4-10 王


 朝の日差しが眩しくて、オレは目を開く。視界を何かが遮っている。体が動かない。この感覚は。

 目の前にいる人物がゆっくりと起き上がって、伸びをする。珍しい、オレが呼び掛けなくても起きられたとは。いいことだ。

「おはよう、エ――」

 オレは朝の挨拶をしようと、彼女の顔に視線を遣る――



「おはよう、ザンダン」



 とろんとした表情で、アリアは言う。まだ眠気が残っているのかも知れない。彼女はベッドから降りて、もう一度伸びを――

「――ザンダンッ!?」

 彼女は再度、オレを見た。その顔はすっかり覚醒しているようだった。混乱しているのか、振り返った際、棚にぶつかって、数冊本を落とす。いや、混乱しているのはオレも同じだ。この時間帯、アリアの部屋に来るのは初めてだった。彼女は勿論、寝間着姿で立っている。水色のワンピース。



「アリア様、無事でございますか!」

 そこへ――ナナさんが、飛び込んでくる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」



 オレはその場の勢いで平謝りする。ナナさんは――オレの声が聞こえたようで、

「アリア様の寝室に忍び込むとは不届き千万!」

 ベッドの上にいるオレに狙いを定め、走って近づいてくる。当然、オレはこの場から逃げることができない。彼女はガルイスさんくらい上背があるので、向かってくる姿が威圧的だ。

「な、ナナハ!」

 それを――アリアが制止する。ナナさんは俺まで後少しのところで止まった。

「アリア様?」

「ざ、ザンダンは、何もしていないし、何も見ていないから。私が少々、驚いてしまっただけで――そもそも、私が呼んだから、ここにいるのだし」

 彼女はそう、オレを庇うようなことを言う。ナナさんはその言葉に、オレに掴みかかろうと低くしていた体を起こし――

「いえ、かような問題ではありませんので」

 オレを持って部屋を出て、扉の前で待機していたハロルバロルさんに渡す。ですよね。



 しばらくして、アリアが部屋から出てくる。「おはようございます」と頭を下げるハロルバロルさんに、「おはよう」と返し、オレを返却するよう求める。オレはようやく室内に戻り、ベッドの上で一息つく。ナナさんは入れ違いで出ていった。

「――ええと、来てくれて嬉しいよ、ザンダン……」

 微妙に気まずい雰囲気。話を続けている間に払拭されることを願いたい。

「うん――早起きなんだな、アリア」

「え?」

「エマに比べて」空はまだ日の出直後といった色だ。エマはこんな時間には起きられないだろう。

「ああ」アリアは、ようやく笑顔を見せる。「それは、エマがお寝坊なだけだよ。もっとも、この先もそうでは困るのだけれど」

「必要な睡眠時間が長いんだよ」

「そうエマを、甘やかさないの」

「甘やかしてはいないんだけど」まあ過眠症とかロングスリーパーとか、それらが治せるものなのか、そもそも治すようなものなのかオレには分からないので、これ以上の言及は避ける。「でも朝食はエマが起きるまでないだろ? やることがあるの?」オレはそう尋ねた。

「ないけれど、概日時計って知らない? 生物の、眠くなる時間とか目が覚める時間は、元々体に刻まれているのだよ」

 いわゆる体内時計。朝日を浴びればリセットされるという、あれだ。それならやはり、長い睡眠が必要というのは、障碍なのだろう。

「そしてやることがないから――散歩でも、どう?」

 彼女はそう言って、オレを手に取って笑む。

 久間クマガイが言うところの、お城デートである。



 そういえば城なんて国内でも首里城くらいにしか行ったことがない、創作物おはなしではいくつも見たことがあるが――今年の修学旅行は関西だから、大阪城とか二条城とかを見るだろうか。

 ということでまずは庭へ出る。人形でも分かる爽やかさ。アリアは玄関を出て右、花壇のあるエリアに足を運んだ。ここにはエマとも何度か来たことがある。花には詳しくないが、綺麗に手入れされていて、眺めていて心地いい。と、花畑には先客がいた。



「アリア。おはようございます」



 アーストール王太子殿下だ。

「おはようございます殿下――昨夜はよく眠れましたか」

 アリアは近づいていってそう尋ねる。散々悩んでいた呼称問題は、呼び捨てで落ち着いたようである。

「いえ、今日のことを考えて目が冴えてしまいましたよ」とは――勿論、国民投票の、結果発表のことだろう。グーヴから彼を呼んだということは、周囲の国に先んじて進めていくとしても、グーヴだけは特別というメッセージか。「君のことだよ、ザンダン」

 彼はそう言って、アリアの持っているザンダンの頭に手を置く。彼は声が聞こえているのだったか――いや、。この間アーストールさんのところに潜入したのは、エマのザンダン。それ以外では彼と会っていないし、潜入捜査の時オレは一言も話さなかった。アリアのザンダンのことは、アリアがグーヴへと連れていっていなければ、そもそも存在を知らない。それで今、所有者認定されることはないだろう。

