4-5 話し相手


 エマとハルさんと共に、ガルイスさんの部屋に向かう。シュロウさんは使用人棟に向かうとのことだった。二人は、何も話さず早歩きで目的地を目指す。エマにとっては、兄。ハルさんにとっては、幼馴染。この国にとっては、第一王子。ことは重大で、ショッキングで、焦る気持ちばかりが先行する。



 部屋の前に着いた。長男の専属召使、ペースさんが立っている。エマが部屋に入ろうと近づいていくと――彼はそれを遮る。

「いけません、エマ様。を吸ってしまいます」

 瘴気――聞いたことがある。瘴気論。かつて、肉眼では見えないウイルスや細菌の存在が知られるまで、瘴気が病を運ぶと信じられていたと。ただ、そんな理屈は、感情論とは真っ向から対立する。

「構わない、一目でいいから――」

「いけません!」彼は体を張って妨害する。頭の固い人だ。エマの体に直接触れない辺り、紳士的ではあるが――





 室内から、シャードが出てきてそう言う。

「兄上――」

「入れよエマ。カムエは放っておけ」

 シャードの言葉に、ペースさんは引き下がった。オレたちは、長男の部屋に足を踏み入れる。



 かつて、一度だけ来たことがある部屋。その時は内装など見る暇がなかったが、改めて見れば弟妹たちと、大差ない。真ん中の大きなベッドに、彼は寝かされていた。寝台の隣には、白いドレスの女性と、白衣の老人が座っている。女性の方は、先程出会った、シーチェリナ王太子妃。白衣の方は、ハルさんも担当している、王家お抱えだという医者だ。医者は、オレたちに気づくと、立ち上がってガルイスさんに一回、こちらに一回会釈すると、鞄を持って部屋から出ていく。

義姉あね上。お久し振りです」エマはシーチェリナさんにお辞儀した。「それで、ガルイス兄様のご容態は――」

「過労が原因による、一時的な反動だそうです。なんでも、脳が一度全機能を停止していて、今は再起動の準備をしているとか」

 それが正しいかオレには分からなかったが――過労というのは、とりあえず本当だろう。エマと同じくらい、くっきりとあるクマ。顔色が悪いようにも見える。

「命に別状はないだろうってさ。だからいちいち泣くな、ハルレア」

「だ、だっでぇ」涙声で、ハルさんは言う。「おじーちゃんとカムエさんが不安を煽るから、心配で心配で」

「そ、そうですよ、なぜカムエは瘴気が原因だなどと嘘を――」

「あいつにもいろいろあんだよ」エマの言葉に、シャードが返す。「分かったら解散。オレたちがやることは、兄上が寝ている間も滞りなく国を動かしていくこと。明日は、国民投票があるからな」

 そうか、明日だったか。いろいろなことが立て続けに起こって、整理が追いついていない。

「姉上は? 残られますか、それとも」

「私も退室することにします。混乱状態では、まず人員が必要でしょう」シーチェリナさんはシャードに答えた。



 エマはオレを連れて彼女の部屋に戻る。ハルさんもついてきた。「ザンダンは、ここで待っていて。わたしは兄上たちと、今後について話し合うから」「わたしも、おじーちゃんに『動けるなら参加しろ』と言われたから……」エマはやる気に満ちた顔で。ハルさんは、嫌そうな顔で部屋を出ていった。そしてオレは一人になる。

 ガルイスさんが倒れて、次は――シャードが上に立つことになるのか。いや、その前に王妃が――そういえば、王妃はどこにいるのだろう。そもそもさほど会ったことはないが、ずっと王の看病をしているのか。

 この部屋の中にいただけでは、何も分からない。オレに何かできることはないだろうか。とはいえ、エマとシャードは会議中、アリアは国にいないし、グィーテさんに呼ばれるのは嫌だ。ナナさんが来るのを待とうかとも思ったが、もうハルさんに交代したかも知れない。そうだ、ナナさんに、アリアのザンダンへと呼んでもらえばいいのでは――と思ったが、そう都合よく動いてくれる訳がない。そもそも、グーヴに持っていっている可能性もある、アーストールさんが気に入っていたようだから。



 オレは何もできないのか。

 この体では、何も――と、



 オレはを思い出した。最初に、長男の部屋に行った時。オレは――を、彼の机の上に見た。もう二週間も前になるか。その間に、あれがどうなったか――既に手放したかも知れないし、棚の奥とかに、しまわれているかも知れない。しかしオレは、ただその時を待つ。これがオレにできること。オレにしか――できないことだ。



「――



 薄暗い部屋。ランプの火がゆらゆらと揺れる。すーすーという寝息。ここは――と、オレの視界がくるくると回る。遊園地にある、カゴが高く持ち上がってぐるぐるモーターが回り、遠心力で水平方向まで体が傾くアトラクション。アレと同じような感覚を味わいながら――オレはオレを呼んだ者が誰だったかを知る。



「――



 彼はペン回しをやめると、驚いたようにオレを凝視する。




     ○




 オレはどうやら、ペンに彫刻されているらしい。細長いペンの、書く方ではない、お尻の方、とでも言うのだろうか――シャーペンやボールペンの、ノックする方。そちら側に、立体的に彫られていた。これで喋れるとは、いよいよ謎である。



「――つまり、君は今までシャードたちと交流していて、とうとう私のところにも来た、と」

「そんな感じです」オレはなんとか経緯を説明して、とりあえず怪しまれないように――いや、怪しみはするか――信頼されるよう動く。「それで、ガルイスさんがオレのことを呼んだから来た訳なんですけど、何か用があったんですか?」

 彼は――答えずに、オレを机の上に置いてベッドから立ち上がる。どこに行くのかと思ったら、椅子に座って、上半身だけ布団に倒れ込んですやすや眠っているシーチェリナさんを揺すって起こした。先程聞こえた寝息は、彼女のものだったか。というか、いつの間にか日が傾いていた。彼女は一旦部屋から出たが、また戻ってきたのか。



「ん……殿下……」

「眠るなら横になりなさい。私のベッドを使っていいから」



 ガルイスさんに言われて、もぞもぞ移動するシーチェリナさん。かなり寝ぼけている様子だ。彼女は布団に潜って、しばらくするとまた寝息を立て始めた。

「悪かったな、話を遮って」ガルイスさんはオレと紙束を机から回収すると、デスクに向かう椅子に腰掛ける。「君を呼んだ理由だったな。そうだな、強いて挙げるなら――」

「ハルさんのこと、どう思ってる?」

「む?」

「ハルレアさんのこと。この間、抱き締めてたけど」オレは話を遮られたため、ついでに聞いておく。「シーチェリナさんがいるのに、あーいうことするのは――」

「それは――ほら、あれだ。親愛の情というか」ガルイスさんはしどろもどろになる。「シーチェのことは大切だ。決められた結婚だというのは、彼女にしても同じこと。だからこそ、尊重し合える間柄になりたいのだ。いつも彼女のことを最優先とはできずとも」

「ハルレアさんは?」

「――それで、君を呼んだ理由は、そうだな、話し相手がほしかったんだ」

 彼は明らかに話を逸らす。まあどうしても答えが聞きたかった訳でもないので別にいいが。「話し相手?」

「弟妹たちが君について、話をしていたようだったから、試しに呼んでみた」

 思ったより、取っつきやすい人なのかも知れない。少なくとも、出会って三秒で棒でぶん殴ってくるグィーテさんよりは。

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