寝ているときに見る夢には、およそ世界法則というものが存在しない。男子トイレに入って小便をしていたかと思えば、気が付けば女子トイレの中で大便をしていたなんて夢を見ることが往々にしてある。それ故、世界法則が成り立っている夢というのはかえって特殊なのだとも言えよう。その特殊性を、彼女は前世の記憶と結びつけることで納得させたというわけだ。
……実に早計だな。
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