「アリア、王子はオレが喋ること、知らない」

 一応小声で、手早くそう伝える――彼は続けて、

「そういえば、アリアも持っていたのですね。私も帰国前に手に入れたいのですが」

 と言った。ビンゴだ。アリアはすぐ対応して、「ええ、では召使に買いに行かせます。エマが一覧表を作っているので、気に入られた種類のものをお選びください」

 ああ、ハルさんが街に出ていろいろリサーチしてきたやつか。オレは移動先を増やさないよう、見ることが禁止されたが、こんなところで役立つとは。

「ありがとうございます――そろそろ朝食でしょうか。向かいましょう」

 アーストールさんは右手をアリアの前に差し出す――アリアはそれに応じて、エスコートされていく。すっかり仲よくなっているようだった。オレとエマ、あと一応シャードの、がんばった甲斐があったということだ。




     ○




 結論から述べると、エマたちの案に軍配が上がった。

 とはいえパーセンテージでいうと、こちらの案が64%、ガルイスさんの案が27%。残り9%は無効票か無投票。我々は三分の二を取れていないし、あちらは負けたとはいえ四分の一を超えている。つまり国民の四人に一人は、『ザンダン』禁止に賛成ということだ。まあ当然といえば当然で、よく知っているから、可愛い顔をしているから、それがイコールで支持と繋がることはない。興味がない人も多いだろう、そもそもが子供向けの人形なのだから。

 そしてこの結果は、『ザンダン』を主軸に据えた銃隊の編成にも大きな影響が出る。国民全体で、意識に差が生まれるということだ。一応、人間としてエーエル家が中心となるから、そちらに靡いてもらうのでもいいが――それで勢力が分断されても困る。



 ところで、王が復活したことがむしろ、オレたちの間では朗報となっていた。最上階の大広間。今日はエマも加わって机を囲んでいる。他のメンバーは、王と王妃、ガルイスさん、シャード、アリアに、それぞれの召使、三家の当主と次期当主、宰相、執事、ハルキさん。そしてアーストールさんとその召使。オレはエマのザンダンに移り、ハルさんに持たれる。投票結果の発表が執事によって為された後、王が、



「今日は皆に話がある」



 そう口を開いた。初めて聞く声。病み上がりながら、しっかりとした重量が感じられる。これが――国王。一同は驚いてざわざわしていたが、アーストールさんは立ち上がり、

「私は席を外した方がよろしいでしょうか」

 と発言する。対して王は、

「それには及ばない。グーヴにも関係があることだ」

 と言う。王子は着席する。



「私の病臥中、皆よくこの国を守ってくれた。ご苦労であった。ここで私から提案がある――私は、を考えている」



 一同が、緊張するのが分かった。

「私は今年で四十八を迎える――人生の半分が、王としての生活であった。この先も可能ならば続けたいのだが――この先、体が保たないように思う。我が父、アール二世は三十年、その命が果てるまで君臨されたが、私の限界はここであると考える。皆、今までよく私を支えてくれた」

「――兄上に王になれと仰るのですか。過労で倒れたばかりの兄上に」

 シャードがそう発言した。流石に丁寧な言葉遣いだ。王は、

「その心配ももっともだ、シャード。しかし今回の件は、引き継ぎができなかったことが上手く立ち行かなかった主な要因だと分析している。それに何も、今すぐの譲位という訳ではない」

 と返し、隣の執事を見遣る。

「現状、およそ一年程度の準備期間が必要と目算しております。なお、王が事前にこの話をされたのは、私の他には宰相とアヴ、ハルキだけです」

 家族には、誰にも明かしていなかったということか。机を囲むメンバーは、それぞれ心の中で思案する。まず静寂を破ったのは――ガルイスさんだった。



「父上のご意向とあらば、私は賛成です」



 彼は立ち上がって言った。次の王の言葉に、

「兄上がいいならいいよ」

 シャードが言い、

「次は、お倒れになられませんように」

 アリアが言い、

「わ、わたしが、お手伝いすることがありましたら是非に」

 エマが言う。エマの言葉は、微妙だったが、



「ありがとう、子供たち」



 王は――笑顔で、そう返した。そして、王妃を、自分の妻を見る。

「ユナ、あなたはどうだ。私が王でなくとも、あなたは側にいてくれるか」

 王妃は、

「私は、あなたの妻でありますゆえ」

 そう言って、彼女は立ち上がる。「ガルイス。シーチェリナはどちらに?」と尋ねる。

「まだ帰ってはいないはずですから、セーベの間にいるかと」

 ガルイスさんが返すと、

「――私も、いろいろと引き継がねばなりませんね。王妃の何たるかを」と言って、執事に、「私の部屋に来るよう伝えておいて」とことづける。



「さあ、皆様お立ちになって。新たな王の誕生を祝いましょう」



 一同は立ち上がるガルイスさんが、歩いていって現王の隣に並んだ。

 王が敬礼し、王子を言祝ぐ。




「新たな王に!」




『新たな王に!』

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