名前と第一の試練 03

 03


「それで、剣さん。あなたは何者なんですか?」


 冒険者を続けることを告げると、ノアさんは少し考えてから「分かった」と答えてくれました。

 そして、「一週間はここの宿代と飯代を出してやる。五日後から冒険者として活動開始、それまでは俺が剣を教えてやるから朝の5時までには宿の前で待っていろ」と言いながら銀貨50枚を渡してくれました。

 相変わらず対応は杜撰ですが、お金を出していただいている以上文句は言えません。

 大人な対応として「ありがとうございます」と、絞り出しました。

 ノアさんが部屋から出て行って、私は剣さんに話しかけたのです。

『何者と言われると困るな。私に今までの記憶はないのだから』

「記憶がない? いわゆる記憶喪失というものですか?」

『これが記憶喪失によるものなのか、それとももとより記憶などというものが存在していないのかは把握していない』

「では、お名前も分からないのですか?」

『私は名前を所有していないな』

「それは大変です。……そうだ! 今回のお礼としてお名前をプレゼントさせていただけませんか?」

『それは必要なものなのか?』

「必要ですよ!」

 だって私の名前は、ミレーナは、スコット家から追放されてしまった私には唯一と言っていいお父様とのつながりを感じられるものなのです。

「だから、名前は大事なんです」

『私は人ではない。が、それでも主が名前を重要視していることは分かった。敢えてほしいとは言わないが、つけたいというのなら勝手にするといい』

「ありがとうございます! どんなお名前にしましょうか? かっこいい剣ですから、かっこいいお名前がいいですよね! そうですよねそうですよね!」

 なんて名前にしましょうか? 名は体を表す、と言いますしこの剣さんに会う名前がいいですよね。

 彼はとてもロジカルな印象を受けます。さっき私が混乱して焦っているときも冷静に、未来を見据えて話を聞いてくれました。だから、彼には知的な名前を付けてあげたいです。

 どうしましょうか。天才……ジーニアス? は、そのまま過ぎますし。プロデジー? もパッとしないですよね。


 ……。

 …………。


「そうだ、デクスはどうですか!」

『長かったな。デクス、か。私はデクスという名前なのか』

「そうです! これからよろしくお願いしますね、デクス!」

 気が付いたら30分も考えてしまいました。でも、それだけ時間をかけたに値する名前を考えられたと思います。

『私はデクス、デクス……』

「デクス? どうかしましたか? もしかして名前、気に入りませんでしたか?」

『いや、少し……考え事をしていただけだ。主よ、良い名をつけてくれたこと感謝する。私の名前を長い時間を使って考えてくれたのは嬉しかった』

 そういわれて、私は気が付きました。ミレーナという名も、きっとお父様が長い時間をかけて考えてくれた名前なのでしょう。

 私の名前は、やっぱりミレーナです。

 もちろんお父様について思わないことがないとは言いません。でも、今までいろいろなものをくれたこと、優しくしてくれたことは間違いのない事実です。

 だからきっとスコット家の追放にも何か理由があるのです。私はそう信じています。

 それに、もしも私がミレーナでなくなってしまったら、それはもう私の今までの人生全てを否定されているような感覚になるでしょう。

 名前とはつまりその人の人生そのものなのです。

 私は、どうあがいたってミレーナなのですから。


『明日も早いのだ。そろそろ寝るべきではないか?』

「そ、そうでした! 明日は5時には外にいないといけないから、4時には起きていないと。というか、お、お風呂……ほどの贅沢は言えませんが、せめて体を拭きたいからお湯を頂きたいです! で、でもどうすれば?」

『宿屋の人間に聞けばもらえるであろう』

「そうですね! もらいに行きましょう」


 ちなみにお湯は銅貨10枚でした。銅貨、銀貨、金貨、白金貨の順番で50枚ごとに繰り上げなので残りは銅貨40枚銀貨40枚です。

「明日のご飯は少し豪華にしてしまいましょう。なんて言ったって、私の新たなる門出の第一歩なのですから」

『待て、主よ』

「なんですか、デクス? デクスは剣なのでご飯は食べられませんよ?」

『言われずとも私は飯を食べる気はない。そうではなく、金銭の管理をした方がよいのではないか? 無計画に金を使って後半で金が足りなくなったところで、ノアは追加で渡してくれるような殊勝な人間ではないように見えるが』

「確かに! あの人はきっと性根が腐ってますもの。その程度のこと平気でしてくるに決まっています! では、お金の管理しましょうか。まずは何をすればよいのでしょうか?」

『生活費を大まかに計算するところから始めようではないか』

 お金の管理なんてしたことがないので頭がこんがらがってしまいそうです。

 まずは一番重要な食費から考えましょう。宿屋に併設しているお食事処の店員さんに食事の料金を聞いたところ、一食で銀貨1~5枚程度という返答が帰ってきました。

 つまり一週間の食費は、えっと。えっと。

『一日三食で一食の平均を銀貨2枚とすると一週間で銀貨42枚。さらに毎日お湯を頼むとすると銀貨1枚と銅貨20枚。余剰分は銀貨6枚と銅貨30枚か。無計画に生活したら間違いなく足りないな』

「待ってください! 私は着の身着のままで放り出されたんですよ? 生活用品とかを買わなければいけないことを考えると、食費を減らすしかないですよね……」

『体を拭くのを二日に一回にすれば週に銀貨40枚で済む。さらに一食銀貨1枚にすれば合計銀貨21枚と銅貨40枚だ。半分以上が残る計算になる』

 一見順調に話しているようにも見えますが、私たちは大きな要素を見て見ぬふりをしています。それは、私たちは生活用品の値段がわからないという事です。

 見たところ表にいる店員さんは男性ばかりなので聞いても答えに期待できません。

 もし銀貨50枚で下着の1枚も買えなかったら? 私は自分でお金が稼げるようになるまで、少なくとも一週間はパンツを変えないままで生活しなければならないことになります。

 パンツが買えないという事はもちろんその他の衣服も買えないという事になります。

 洗濯自体は宿の裏にある公共井戸(さっき宿の人に確認しました)があるので可能ですが、円卓中に着る服がなかったら私は完全に痴女になってします。

 とはいえ一週間も服を買えなかったら絶対に臭いです。女の子としてそれはどうなのでしょう?

 お屋敷にいた時はこんなことに悩む必要もなかったのに。こんな苦労することになるなんて思ってもみなかったです。

『恐らく渡した金額で一週間生活できるか、計画的に金銭を管理できるかというのが第一の試練なのだろうな』

「そうならそうと、言ってくれればいいですのに! おかげで私は危うく餓死してしまうところだったんですよ?」

『言われれば誰だって考えることを言われずに出来るか。つまりは自立して現状を考えられているかのテストであろう。なかなかに合理的な方法だ』

「デクスはノアさんの肩を持つんですか!?」


 そうして追放生活初日は幕を閉じました。

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